竜暦1928年
西支部と呼ばれる、堅牢なビルがあった。其処は、魔生物を日夜討伐し、売り買いにて利益を出す組織の支部である。血筋による結束を主とした戦闘民族暴閥とは違い、契約に基づいた諸々を生業にする人々の集い、請負機関の西方面請負機関支部である。
灼零のヘルは、見事に燃える髪を清掃されたロビーで引き摺っていた。自動ドアを抜け、見渡せば右側にはビル内で大きく根の張る巨木が伺えた。ローブを翻す様は近未来的な施設には似合わないものの、だだっ広いロビーに溢れる人々は腰や背に各々の自慢の装備を帯びていた。
槌から剣、変わり種では鞭も。請負機関に属する請負人は人類圏を脅かす魔生物を倒し生活しているので、魔生物の素材由来の装備も散見された。斯く言う灼零のヘルとて、腰には鞭を装備しているのだ。中でも変異種とされる魔生物を素材に生産された武器であり、彼女の主兵装であった。
ロビーの賑やかさは請負人の多さも由来し、北支部の賑いによって受付までの道程が過酷になっていた。灼零のヘル、灼熱の長髪と二メートル近い巨躯、麗しくも研ぎ澄まされた刃の美貌を持つ彼女に対して、食堂の方から荒々しい声が飛ぶ。
「おー! ヘルの姉御じゃあないかよ! 北にいるたぁ珍しいっ! スケルトンの特務もー終わらせたのかっ!」
仲間内のむさ苦しい荒くれ者達は、昼間から酒をジョッキで煽って御機嫌だ。姉御と呼ばれたヘルは、食堂の一角で屯する荒くれ者達に片手を上げる。距離はあったが、腹に力を込めて声を張り上げる。
「おうともよ! あんたら、たるんでないだろうねえ! 昼間っから酒ばっかのんでんじゃないよっ!」
「おらぁ夜勤じゃい!」
「オレも夜勤だ姉御ー!」
「酒ー!」
「肉ー!」
にこにこと声を荒げるおっさん達は夜勤勢と呼ばれている人々だ。北支部は基本年中無休の常時戦闘態勢の組織であり、任務を終えたりするとああして食堂で任務の話や野暮な談話だったりを行っているのだ。嘗てはヘルもその内の一人であったが、北支部の監督官からの推薦で請負機関本部に昇進し請負官として活動をしている。
請負官として活動する中、時折西支部からの要請でスケルトン討伐任務を割り振られては顔を出してはいたが、依頼の横流しをしやがった北支部の監督官の姿はなかった。
現在の北支部の監督官はセブンスと呼ばれるヘルに比べて小柄な少女なのだが、特徴的な灰色の髪はロビーにはなく。
「あんたら、お嬢は知らねえか!」
「お嬢ならいまライブしに出てんぞ!」
「んだんだ。お嬢の歌は奇跡だー!」
「確か、どっかの上位暴閥だー!」
「シュテンメーダー家じゃねえか?」
「だったかー? なんか、息子の誕生日なんだとよー!」
「そうかい! あんのポンコツ! あたしを呼び付けてほっぽってんのかい!」
頭を掻き、喧騒を割く。苛立ちにより立ち上る霊力が赤く凍り、髪がギラギラと光った。だが、そんな威圧感にベテランのおっさん達は豪快に笑うだけで。
「ぁあ! そういやお嬢が特務また出してんぞ!」
「はぁ? スケルトンならやったよ!」
「また村がちけぇヘルリオン山脈で湧いたんだとよぉ! たまにゃぁワシにもよこせ!」
「そうだそうだー!」
「あんたら独力で倒せんのかい!」
「おれ水だー! ちきしょー!」
「おれは火だぜ姉御ー! 連れてけー! 報酬くれぇ!」
「うっさいよあんたら! ったく……」
首筋を撫で、陽気なおっさん達から目を外す。彼等は北支部の中でも古参で、実力や経験はロビーに集まる平均的な請負人より遥かに高い。なんなら本部にすら昇華出来るのに、北支部への愛着と気楽な生活の為と、セブンスと言う歌姫のファンだから居座っているだけだ。
野心らしいものもないし、魔生物をしばいて護衛して、採取したりして、仲間で酒飲んで、そんな下らない日常を好む彼等が北支部の戦力を盤石にしているのだ。比較的に東西南北にある支部で新人が多いのは北で、監督官が教育と訓練、後進の育成を総括するのだが。
セブンスは彼等飲んだくれを利用し教育係として活用している。ヘルは無人の受付に辿り着くと、脳内で依頼書を引っ張り出す。すると、視界には夥しい依頼書が溢れた。三大魔女が構築した請負証システムにより、受付に事務員の配置をしなくなった事で作業の効率は格段に上昇した。
好きな時に好きな依頼を請け負う、それが請負機関である。ヘルは人差し指で指名された依頼書を検索し、一つの依頼書を視界に広げる。内容は当然スケルトン通常種の小規模レギオンだ。
スケルトンと言っても、彼等請負人には逆立ちでも勝てる存在ではない。ベテランの彼等でも徒党を組めば一体がやっと、と言ったレベルである。スケルトン種は非常に厄介で時として小国のみならず大国すら陥落せしめる脅威なのである。火、または光。或いは無属性の攻撃しか有効打は与えられず尚且つ物理的エネルギーでは破壊すら不可能な異次元の魔生物だ。
種としてのヒエラルキーを尽く無視するイレギュラーで、完全に消滅させなければ何度でも蘇る化物なのである。そんな存在だからヘルが態々呼ばれて馳せ参じたのであるが。
「どう言うこったいこりゃ……」
依頼書にある報酬は問題ない、所在地も凡そは掴めている。危険度は高く切迫している訳でもないのだが、どうにも可笑しい。同行者が、いるのだ。本来なら複数人が派遣されるし、なんなら請負人には受注すら不可能な困難度依頼であるので請負官クラスが派遣されるのも至極当たり前だ。だが、ヘルに関しては話が変わる。独力でヘルリオン山脈、人類未踏破領域に進出し小レギオンのスケルトンを滅ぼせる力がある。単独を想定していたがどうにも依頼はそうではなく、何故か同行者が存在する。
「んー……?」
しかも、依頼書の下には我等が請負機関最大戦力が一人、風のシルフィンの徽章がでかでかと刻まれているではないか。四魔女と呼ばれる際に名が挙がる、人類の中の特例、強大なる個人として君臨する魔女の名が刻まれているではないか。一瞬、風を模した模様に魔女と結び付けられなかったが。どう依頼書を見ても変わらない。
「シルフィン様……じゃあないか。なんだいこれ?」
今まで、魔女からの指名はなかった。あくまでも、北支部のトラブルに本部からの応援派遣が通例であった。が、此度の依頼書の発行元は厳密に述べるならセブンスではなくシルフィンである。奇妙な話、あの魔女からの依頼は恐ろしい。脅威的な個人、スケルトンの小レギオン程度で本人が出向くなぞ有り得ないとは思うものの、同行者を付けられる程に当該地域は不穏なのであろうか。
灼零のヘル、セカンダリーネームドを保有する請負官でありスケルトンの討伐実績も山にある己の戦力を過小評価されているとは、流石に考えられないのである。ヘルは腕を組み、首だけでなく身体全体が傾いた。
不可解、此処にて極まれり。
「つーか、レク・ホーランって誰だい? あたしが知らんってこたぁ……請負官じゃないのかねえ……?」
請負官でないならば、スケルトンに派遣されるとなると実力のある部外者だろうか。部外者の依頼への同行は原則禁止されているが、臨時請負許可制度と言うものがある。名の通り同行を一時認可する制度で、八大、任務長、各支部監督官が発行可能なものだ。
外部の実力者なのだろうと、ヘルは当たりを付けた。ふむふむ、と依頼を熟読し魔女様直々の申し出を受け止める。失敗は許されないし、しくじらない為の戦力の追加であろう。小レギオンとあるが、もしや中レギオンになる可能性でもあるのかと勘繰る。
ふと、ローブを摘まれたような気がして振り向く。しかし、ヘルは見付けられない。
「うん? なんだい?」
辺りを見渡したが、いない。疑問が増えた。
「あ、あの! ぼ、お、俺。下ですっ」
「うん? あぁ、どうしたんだい?」
見下げれば、腰丈程の少年がいた。身丈にしては大きな、変わった剣を腰に差す少年だ。切っ先が平らな剣である。綺麗な癖のない金髪と、可愛らしい金の瞳をしている。ヘルは少年の装備を見て、少し質は良いがカッパー程度だと理解する。北支部に入ったばかりの請負人か、或いは請負人になりたい少年って風体である。身なりの良いシャツに短パンだし、荒くれ者の集まる此処には些か浮いている。
己が威圧感がある自覚はあるので、なるだけ声量と気迫を抑えてにかっと笑い、その場で屈む。巨躯たる身を縮めれば、少年との視線はやっと対等だ。
「請負人に憧れる口かい? 請負人になるなら受付で、ほら、事務員が……いないねそういや」
北支部に事務員はいない、本来は請負証システムだけでなく事務員も数人は在中しているのだが。北支部の監督官があれで飛び抜けて優秀であり、人経費の削減の一環で事務員が存在しないのだ。雑事や厄介な書類を片手間に処理する、ヘルでさえ気色悪いと思っている速度で適切に捌くセブンスあっての管理体制だ。
他支部より設備が良い最たる理由でもあるのだが、ヘルはどうしたものかと悩む。受付のやり方を一から教えるのは己の仕事でもないし、食堂にいるおっさんにでも預けるかと思考を回す。
「あ、いえ。お、俺は請負人です。去年からお世話になってます」
「そうかい! そりゃ良かったよ! じゃあがんばんな、少年」
「あの、いえ。その、灼零のヘルさん、ですよね?」
「握手かい? ほい」
少年の手を握り、潰さないように優しく。違和感。
「ん? やけにがっちりしてんねえ。良いじゃないか、将来有望だねえ」
手は、幼いながらも生傷が絶えず皮膚も分厚くなっている。タコのある手は、少年とは言え立派な戦士であると伝わった。嬉しくなって、少年の頭をがしがし撫でてヘルは快活に笑う。新人にしては剣も実戦を経た傷が伺えるし、やはり志しのある若者は眩しいものだ。前途ある若人は貴重である、請負人の死亡率は初年に集約される。一年間を生きて学んだのならよっぽどの不運や不幸でなければ死にはしない。何故ならば死ぬ奴はとっくに死んでいるからだ。
どんな形でも生きているなら、将来に繋がるものだ。
「うわわ。あ、あの、俺、レク・ホーランって言います! 宜しくお願いします!」
「おう! 宜しくな! ん?! んん!? あんたなんだって!?」
「レク・ホーランです! スケルトン討伐頑張ります!」
「……んん? んー……?」
「ヘルさん……?」
理解には、とても時間が掛かった。驚き半分笑い半分、頬を掻き依頼書を開く。間違いない。ヘルは意識を飛ばし、目の前の少年を認証する。認証は、偽りではなく本物だと答えた。レク・ホーラン、請負人、スケルトン討伐任務受注中、とある。信じられないが真実は作り話より奇をてらう事もある、現実は複雑怪奇なのに受け止めるのは中々上手くはならないものだ。
「たまげた……もんだね……。あんた、スケルトン討伐できるのかい?」
「え、いや、初めてです!」
びしっと姿勢が正された。いやいやいやいや、とヘルは苦く笑う。口元が引き攣った。
「なんの、冗談だいそりゃ……?」
「かあさ、いや……、風のシルフィン様からの指名なんですっ!」
「……あんたなにしたんだい? 恨まれてないかい? 謝るならついてくよ……?」
心からの言葉だった。魔女に目を付けられるなんてなにをやらかしたのだろう。シルフィンは潔癖っぽいからウイッチスカートを盛大に捲ったとかであろうか。子供のやった事だし大目に、穏便に収めてはくれないものか。
「……いや、それはないかなと?」
少年は頷く、多分ないと思うと呟いて。いやいやいや、と首を振るう。
「あんた、属性は? 霊力感じないからわかんないよ」
「あー。光、です。一応……目潰しくらいは」
「……、なんだいそりゃあ」
慌てて、請負証に備わる全能度確認機能を起動する。どうなるにせよスケルトン討伐に同行するならば相手を知っていなければならない。未だ実装されて数年なので、不慣れながらふと思い出したのだ。
全能度とは指標で、請負官等の優れた逸材は合計値五百を超えないが凡そ五百前後とされている。この世界の頂点である八大暴閥は下限が七百と噂されているが、中でもヘルは請負官にしては十二分の合計値五百に至った傑物だ。
無論全能度のみで勝敗は決さないものの、目安として存在するのには相応の理由があるもので。北で敢えて燻るベテランすら三百前後、それすら計り知れない強さを秘めているのだ。単純な銃器や刀剣で怪我はしないし、体力だって並み居る請負人を凌駕している。
彼等の場合年齢もあって衰えてはいたが、含蓄により補われたベテランなのだ。が、目の前の少年はそうではない。表記された数値に目を走らせ、思わずスクロールしていた指が固まる。
「あんた、体どうなってんだい……?」
「え、あー……一年前からめっちゃ頑張ってて……?」
後頭部を掻き苦笑いする少年、レク・ホーランは答えた。
「物理の攻撃、防御の数値が70もあるなんざまともじゃあ……ないよ」
シャツの隙間から見える包帯と生傷に、唾を呑む。一体、この少年は一年間をどう生きたのだろうか。まともではない。新人請負人の生き方では、まともな請負人の在り方ではない。この年齢で、ベテランと並ぶ三百を超えた全能度は異常だ。才覚か、或いは血反吐も尻尾を巻く執念か。物理防御に至っては己に迫る、つまりは、要約するに、真正面からロケットランチャーを食らっても怪我をしない頑強さがあるって事に自然となる。
「あんた毎日、どうしてんたんだい? 一日の行動、全部言ってみな……?」
レクは首を傾げた。唸りつつ、迷いつつ、思い出しつつ口を開く。
「えっと、目が覚めたらー……飯食って、任務いって、任務いって、任務して、昼飯食って任務、で任務。夕飯食って、時間があったら任務に任務、風呂入って……寝る?」
「毎日?」
「はい、ばばあに包帯巻かれてなきゃ、一応?」
ばばあ、とは北支部の医療専門医の事であろう。腕は良いが口と気が強いばばあである。ヘルもお世話になったので頭が上がらない相手の一人であるが。
「はあー……」
頭を抱え、ヘルは息を逃がす。まともではない。請負人の平均請負消化数は日に四程度、それも戦闘系は多くて二件である。それをこの少年は毎日七件処理している。血が滲む包帯を見るに、内約は魔生物討伐依頼のみとなろう戦闘を、だ。ベテラン勢ですら根を上げる。一週間二週間ならば酒を飲む阿呆共でも可能だが一年中となれば片手分も残りはしないだろう。戦闘はそれだけ過酷で取り返しの効かない劇物だ。ヘルとて出来れば気楽な運搬依頼も挟むし、気を休める期間は設ける。重スラム出身のヘルですらそうするのに、レク・ホーランは生真面目に愚直に毎日石を積んで来ている。驚くべき事に五体満足で、生きて、である。
全能度は才能だと思っていたが、ヘルは才能ではないと直ぐに見抜いて苦笑いに隠す。常軌を逸した日常生活である。
「おー? レク坊じゃねえかあ! 酒ついでくれよお!」
「あー?! うるせえ! はよ宿舎にいけって! 酒ばっか飲んでんなよくせえぞ! 任務いけ任務!」
「レク坊こそ休め馬鹿! ばばあにどやされんのオレなんだゾお?! お嬢からも休暇の教育しろって怒られたんだゾお!?」
「しらねえよッ! 任務しなきゃならんだろうがッ! 誰かが困るだろッ!」
奥から、ベテランの一人がそう絡んだ。ヘルは、少年の初々しくも馴染む姿に苦笑いを払って。
「よっし、あたしはレク坊って呼ぶ。あんたも好きにお呼び」
「あ、はいヘル姉さん!」
「スケルトンについて教えてえしなあ……しっかり覚えろよオ? あたしの任務はきっついぞ」
がはは、と豪快に笑って頭を撫でる。少年は息を短く切り、背筋を改めて張った。
「はいッ! お願いしますヘル姉さんッ!」
それは、十数年後北支部の監督官になって胃を苦しめる仕事馬鹿なネームド、閃光と灼零が初めて会った細やかな話。
そう遠くない未来でスケルトン討伐依頼で苦しむレク・ホーランの、尊敬する師との初陣の物語の一幕。