僕は卑屈で憂鬱でリアリストでクソヤロウ
五月十二日、その日が僕の異世界への旅路の始まりだった。
経緯として、僕に降り掛かった非日常を語るべきだろう。書き出しは、そうだな。
変わらない日々に僕は満足する人間で、当たり障りなく生きるのさえ苦しくて、世間って謳い文句につい声が出そうになりながら堪えて、言えずに顎をちょっと上げる。そんな人間だ。
先ず、僕は、普段ならば六畳間で目を覚ますのが日課である、大学生の一人暮らしならば相当に妥当な。
入り組んだ道中の奥深く、日当たり悪く付近に目ぼしい店もない立地にある古アパートの一室から這い出るのが日課である。駐車場のスペースはコンクリートで整地すらされず、かなりの手狭で。一応書類上は僕の所有物となる一台の車と、ついぞ見た試しのない管理人が放置する、前タイヤがへしゃげた自転車のみが駐車しているのだ。
古アパートにそぐわない、そう似付かわしくない総額五千万を超過した札束車、もとい中身がレーシング仕様の車を見て今日も無事盗難されてねえなと胸を撫で下ろし、今日も盗まれないで下さいと合掌する。そして徒歩にて錆び付き歪む柵をこじ開け、だらだらと片肩にリュックサックを引っ掛け大学院に向かう。
これが最近の日常だ。
日常と言えば、その日に限って日本刀が僕の狭苦しい一室に転がっていたのは、日常的とは言えないが。
刃引きなぞされてすらいない大野太刀二本に脇差し一本、目茶苦茶に重く親友から渡されてアパートにまで運ぶのに何回も捨てたくなったものだ。あれはぶっちゃけ良し悪しが分からないし、銃刀法に真正面から反逆していた代物であるが、管理に困って、且つ解決する為に持っているべき人間に送り届けたのが非日常の起点なのかも知れない。
僕から日常を外れる由縁はないのだし、至極必然的に他者からの干渉が大方の要因であり原因だ。
銃刀法遵守の為に珍走、ではなく奔走した甲斐あって平穏は手に入った筈だったのだが。
清廉潔白たる大学生である僕が学院に到着し、午前の講義がなかったのをはたと思い起こし、ではどうやって午後までの時間を潰すかと学院の食堂に向かい、人目を気にして隅っこの席に態々座るまでは日常的であったように感じる。
第三者から見ても普通だ、友人もまあいないし、遊ぶ金もまあないし、やる事もまあないから。
食堂でなにか頼むかして早めの昼食にするのもまあ良いか、それは決して日常的である、筈だ。
食堂の番人たる割烹着のおばちゃんにうどんの食券を品物と交換して貰い、席に戻り、七味を振って割り箸を割る。実に日常的だった。
まあ、対面に白髪で高身長で、筋肉質で、無駄がなくて、無駄に高貴で、あろう事か目隠しをする男性がいなければ。異常だった。食堂には不思議と僕と白い男しか存在せず、うどんの前で合掌していた僕は暫し沈黙で答えた。まあ、まじでだりぃんだけど。嫌だな話し掛けんなよって空気を頑張って捻り出す。
「ふむ……、うどん、か」
吐き出す声すら凛々しく、完全だ。
完璧なスタイルと、美貌と、気楽に頬杖を突く様すら名のある絵画家の渾身の力作、な異常。綻びもなくば嫌味もなく、凛々しく清々しく正しく、異常だ。纏う衣服は軍服のようで、綺羅びやかな金属のバッチに曇りはない。うどんを一啜りしつつ、眼前の異常に目を定めた。
「そう睨むな、私とて非礼は承知している。その点に付いては頭を下げよう。それで、貴様には……そもそもの経緯を話すべきか? それとも結論である派遣の交渉からすべきか?」
「……経緯から、お願いしても?」
「ああ、構わん。経緯と言ったものの単純な話でな、氏族会議が行われた結果、代表者に推薦された。としか言えん」
「……あー、えっと、なんで?」
うどんが冷めるな、と思うが諦めて箸を預ける。白き男は肩の力が入っていない、宛ら気を許した友人にでも話す素振りで。
「野暮な話ではあるが、否乃を筆頭に下位氏族からの不満が爆発した。会議の出席も免除され、顔合わせも免除され、見える範囲の内容が一文に集約され、不満に思う気持ちは汲めるものではあるが。私とて頼んだ身、擁護したものの他でもない氏族長の決定だ」
「まじかあの幼女動いてんの……ああいや、今のなし。ん、それでなにかをしろ、とでも。僕は少なくとも、最低限は完全完璧に頼まれた範囲を逸脱してはいないけれどな」
白き男は肩を竦める。竦めたいのは僕である、職務怠慢を疑われるのは心外だ。定期報告も別段特になし(事勿れ)ではなく変りなし(特になし)であるのだから、なにが猜疑を生むのか理解が出来ない。少なくとも、多少は、感謝され労われるべきお願いを叶え続けているだろうに。無論語る程でもないけれど、それなりに認知されて然るべきなのではないか。尤も、目の前に居座る氏族長代理からすれば別記された意味合いを汲んでいるのだろうけれども。
うどんの湯気を流し見て、僕は椅子に深く座り直す。
「貴様の場合、他の氏族とは関わるべきでも関わりを持たんともせん。私とて無理強いはせん、何処まで往こうが人は他人である事に相違なし。だが、今回の議題では適任者だと判断する。氏族長がお決めになったからとも、言えるが……」
「へえ、愉快な冗談だ。僕に一体、なにが相応しいって思うのか甚だ疑問だよ。特にあの全裸幼女、頭可笑しいぜ」
「氏族長の思い付きであるのかは私には認識出来ないが。時に、貴様はどう思考する? 悪とは、正義とは」
「唐突だなほんと……立場、視座って奴なら僕で…………ホレイズ・フォン・ウント・ツー・ロストハート、貴方も例外じゃない。それとも正義正義正義って並べて、その中に正義正義正義正があるぜって言葉遊びで煙に巻く方がらしいのかな。どっちでも良いけどさ、損な話」
「そんな話ならばこうなるまい。普段ならば直接的な解決力と柔軟性のある否乃が適任であるが、私の認識限界からして見通せたものには悪メタの関与が最も筋が通るからだ。貴様に頼んだ通り、それは貴様の敷地ではないか? 氏族長に従わんと言うのであればそれを私は尊重しよう」
「いいや? 僕はお願いされて断れないだけで、喜び勇んで飛び込む夏の風物詩ではないけれど。まあ、凡そは分かってはいたけれど、頷くかは別問題だ。僕は、お使いがあるからね。断れるなら断るけど」
「……私は、いずれ死す。英雄とは生き続けられんものだ、そうあるべきで、そうなるのだろう。故に、英雄としての花束は未だに渡したくはない。が、此度の件は些か込み入っているようだ。私も認識限界を定めている以上、竜界以外の不測は許容せざるを得ん」
「……、あっそ。で、僕に一体なにをさせる気だ、英雄。僕は至って普通で語られない蚊帳の外の住人だ」
すっかり冷めたうどんを一瞥し、甘えんなよって言えずに流されて、比類なき英雄を見透かす。少しだけ顎を上げて、見下ろすように。英雄は、笑窪を深めた。
「なに、簡単な話だ。貴様は召喚され物語に生きる。それのみだ」
「……、は? あー……異世界転移ってパターン……あー……ええ……普通は神様とかに死んだから送られたり使命を授けられるんじゃ?」
「ふむ、氏族長や私の頼み事と言う体では不満か」
神すら歯牙に掛けないメタ階層序列一位、最上位氏族にして比類なき英雄。全世界の頂にして有そのもの、僕より序列が上の英雄の苦笑いにふと疑問が過った、が。僕は敢えて流す、まあ良いさ慣れているからと。
「なにかギフト的な特典とかない感じですか、僕ってほら、ただの大学生だし」
ああ、汁がなくなっている。箸で摘むとぶちぶちと千切れてしまう。七味だけは効いているけれど。
「貴様が一般人であるならば、私も一般人であるとすべきだ」
「見解の相違かな、僕は非力だし。貴方のように鍛えてもいないし戦地にもいない、最前線にも立ってはいないし立ちたくもない」
「ふむ……然し、私の認識する限り貴様は決して卑下する程に弱さはないが」
「強くもないんだけどね、弱くないからって必ずしも四則演算が当て嵌まる訳があるか。いいや、あって堪るかよ。僕は、ただの一般人だ」
「ノヴム・オルガヌムとしてだけでは不満だと? 性質強度を鑑みても過剰と愚考する。否乃ですら余剰が発生しよう、竜界の者達なら或いはと認識可能だが……」
「そうじゃないんだよ、定番だろ? 神様から貰うチートや使命ってさ」
英雄は首を傾げた。
「……ふむ、否乃にでも意見を求めるのも手段の一つか。私ではどうにも意図が汲めん」
虚空に呼び掛けようとする英雄を手で制し、冗談が時折通じない事に身が縮む。
「戯言だよ」
「そうか」
「……とりあえず、冗談は横に蹴飛ばすとして……。うどん奢ってくれませんか」
冷え切ったうどんは、汁なぞ最初からなかったような風体で。
「ああ、構わんよ」
全く全体どうしてこうなった。僕が、こんな魔法よりナイフが似合う僕が、異世界召喚だとさ。なんてこった、頭がもう痛い。目的も見えないし、目標も不明と来ている。虐めか嫌がらせか、あのくされ全裸幼女、氏族長には一度会って説教せねばなるまい、と僕はどうせ言えない決意を胸に抱いた。