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黒き勇者と僕


 僕は勇者ではないから、ヨロヨロと歩く訳で。


 長引く睡魔と振り切れない倦怠感に毛先まで包まれている、億劫だ。真っ赤な絨毯が敷かれた廊下を歩くのも、面倒だ。右腕を支えていた木も布も終には外れた。片腕で巻き直しも出来ないから、折れて変色した指先を垂らすままにしている。


 木や布を投げ捨てたまま、節々の痛みに苛まれながら廊下を進む。前には、月夜に照らされたユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんの姿。都会であった夜より明るい空に映える漆黒が、廊下をするする進む。


 月夜、みたいな夜だ。魔力のランタンが彩る廊下は昼間に見た時の印象とは打って変わって荘厳だ。品位のある廊下だ、置かれた聖像も現実に艶を与えて来るし。ヒールのような革靴からは硬質な音と、僕の運動靴からは引き摺るような音だけが満たしている。静かで、明るくて、漆黒のドレスが目先で踊っている。


 やっと、どんな風体か分かった。


 姫君はローブ・ア・ラ・フランセーズの装いに近いのだ。一瞬、バッスルスタイルや真っ黒だから乗馬服(アマゾーヌ)かもと思ったけれど。どうも印象が華やかだ。


 ローブ・ア・ラ・フランセーズは十八世紀前後に流行した一般的なドレスで、特徴は胸元が大きく開いている点だろう。他にも色鮮やかで、レースや装飾、花柄が過剰な点が特徴だ。レースやフリルは多重で編み込まれてはいたが、鮮やかとは言えそうにない。


 漆黒だ。頭から足まで、漆黒である。喪服のように。


 安物ではない、上質な絹に近い材質であろう。刺繍も職人による手で編まれた特注だ。なにより、月光に触れ時折黒くドレスは輝いていた。


 ドレスの自然な膨らみや揺れ、歩みで刺繍に混ざった真っ黒な宝石が光を屈折させているのだ。僕の世界で近いのは黒曜石だが、どうにもまじで黒く光っているから黒曜石ではなさそうなのだ。黒曜石にしては加工されるのも違和感があるし、出来たとして黒曜石は光るのだろうか。


「名誉の保護だっけ、石言葉……?」


 未知の物質だ。月光を蓄え発光するって事は人工であれば蓄光発光セラミックスに近いけれど、この燐光現象(光る)は自然物ならば金剛石(ダイヤモンド)に近い気もする。


 金剛石は生成過程で単一元素による形成が不可能に近いが為に希土類元素(レアアース)が含まれる事が度々確認されている、そう、希土類元素の比率や種類により紫外線を受けると蛍光反応を多彩に起こす。稀に、紫外線の照射を中断しても蓄光しぼんやり夜光反応を続ける金剛石もある。


 それを燐光現象と呼ぶし、目の前で靡き舞うドレスに埋め込まれた物質体はそうやって光っているに違いない。月光を受け強く光る点からしてそうに違いない、筈だ。魔力だよ、とか言われたら御手上げだけれど。僕の知る物理ならば納得出来る理屈だ。少なくとも理路は強ち外れてはいないだろうし。


 ドレスの力の入り方が尋常ではないが、しかし、ロココ時代の衣服にしては肌の露出がない気がする。特筆して、ローブ・ア・ラ・フランセーズは胸元が大きく開いた装いだった、記憶が確かならば。


 袖は短く一の腕付近で豪奢なフリルとレースが豊かに広がっている。だが見える筈の肌は其処にはない。


 まあ、オペラグローブに類するなにかではあるだろう。十七世紀から十八世紀だと、どんどん婦人服の袖丈が短くなっていたし、それに応じて肘丈までの長い手袋が現れ、豊かなレースで飾られた革や絹の手袋が用いられるのが常識だったらしいし。宝石すら組み込んだ物は貴族や王族の徽章としても扱われていたようだけれど。しかし、彼女の手の甲は良く見える。手首から先を包んではいないのだ。


 労働した事がなさそうな、汚れのない手である。


 親友が一時期、最早発作で、嵌っていたから球体関節人形や衣服に僕は詳しいのだ。と言うより全部のジャンルを網羅していると言っても過言じゃない。そんな僕の私見ではあのドレスはロココ時代の装いに似ている。


 肌がありそうな胸元を廊下に出た時に見たが、白い肌ではなくその下から真っ黒なブラウスが覗いていた。肩からは|フィシュー《ゆったりした薄手の生地》と呼ばれる三角形の肩掛けをして更なる堅牢さがあったし、露出は少ないのだけれど、正直慎ましくてぐっと来たものだ。


 漆黒の姫君、いや、女帝だったか。彼女が仄かに黒く光る姿は幻想的だ。


 ヒールのように高めの革靴や、首にすらフィシューのみならずチョーカーらしき布を巻き防備は鉄壁なものだ。肌を見せたくないってよりは、日焼けしたくないのか。ならば、顔をベールで隠さない理由が分からない。寒いから、とかもありそうだが。


「ドロワーズって可愛いよなぁ……」


 フィシューを用いていた当時の淑女達は露出を控える目的以外にも首元を冷やさない、防寒としても使用していたと言うし。ドロワーズって事は上にブラジャーとかないんだよな。そうか。


「……、そうだよなぁ」


 足しんどい。歩くのは遅いが、距離がある。廊下に血の臭いを引く僕は、徘徊するようにゆらゆらする僕はさぞかし不気味であろうなと他人事に思う。黒く光る淑女と一緒だから、誰かに会ったら悲鳴を上げられそうだよな。


「うぁああああ!?」


「……、凄いな異世界」


 ちょっと感動した。鎧を着た兵士が、ランタンを手から落として叩き割った。僕は、剣を抜かんとする騎士に脱兎して、左腕を後方に振り被り質量、速度、要するにパワーで喉仏を殴打する。鞭の如く巻き付け、動脈を的確に締め上げる。


 抵抗らしき抵抗もなく、彼は御陀仏、ではなく昏睡した。人体とは非常に脆いものだ、壊し方を知っていれば容易く破壊が可能である。僕はシンプルに肉体強者であるので、やらなかっただけで、鍛えていたとして不意打ちならば大の大人を一瞬で制圧が可能だ。


 気道を塞ぐ方法は苦しいし相手が暴れるが、動脈を適切に締めると人間は簡単に無力化可能だ。簡単に、だが、これが至難である。言うは易し行うは、である。


 昔、留学していた時に備えた技術の一つをまさか使う事になるとは考えてはいなかったけれど、疲労がより溜まった、寝たい。手をぷらぷらして脱力しつつ脳裏でぼやく。振り向いて、手を前で交差する女帝と目が合う。


「……お強いのね、騎士を倒すなんて」


「まあ、人間ならね」


 僕はこれでも、やれば出来る子だ。小学生の頃、担任に叱られた覚えがある。やれるならやれよ、と。まあ、普通にやらないけれど。出来るからやる、は僕が納得出来ない。達成可能だから遂行する、この関連性は元来ないものだ。あると暴論を突き付けるならば僕だって極論を盾に抗うつもりだし、万引きや信号無視だってやれば出来る事だろうに。


 まあ、卑屈でけったいな言い分ではあるけれども。選り好みや好き嫌いはすべきだろうし、切り離せないと僕は思う。


「でもあれだ、アイリスさんとかヘルさんとかって腕力で勝てなさそうだよね」


 突伏する騎士に合掌したかったが右腕が上がらないので、日本人らしく虚空チョップを二回置いて謝った。


「……そう?」


「いや無理だろあれは、僕を殺す気か? 身に覚えしかねえな……」


 胸ばっかり、事ある毎に揉んでいる気がする。僕はそんなに悪くないけれど、申し訳なく思う。時代背景がなんとなしに異性との接触を許さない感覚を与えているし、振る舞いからして本来有り得ないのだろうし。まじで恨まれていても可笑しくはない、当然だ。僕なら局部を狙う輩には鉄拳を喰らわせる。


「……そう、わたくしは宜しくてよ」


 なんだか、見透かされた。女性は視線に敏感らしいから、見抜かれたのだろう。目を横に逃がす。背は僕の方が高い、上目に見られると落ち着かないので視線から逃げたのだ。フィシュー、肩掛けを指で触りつつ半開きな目玉に見られれば僕だって怯む。女性なのだ、淑女である。


 横に伸びた耳の動きも軽やかだし、漆黒に映える雪の髪は神秘的で触れそうにないものだ。


「それで、実際何処に向かってるの?」


「王の死す場」


「……玉座の間?」


「はぁ……死す場ではないわ」


 嘆息。伸ばされた腕、真っ黒なオペラグローブ、指先の白さが際立っている。僕の鼻に向いた指先を凝視する、綺麗なものだ。繊細で折れそうだ。


「わたくしの言をきいてらして?」


「……、話半分には」


 多分。


「はぁ……そう……」


 頬に手を当て、短く息を逃がす。所作がこうも優雅だと焦っているのか焦っていないのか、分からなくなる。僕は急いではいるのだけれど、急いでもこれ以上足は速くはならない。身体の重さに負けて寝たい。


「わたくしの勇者様は、無理をなさるのね。おやさしいこと」


「そうかな、僕は優しくも厳しくもないつもりだよ。本当なら関心もなかったし、ぶっちゃけどうでも良い。君だってどうでも良いから未来を変えようとはしないんだろ?」


「そう?」


「そうなんじゃない? 僕は未来が視えないし分からないけれど、行き着く先ってのには目星が付く。大概は語るのも嫌になる碌でもない話だけれど、変わらないものはないよ。千古不易ってものは、ないさ」


「そう?」


「君は、変われるさ」


「そう」


 首肯して、くるりと踵を返すユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃん。耳がぱたぱたしていた、再び僕は、覚束なくて思った通りにならない足取りで健気に追った。気分は鴨の親子であった。

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