赤き勇者と僕
流されるまま僕はサロンに移ったものの、僕の瞳に映った者の姿は可愛らしいと美しいの二択だった。
セルフちゃんは小型動物みたいだな、と思った。時折見せる表情こそ聖女らしさはあるが、こうして紅茶と焼き菓子を囲む姿は年相応だ。甘味に弱くて話すのが好きで聞くのが好きな、単なる女の子。
その身をアルブに包んで女神さえ信仰していなければ僕と関わる機会もなかっただろうし、僕の所為で魔物退治にも駆り出されはしなかった筈だ。
サロンの一室、紅茶と焼き菓子を並べる僕の女神に熱視線を送るが今日もさくっと無視されていた。床を無造作に引き摺る赤い髪に頓着がないのか、豪奢なローブを翻し円卓上の菓子類を口に放り込む女傑さえ居なければ心休まるものだけれど。
行儀もなく、両手で色々掴んでは豪快に咀嚼し胃に下す。紅茶を煽ると、にかっと犬歯を剥いた。ほぼ用意された品はヘルさんの胃袋に呑み込まれたが、セルフちゃんは気にしていないようだった。斯く言う僕も何処かこの人を憎めないのだけれど、無邪気とか述べれそうな人柄なのだ。雑で力任せはあるけれど最低限は弁えているし言語による交渉を否定する訳でもない、鉄拳さえあればって蛮行に走るでもなく。
極々自然に対話を行えていた。
「んで、少年少女。魔物討伐に行くんだろう?」
「そうですね、取り敢えず近場で魔物の観察から始めたいんですけど」
「あ、それなら正門を出た林が条件に適してるかなとっ」
「ふむ……まあ、魔生物っぽい気配は確かにする、な。ちと遠いし、こっからじゃ内包霊力が少なくて分かんないよ」
灼眼を細め、窓の外を睨む女傑。一体何を見据えているのか見当が付かないが、肩を竦める姿に騙そうとか謀ろうなんざ魂胆が伺えないのだから流石だ。裏表がない、透き通る青空の如し、但し本人真っ赤っ赤。みたいな。
兎角。我が麗しの癒し、アイリスさんが女傑の前に追加の焼き菓子と紅茶を並べる姿に注視する。相も変わらず無駄がなく静かだ。静かと言えばヘルさんも足音や気配が異様に薄くて、最初サロンに入った時には無人かと疑った。見た目と掛け離れた姿にびっくりしたのだけれど、請負官とやらは皆そうなのだろうか。
例の絶対勇者が生きる世界、からの来訪者であろうし。少しだけ贔屓目が僕にはあるのかも知れない。あるのか、と問い詰められたら意識の端には残っているのだろう。憧れないけれど勇者とは何たるかを示した教材ではある、挫けても諦めなかった、逃げても立ち向かった勇者である。
そんな彼が住む世界の人間だから、僕は寛容なのかも知れない。人当たりがさっぱりしていて、野生児よりは頼れる姉御のような人柄もあるけれど。年上のお姉さんだからと言う線もあるが、僕は清楚可憐を尊ぶので勇猛果敢な美人はやや違う。
好みの話は横に置くとして、得体の知れない果実の焼き菓子を食べながら僕は話の進展を見守る。
「ヘル様は魔物に慣れているのですか?」
「ん、まあね。あたしは重スラムの出だし、そこそこ頑丈なのさ。骨野郎に比べりゃだいたい簡単にぶっ殺せるし、簡単な事さ」
「骨、ですか?」
「おう、スケルトン系ってのは厄介でねえ。むかし散々な目にあったよ。レク坊があたしがずうっと請け負ってる山をわけてくれって言ってやがったが、あたしはシルフィンとは違って反対してたんだよねえ」
今頃どうしてっかねえ、と。染み染みぼやく。あの母に常識は通じないだろうに、とも頭を掻いて。
「ま、そんな訳さ。魔生物に関しちゃあたしは専門さ。ただ……」
「ただ……?」
「あたしは今、丸腰なんだよ。ローブくらいかねえ……あ、いや、技能球もあったか?」
手を叩いた、衝撃波。まじて止めて欲しい、紅茶が零れそうになったし喉に焼き菓子が刺さって目茶苦茶に苦しい。喉の違和感に眉が曲がりながら、一応耳を傾ける。
「その、スキルボールとはなんでしょう?」
「ん? 魔法や魔術を封入した道具さ。霊力の補充は必要になるが、便利でね」
懐を漁り、途中で動きが止まった。不自然な静止に興味深そうな顔のセルフちゃんは気付かずに、女傑の微妙な顔と面した。片手をローブに突っ込む姿には勿体ぶっている風でもなく、焦りや困惑でもなく、葛藤が大半を占めているように映った。それこそ出すか出さないかを悩んで目の前の少女の眼差しに苦しんでいるような感じだ、ちらちら灼眼がこの部屋で一番強いアイリスさんを伺っているし、秘密にしたかった事で教えるのは控えたい物なのだろうか。警戒は分かる、彼女だって無敵ではないだろうし奥の手は必要だ。
話を搔い摘んだ限りスキルボールって奴は充填さえしてれば僕にでも使用可能な道具だと、理解した。封入された機構の理解も必要でもなく、使用者に依存せず効果を一定に発揮する道具は奥の手足り得るし。ヘルさんは、セルフちゃんの碧眼から目を外し、十二秒してか腕を引っこ抜く。手には、小さな水晶があった。持ち運びの為か金属のフレームで覆われてはいたが、見た感じはただの水晶である。完全な球体でもないし、水晶だなとしか浮かばない。
「これは、うーん……その……」
「どうされました?」
歯切れが悪い、聖女の不思議そうな顔に諦めが付いたのか、紅茶を一啜りして円卓に戻す。
「こいつはねお嬢ちゃん、引くほどたけえのさ……あたしの年収分……する……」
朝日を屈折させる水晶、年収分となると三百万から五百万位の感覚だろうか。いや、どうにもそうは……思えない。身に着ける衣服、乱雑な扱いなのに痛んでいない髪、ローブ内に隠していた腕には幾つものバングルが僅かに見えるし。専門職、しかも高等職員の年収だ。三千、五千万の感覚で良いのだろうか。金額が大きくて今一実感が湧かないけれど、親友の家よりは感覚的に掴める値段だ。その程度を加味すると不自然な嚙み合わせではないし浮いた奥歯も沈むし。
「ふ、ふむ。すごいもの、なんですね? どんな力が?」
「んー、中身はタダなのさ。問題は……封入してんのはセレスの旦那のやつなんだよ」
頭を掻き。困り顔。
「セレス様……ですか?」
「あたしの師さ、その奥義が詰まってる……かなり、……頭を抱えさせる代物でね」
「ふむ……」
「それより、お嬢ちゃんはなにが出来るんだい? 戦えるのかい?」
おっと露骨、言うのを止めた。問い詰める気はないし隠すのなら理由と都合があるのだ、態々場を荒らす事を僕はしない。セルフちゃんだって分るだろうし、この話題は終わりなのだ。煮え切らなくとも変わらない、奥の手ってニュアンスではなさそうだけど。終わった話題より今後に注力するのが生産的で合理的だ。
「私は、その、あまり……」
アイリスさんの栗色の瞳、どうせ今日もロングスカート下には武器を仕込んでいるのだろうが体幹は淀みないし息遣いも分らない。何時呼吸しているのか分らないのは、やばい。僕の目と頭で理解出来ない現実があるとは知らなかった事だし、想定していなかった。感情面は察せるけれど武芸者の中でも一級だと僕は思う、流石年上のお姉さんだ。いや、ヘルさんも呼吸の間が完全に掴めていないのだけれど、あっちはお姉さんではなく姉御って感じだ。ちょっと理想と違う、美人だけど女性らしさは極論可愛いだ。否乃の妹曰く可愛いは殺せるらしいので、ヘルさんはどう考えても無理そうなので違うのだ。
好みとかじゃない、美人でお姉さんだけど若干食い違っている。まあ、あんなお姉さんに腕を引っ張られて振り回されるのもそんなに悪くはないのだろうけども。
「じゃ……昨日あたしを目で捉えてた嬢ちゃんは?」
アイリスさんの切れ長の、抜身の刀身か如し眼孔にぞくりと本能が震えた。生物の反射を感じ、焼き菓子を口に突っ込むオート作業がバグって狂って鼻に刺さる。地味に痛い、普通に痛い。手元を正して僕は焼き菓子を食べつつ行方を見守った。場を軋ませる圧力はあるが、見ただけは健全だから僕は無視するのを是としたのだ。首を突っ込む理由がない、間に入っても人間兵器と超メイドに圧し潰されて挽肉になるのは御免だ。速度の出た積載十分な大型トラックに煽り運転を喰らわすまで大馬鹿野郎ではないつもりだ、僕は。断じて、阿呆で馬鹿だが考えなしで生きていない。
「少々、心得があります」
澄ました態度だ、あ、でも焼き菓子事故を発生していた僕に蒸しパンをそっと差し出して来た。視野が広い人だなほんと。あ、栗っぽい風味と味だ。目を瞑ると日本の秋空が浮かんだ。なんだかんだ僕は日本が好きだったのだろうと、思い出させられ密かに感謝する。前向きであるのは悪くはない、筈だ。
「はッ……少々ねえ? あたし、これでもネームドだったんだけど自信なくなっちまうよ」
「アイリスは元、剣聖なんです。今は私の専属……メイド? です」
剣聖なのは知っていたが元であるのは初耳だ。王は態と口にしなかったのだろう。専属であるのに教会では会わなかったような。いや、いたのか。僕が気付かなかっただけで、素の僕、やる気のないとしても見逃すのはあるのだろうか。タイプの女の子って男は覚えてそうだけど、とんと記憶にないな。疑問が増えたが会話は構わず進む。
「メイドにするには惜しくないかい? ま、事情があるのはどこも同じってか。詮索はよそうか、お互い踏み込んじゃならねえラインってもんがあるしね」
大袈裟に肩を竦める女傑に僕は頷いた。全くその通りである、だから僕は独りでいたいし昨日の出来事を忘れたいが覚えてしまったので後悔している。僕の人生でこんなに色濃い出来事は少ないのだが、油断すると毎度突き刺されるのでとても分る。
「で、少年は?」
少年って歳でもないけれども、抵抗する理由がないので蒸しパン運搬作業を中断し、一呼吸整える。
「僕はそこそこ。セルフちゃんよりは動けるか?」
「ええ、ほんとうですか?」
舐めるなよ、僕は百メートルを八秒切って走れる男だ。機会がないし言わないだけで。やらないから出来ないだけで。そんな僕がセルフちゃんより動けないなら土下座でもなんでもする。
「まあ、壁は走れないけどね」
「走れないのかい……?」
女傑のしょんぼりした顔に、英雄と同類の香りがした。人間は壁を駆け上がれないんだよ、まじで。勘弁して欲しい、学徒に求めるなそんなフィジカル。
ほんと、止めて欲しいと思いながら僕は残り少ない紅茶を不満と混ぜ合わせて、胃に流し込んだ。