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赤き勇者と僕


 次の日、となるのだろう。僕は自力で早朝に起床して、昨夜の一場面を反芻していた。大丈夫、今回は聢り覚えていた。起きたとは言えベッドに仰向けでいる僕に、身支度をせんとする名も知らぬ侍女数名とは無言の遣り取りがあったが、結局は僕の垂れ流す構ってくれるなって空気に負けて退室に至る。


 アイリスさんみたいなお姉さんならいざ知らず、明らかに年下の異性に衣服を弄られるのも肌に触れられるのも、況してや記憶に入って来るのも釈然としないので厄介な奴で難儀な輩だと主張し退散して貰ったのだ。


 くそみたいに眩しい朝日がベッドに転がる僕の顔面に直撃しているのが気に食わないものの、朝食と身支度を拒否した僕には静寂だけが残っていた。早朝特有の、これから騒がしくなるぞと言った風情の静寂だ。耳を澄ませば鳥の一鳴きもあろうが、僕は外的要因より内的要因への思考で一杯だ。


 そりゃあ、風呂に入っていないから臭うかもとか着替え用意していてくれたのにとか、色々あるけれど。其処は都合が良い事に、僕は出来ない事はないので。


 ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃん、やたらに長い名前の淑女が部屋から出て行った後に特筆して語るべきでもない話だが、ちゃっかり風呂には入っていた。


 誰かと出会うとかもなく、誰かと話す事もなく、当たり前に終わった語るべき点のない話なのだ。強いて挙げるとするならば、僕が一旦この世界から逸脱し自宅に帰って銭湯に行き、そんなこんなで風呂を終えて此方に回帰したとかは話せるのだが。


 何度でも言えるが、僕は氏族である。前提的に他の勇者とは違う。女神の導きはなく、与えられた使命も力もない。最初から立場と視座に大きな誤りがある以上、なにかを言うべきでもないけれども。出来る事だからちゃっかりやっただけで、別段隠したい訳でもない。


 そんな訳だが、朝食を食べたりも済ませれば良かったなと何処か他人事に後悔するまでが僕の日常だ。さて、どうしたものか。もう少し考えてみれば朝食を頂く思考になっただろうに。切羽詰まってはいないから良いものの。


「……、うん。馬鹿だな僕は」


 本当に。


 自虐をしていれば室内に転がるノックの音。目をやり、暫し。また、ノック。また、暫し。ノックの音。また、暫し。


「勇者様ー……? 起きてはいないのですかー……?」


 ノックの音。


「……ああ、そうか。どうぞ」


 やっとこさ扉は開いた。其処にはストラやチャジブルを着脱し、純白のアルブだけとなった聖女様がいた。朝日で煌めく金髪が眩しいが、ベッドに横になる僕を見付けると。


「おはようございます、勇者様。起きてらっしゃらなかったのですか?」


「いいや? 起きてたよ、一応」


「……そうですか。はぁ。……それで、昨日決まった魔物退治の話なんですが」


「あぁ、うん」


 ちょっとだけ碧眼が曇った。


「勇者様は……武器がないようですが」


「そりゃあね、身一つで来たから」


「……魔物に付いては如何ほどだとお考えで?」


「クマ、みたいなものだよね。なら、ほら、ヘルさんが素手で勝てるだろうし」


 嘆息、呆れか。セルフちゃんの苦悩を汲み取れないので、僕は呑気にベッドで身動ぎ一つ。


「……勇者様、クマとは?」


「雑食性の野生生物。背丈が二メートルくらいの、走る速度は六十キロ、木々も登れて泳げて崖から落ちても大丈夫で……力もあるね」


「つまり、危ないとは考えていると」


「うん」


「勇者様」


 身を正した。つい空気に引っ張られる。


「はい、なんでしょう」


「先ずは、その、身を起こしては?」


「良いけど」


 そうだった、僕は仰向けで優雅に手を後頭部に回していた。仕方がないので、起き上がりベッドの端に座る。文句はないだろうと伺いつつ、セルフちゃんの嘆息を聞き流す。


「勇者様、先ずは防具を……あ、着替えたんですね? 見慣れない意匠ですが、素敵です」


 僕の服装はパーカーに変わっている。これまた高価なオーダーメイドな一点物だ。セルフちゃんは一人納得し、兎も角と頭を振った。


「鍛冶屋とかに行きませんか、午前は」


「いや、要らない。着る理由がない」


「……あります。死なれては困ります」


「……、セルフちゃんはどうなの」


「この衣服には防護の奇跡が込められておりますので」


 セルブを摘み、軽い会釈。


「ふうん、凄いね」


「まあ、ええ。一応、ドラゴンの息吹にも耐える洗礼品なので」


 服の癖になんだその耐火性能。僕のパーカーはライターに負けるぞ、目茶苦茶に高いけどなんぞ野暮ったく思いつつ。


「大丈夫さ、僕やセルフちゃんはおまけだし。アイリスさんとヘルさんに任せよう」


 じとっと妙に湿気のある視線だ。いやなに、僕だってどうかとは思うが。あの女傑と剣聖が同伴するならば些細な問題であろう、油断して不意打ちされる可能性の方が低い。楽観視する訳でもなく、あの女傑が存在するだけで熊程度に怯える謂れはない。まあ、もしも魔物が熊さんより更に厄介であったとして女傑が負ける絵面が欠片も浮かばないのである。


 なんたって剣を額で粉砕する蒸気系動力兵器だ、吐く蒸気と立ち上る熱気は人間から解脱しつつある。目潰しなんざ試そうものなら僕の平和な指二本は複雑骨折しそうだし、口振りからすると敵となりそうな存在がいないように思うのだ。


「しかし勇者様、その身は一つしかありませんよ?」


「僕だって、それなりに動けはするよ。逆に君は、運動神経あるの?」


 僕はそこそこ動ける、素の状態でも。氏族基準では非力だが、英雄や武装幼女が例外なのだ。ふざけるな、人間は壁を駆け上がれないんだよ。まじで。


「……、はあ」


 失礼な、溜息を繰り返すセルフちゃんから視線を外す。なにはともあれ。


「そんなに心配する必要ないと思うけどね、王都付近なら安全なんじゃない?」


 現に城と言うのもあって平穏だ。魔物が怖いと思う場面もなくば姿形すら見ていない。空に巨大怪鳥も飛んではいないし、存外平和だ。勇者を呼んだ癖に世は常に泰平だが。


「それが、そうも言えないのです。魔物の脅威は私を含め教会の守り手による、大結界への魔力供給があってこそ健やかなる毎日がなされております」


 大結界。成る程、氏族界にある認識防壁みたいなものだろう。認識防壁(・・・・)に勝る結界があって堪るかとは思うが、許可なき侵入の阻止と言う一点は相違ないだろうし。認識防壁の場合は認識外を尽く受け付けない有屈指のイカれた結界ではあるが、大結界は話振りからすると魔物を識別しているのだろう。


 魔物と人類の違いが、なにかあるのだろうけれど。生物としての違いを検知するなら魔法って凄いなと思う、全く理解出来ないジャンルだ。これならフェルマーの定理の方が分かる気がする。


「じゃあ、君の身の方が大事じゃない? 僕が死んでも大丈夫だけど、セルフちゃんの死は国民の損失だ」


「……、まあ……そうですけど」


「なんでくるの? いらないんだけど」


 なにか言いたそうな目だ。ん、待てよ。


「……、つ……回復の奇跡で万が一には勇者様を……助けます」


「そっか、そうだったね。んー、僕の所為か」


「……、まぁ……そうですけど……!」


 セルフちゃんを弄り倒すのも程々にしないと何時か刺されそうだな、固められた小さな鉄拳を見つつ思う。


「魔物って、人類の敵なの?」


 素朴な疑問。


「……、ですね。魔物には、繁殖器官がないそうです」


「へえ……」


 そりゃまた、生物なのか。生き物としての機能がない、のに存在する。根絶していないのならば自然発生しているのか、生産されているのかの二択だが。


「ゆえに、魔物は恐ろしいものなんです。魔力の淀みから、突如現れ人を襲う……怖いものなんです」


「ふうん……」


 竜界(・・)に存在する魔生物と凡そ同じ生態をしているらしい。生き物の定義から外れた本能だけの存在は如何なる理由で発生してしまうのかは知らないけれど、魔力とか霊力とかエーテルとか言う未知のエネルギーがあるからこそ発生しているように思う。


 禁域指定世界、竜界は名の通り絶大で強大なる竜が発する力場によってエネルギーが循環されていたが。この世界の神、或いは生産元はなんだろう。竜、なのかな。やっぱり。とどの詰まり最奥を紐解けば氏族長の無意識によるものなんだろうけれど、僕の世界のように未知のエネルギーが全く存在しない世界だってある。魔生物とか魔法とかもなくて、科学しかない世界だ。


「ですので、武具屋に行きましょう」


「いや、要らない、着る理由がない」


 あれ、最近言った気がする。ついさっき位に口にしたような感覚。


「……なにゆえ……」


 セルフちゃんが頭を抱えたが、仕方がないので説明と解説を僕はしようと思う。武器と防具は有用だが活用するには下地が必要なのだ、僕に出来るとは思えない。


「あのね、セルフちゃん。防具って金属製だったりするだろう?」


 手振り。


「まあ、そう、ですね?」


 身振り。


「防具ってものはどうやっても関節は不自由になるんだよ、可動域の問題でね」


 分かるかなと目で訴えたが、セルフちゃんはぴんと来てはいないようだ。


「そうなんですか?」


「そうなんだよ、だから防具を着た素人はまともに歩くのすらままならないんだ」


「……ふ、ふむ」


 駄目らしい、どう伝えたものだろうか。鎧を着て日夜警備する兵士ならば分かるのだろうが、鎧は不便なのだ。隙間があればある程に頑強さはアキレウスの神話の如く、脆弱で虚弱な弱点になるのだ。関節を創意工夫で覆っても本来の動きに枷が嵌っているのだから、楽々と軽々と動けはしないし。


 しかも追加で重いのだ。訓練もしていない一般人が鎧を着た所で無駄に危険を買い漁るだけである、無論僕に経験はない。英雄ですら鎧なんざしていないのだ、砲弾とアハト・アハトが飛び交う戦場に生身と剣一本は些かイカれ度合いが違うが。


 あれは英雄だし、人間の僕には出来ない事だ。やらないし、やりたくない。なので、鎧は辞退したい。


「あのね、セルフちゃん。僕が一日中抱き着いていたら嫌だろう?」


「……一日中?」


 得心の行かぬ面持ちだ。小首を傾げる姿に、ふと思い付く。


「そうだ、よし、うん。あのねセルフちゃん。風呂だろうが花摘みだろうが、なんだろうが構わず僕が君に抱き着く。この腕で君の脇から手を突っ込み背後に立ち続ける、確り離さないように胸部で手を重ねる。足を君の腰に回して、下半身付近で交差させ固定する。顔はどちらかの肩から覗かせて貰いたい、首に息が掛かる……くらいの近さだ」


「は、はれんち……」


 信じられない目で見てくるじゃあないか、僕は真剣だ。命に投げ遣りになった覚えはない。念の為と一応で生きてはいるが軽弾みで心拍を刻んだ覚えはないぞ、僕は。誇れない人だが、恥じるべき生だが、人生そんなもんだろうに。


「は、はれんち、ですよっ」


 いや待て、待って欲しい。その目は違う。違うそうじゃない、セルフちゃんの裸は期待してない。

 

「いや、違う例え話ミスったよ。よし、えっとね? 重いだろうし動き難いって話だ。断じて、セルフちゃんを背後から抱き締めたいとかじゃない」


 いや、少しはあるが。僕だって小さくて柔らかそうな女の子に合法で抱き付けるなら進んで実行したいが、そりゃあ当たり前だ。可愛いって言うのは正義なのだ。猫や犬にも同様に人間はするだろう、それだ。正に。


「は、はぁ」


「僕が鎧を着たとしよう、絶対に躓く」


「なる、ほど……。でも、安全にはなるので……鎧……着て欲しいのですけど……?」


「いや、僕は要らない、着る理由がない」


 あれ、また妙な違和感。なんだこれ。なんだろうか。


「……、ん……んん……」


 不可解な顔をされた。


「あのね、疲れたくないんだよ。暑い、硬い、重い、狭い、全部嫌だ。夏と冬が僕は嫌いだ」


「ナツ、フユ?」


「……いや、いい。忘れていいから。もう、いいから朝食にしよう。そうしよう」


「あ、そうでした。アイリスが用意しているので是非茶会に来てください。ヘル様にもお声を掛けているので」


 今頃待ち侘びているかも、と。セルフちゃんの提案にどうでも良くなった僕は、早朝から誰かと食事する事態に陥った。とっとと頷けばこうならなかったのだろうか、ないな。うん。自問解決して、肩を少し落とす。


 聖女様は茶会が楽しみなのかウキウキで廊下に出て行くし、このままでは振り切られそうなのでベッドに根を張りつつあった腰を、僕はやる気のない掛け声と共に引っ剥がした。

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