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勇者と僕


 僕は、円卓の片隅でアイリスさんのロングスカートの裾に情緒を翻弄され目で追っていた。鼻孔に入った香りに息を休めて、肘を突いて僕はいる。焼き菓子と紅茶を人数分用立てる姿は本当に優雅で無駄がない。武芸者と言う人種は体幹が一般人より優れているもので、背の筋に歪みがないからこそ所作の一つを摘んでも垢抜けて優美であるのだろう。


 円卓では各色の勇者が座して雑談に花を咲かせていた。セルフちゃんは僕の隣で、不良君はウェンユェと女傑に板挟みにされていた。御愁傷様である、ざまあ見ろと内心思った。顔には出さないが、彼の犠牲には感謝しかない。一つ間違えば彼の席は僕だった、御免被る絶対に。


 対して僕の右側のエルフな勇者は無言だし、出された紅茶の水面を注視する姿は絵画にしか映らない。英雄と並んでも悪くはなさそうな雰囲気である。


 幻妖な、浮世離れした白い髪と金色(こんじき)の眼は憂いを湛えて儚げだ。涙袋も折り重なって失ったなにかに心を痛める乙女らしさがあり、口を閉ざす様は勇者よりは姫君めいたなめかわしさがあるもので。


 僕は年上かな、とか普通に気になる。お姉さん候補だ。僕の癒やしは堂々たる一位にアイリスさんがいるがな。


「って、訳で。自己紹介しましょか」


 ぱんっと手を合わせ、雑談を切りウェンユェは糸目を更に深めた。


「あてはワン・ウェンユェいいますぅ。ワン商会連合会会長の娘やらせてもろてます。改めてよろしゅう願いますぅ。あ、種族は人やなくて龍種やさかい間違えんといてな」


 パチパチ、セルフちゃんが拍手を送っていた。拍手を送るのが礼儀に反しないのは文化が似ていたようだが、カーシニゼーションみたいなもんだろうか。生きる上で似た環境だと種の枠組みを越境し姿が似るもので、収斂進化(しゅうれんしんか)するのは必然的な着地点であるのだろう。似る理由は似る訳があるって話だ。


 いや待て僕。そうじゃないだろ僕、確りしろ僕。


 ウェンユェの顔をもう一度観察する。人ではない、と言った。あ、目尻に翡翠の化粧してる。綺麗だなあ。じゃなくて、人じゃないのかその姿で。


「尻尾とか翼はみたらわかるけど隠せるんや……せやな、あてはこう見えて手が五十くらいは生きとる龍やさかい。実は騎士の剣は怖くなかったんよね」


 秘密やで、と舌を出した彼女の真意は汲めないが正体を明かしたのは勇者同士の交友に利があるからだ。どんな力を持ち、どんな頭の中しているか分からん連中ばかりだからこそ同じ境遇の勇者だけは啀み合う事もないだろうと提案したのだ。


 其処は、僕だって同意見である。


「え、龍? ドラゴン? まじか嬢ちゃん、素材とか欲しいんだが」


「……鱗はあげへんで?」


「牙! 武器ないから作る! 爪!」


「あかんわ、この人。話しきかへん。ええい、いずれは渡したるさかい、はよ自己紹介せえ!」


 ウェンユェの言葉に子供っぽく唇を尖らせた女傑は、頭を掻き灼眼に火を灯す。


「あたしは、請負機関の請負官さ。灼零(しゃくれい)って呼ばれたりもするけど、あたしを呼ぶならヘルって呼びな」


 ヘルの勝ち気な自尊心に満ちた顔。当然、視線は間に挟まった日本男児な不良君に集まった。


「もう俺か? あー、ハルカゼ・タイヨー(春風太陽)だ。ハルカゼが名字な? あ、人間だぞ、人間。高校生だ」


 分かる、分かるぞ漢字が。僅かに日本語に感動したので記憶領域を確保する。


「タイヨーくん言うんやね」


「や、めろ! 妹に会うために協力してるだけだろ、俺らは!」


「ええやんかぁ、けちー」


「うるせえ、触んな」


「ちぇ……。せや、タイヨーって変わった力があるんかいな?」


「あぁ? なんで言わなきゃならねえ? これ(・・)は切り札だし伏せ札じゃねえのかよ」


「いや、せやけどパートナーやん? あては特にないなぁ。あ、龍やから本来の姿がでかいってくらいかなあ?」


「だからなんだ、教えねえよ」


「いけずぅ」


「ふん……、で? 同郷っぽいあんたは?」


 困ったら僕に頼るのは悪い癖だよ春風太陽君。頼られ甲斐のない僕に助けを求めるな、うわ、視線集まった。どうしよう。そうだな。


「僕はいろはに・わをんです、大学生です。非力です」


「ぜってええ偽名だろてめええっ!」


 胸倉を掴む勢いで立ち上がった、ありがとう円卓、君に助けられた。


「いやいや、ほんとだよ、嘘じゃないよ、うん」


 僕は澄ました顔で台詞を吐く。


「いーや! 嘘だね! 俺は分かる! 分かるからなオイ!」


「なにか証拠あるんすか? それって貴方の感想ですよね?」


「てめえッ……! 表に出ろやッ……!」


「良いだろなんでも、区別して分別して判別出来たらさ」


 僕は、だから日本語で続けて春風太陽にこう述べるのだ。僕は悪くない、無罪ですと訴える。


「差別するなよ」


「ぐっ、……だからって……だからってそりゃねーわっ! いろはにわをん!? 名前っぽいけどよぉ! ねえだろっ!」


「ちりぬるを、ってね。名前なんて飾りだよ、そうだろう?」


「はぁあ? いいんかそれで! 俺名乗ったのに!」


「良いんだよどうせ、僕を呼ぶ人は少ないだろうし」


「はッ……意味わっかんねーよ」


 どかっと席に腰を戻した春風太陽の理屈にセルフちゃんの強い頷きが呼応する。いやだって、嫌だって、だもん。別に問題はない、一等に勇者様としか呼ばないじゃないか君は。君に名前を呼ばれる程に親しい仲でもないし、名乗るのが礼儀なのは認めるけれど極論勇者ではないが勇者呼びでも良いし。


 許容範囲を広げるまでもなく、するりと受け止めた。出会ってから凡そ五時間。ガラスの向こうはぼんやり街明かりが彩っているが、現代の夜景より随分暗かった。空を見やれば星空と月らしき惑星が幾つか伺える。


 雑談と立ち往生で時間感覚がイカれた訳でもなく、僕の脳内時計は恐ろしく正確(・・・・・・)だった。僕には普通でも、僕には日常でも、僕以外になるとそれは意想外で常なる日々から乖離するようなものだろう。


 僕達勇者は、短兵急(あの騎士のように突然)にこんな世界に導かれた。僕だって、食堂で英雄に会いさえしなければ此処にはいなかっただろう。今頃、夕陽を拝みながら土手道だった。氷菓を買って、親友のマンションに足を運んでさ。


 思考を淡く、僕には似合わない。


 室内を照らす照明は油により揺らめく炎ではなく、不可思議な光の玉が内部で浮いていた。僕はその光が嫌いになれなかった。電気より弱くて、炎のように揺らめく光は室内を優しく照らしている。円卓でこうして雑談を続けられるのも、光があるからだ。暖かさを発するランタンを流し見て。


 僕は拘りがないから、セルフちゃんやウェンユェやヘルの絶妙に難儀な顔には得心が行かなかった。春風太陽君としては日本語を話す人間だからって特別視されていそうだし、雑談も疲れてしまっていた。僕は独りは嫌だが一人で居たくなる人間だ、簡素に矛盾した心境を簡潔に開示する方法を僕は知らない。


 僕は、会話の間際と隙間を縫って黒き勇者を見やる。目が重なった、一点の曇りもない金色の奥底に蠢く感情は、怯えだ。誰に、ああ、僕に。この目の前の女の子はなにかがどうしてか、僕を覗いたのだろうきっと。


 無害で平凡な僕に、触れたのだろう。


「――せやから、いったんよ。あての夫になるなら惚れさせてみぃってな!」


「ふ、ふむふむ……そ、それでその殿方は?」


「宝石をくれたんやけど、あては物が欲しかったんちゃう。美辞麗句も、いらんかってん」


 ウェンユェの大袈裟な身振りと、鼓膜を揺らす歌うような言語に睡魔が薄く膜を張って来た。どうにも、僕は気が可笑しくなっているようだ。詩吟のように言葉巧みにセルフちゃんを惹き付ける手腕は流石だ、無意識にしろ、声量と敢えて核心となる所で抑揚の幅を変えて、少しだけ聞き取り難くするのは才覚が成せる技なのだろう。


 食い入るセルフちゃんの高揚は年相応で、どうにか嫌いになろうとしても無理そうだった。


「あてはさ、飾りはもとめとらん。あてを求めて愛してくれさえすれば、首を横にふらんかってんな」


「な、なるほど。勇者様は経験豊富なのですね」


「うーん、告白されるけど愛してはくれへんのよね。皆、あてを飾ろうとするんよ。しょーじき、うんざりやった」


 ウェンユェの苦笑いに、聖女は一種の尊敬を加えた眼差しだ。


「勇者様?」


 セルフちゃんが、小首を傾げた。僕は、巧まずして丁度無くしたパズルを埋めるピースが見付かって、ふとした思い付きで黒き勇者に向く。


「君は、自己紹介しないのかな」


 金の瞳を、瞼で一度拭う。全勇者の視線を受けて、二杯目になる紅茶の波打つ池から面を上げる。


「わたくしは……そんな(・・・)事に関わりたくないのです、から」


「そう言わずさ、損なもん(・・・・)じゃないだろ?」


 引用したのは耳に残るあいつ(・・・)の口癖だった。


 黒き勇者、一人だけ異次元に世界に馴染む華族(・・)っぽい姿。下手をすればアガレス王より巨大な国から来訪した姫君のようで、触ったら壊れそうだった。紅茶の湯気に息を吹き掛けて、黒き勇者の瞳は初めて皆を見た。僕に戻すと、少しだけ瞳孔が広がった。


「わたくしは、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップ……。ふう…………二度は申しません、宜しくて?」


 宜しくないが。全然悪いが。ちょっと文句言いたい、いや違うな。その出方をするならば僕だって煽り散らかすだけである。まあ、僕には直接関係はないのだが。歯には歯を、目には目を、である。ゆくりなくも僕は知っていた、煽る技術はあいつ(・・・)も得意だったから。やる気スイッチがオンだった不幸を嘆くが良い、僕は覚えたぞ(・・・・)


「うん、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ちゃん。ふう、いや、しんど。じゃないや、宜しくね」


 にっこりと、唇を引き絞る。


「……不敬な……、はぁ……宜しくてよ……。平民の言だもの……」


 深々と嘆息し、頬杖を突き、片手の紅茶を揺らす。事実、気にしてはいないようだった。諦観しているし静観している。もっとこう、高貴なお方とは沸点が低そうなのだけれど、予想は外れた。寧ろ、煩わしいから寛容なような気もする。


 たわわな胸部が円卓を圧迫し、ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんは心底素気なく目を背けた。不機嫌でもなく、無関心だ。嫌いだから、苦手だから、面倒だから、だろうか。


 僕にはちっとも()()()()()()()がな。


「それでユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃん……ふぅ、……君は僕達より前に王様と会ってるんだよね」


 金色の瞳は紅茶のまま、億劫そうだ。


「君が勇者であるなら、君は王様になにを求められてなにを願ったんだ? 僕が言えた義理はないけれど、さ」


「……そう、悩むのも人生ではなくて?」


 長い耳の、赤みは血の色だろう。ぴくりともしやがらない。


「悩む権利があるのは、選択肢があって余裕がある人間だけだと僕は思うけれどね」


「そう……、庶民は愉快な思想をお持ちなのね」


「そうかな。僕は少なくとも余裕があるから生きている訳じゃないから、何時だってギリギリで限界な僕に悩む権利はないよ」


「……庶民らしい言ですこと。わたくしの悩みの種はわたくしが手持ち無沙汰だからと、そう、仰るの?」


「そうだよ、念の為とか怖くて仕方がないから生きている僕には悩めない(・・・・)類の話さ」


「まるで知った風に仰るのね、庶民は。はぁ、……下らない言ばかり、たわごとはおよしになって?」


「分かった、じゃあ直球で真剣に話題を変えよう」


「……どうぞお好きになさって、宜しくてよ」


「胸触らせてください、後付き合ってください」


 その円卓を軋ませる双丘を、漆黒のドレス、ブラウスにより強調されたそれを指差してほざく。いや、欲求って大事だと思う。


「……、……。……宜しくてよ、…………?」


 やった。表情が崩れた、僕の勝ちだろこれ。勝った。早速手を伸ばす、幸運で奇数だが右隣なので手は届くのだ。


「勇者様っ! な、な、なにを言って!」


「いだだっ」


 セルフちゃんに左手を掴まれた。捻られて関節が悲鳴を上げている。


「てめえっ! 勇者なんだし日本人を貶めんな!」


 援護射撃もある。不利か、これは。


「男の子やねー、姫様っぽいし、しゃーないわぁ」


 ちゃうねん、無表情対決だったんや。


「いや、許可貰えたから良いんじゃないかな」


「……、はぁ」


 ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップちゃんは溜息を吐き、僕から視線を外していた。差し向けた手を視界の隅には入れていたようで、セルフちゃんに引っ張られる様を確認したから目を逸らした。


 一応、許可を出したものだから拒絶はしないが気にはなるようで。


「なんだぁ、喧嘩かぁ?」


 いびきをしそうな、目を擦るヘルさんの言葉に僕は漸く酷使し過労死寸前の表情筋を休めた。ブラック労働である、不当な残業であると表情筋達が労基を関し捲し立てるのを看過して。


そんな(・・・)んじゃないさ、僕と……。ユーフェ・フォン・デル・アベレイフォス・シュテルンリッター・ミーファ・クロイツェフ・アンジェゲルド・メシュフセラヴィーヒ・カレイド・ド・ドロップ……はぁ、ちゃんはね」


「よく、覚えてるなあんた。俺むり、ぜってぇーむり。訳わかんねえ。つーか、いっていい冗談には限界あんぞ」


 春風太陽は後頭部に手を回し、そう言った。


「そう、ですよ! 勇者様!」


 同意をしながら捕まえた手首を捻るな泣くぞ。見せてやろうか大学生のギャン泣き、引くぞ。やってやろうか。あ、待って本当に痛い。


「勇者様方、夜も更けたのでお食事など如何でしょうか」


 僕は、見計らったかのようなアイリスさんの提案に感謝する。やはり女神である。冷めた紅茶を飲み干してから、首を横に振った。僕と黒き勇者だけが、食事を断った。特別な意味はない、単純に腹が空いていないだけだ、紅茶と焼き菓子で一杯だったし。


 黒き勇者の耳は、長くて白くて林檎みたく赤をほんのりと浮かべていた。僕は、エルフに勝った。

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