Deeper
何者にもなれないまま大人になった。何者でもないからこそ、何者にでもなれる可能性が残っていはず。
夢にトキメキを感じていた自分を迎えに行く旅を始める。
まだ、遅くない。
私も誰かを愛し、誰かに愛されることができると思いたかった。
自分も世間一般の多くの人たちと同じように、恋愛感情を持つことができると、そう信じたかった。いつの日か自分がサイコパスと自覚するその日までは。
『違う』ことが怖くて、酷く冷めきった感情が虚しくて、良い人であろうと努力しては、ストレスを抱える毎日が過ぎ去っていく。
人間として生まれながら、同じ人間が怖いなんて誰が信じてくれるのだろうか。見え隠れするサイコパスの片鱗を必死に人間味で蓋をして生きてきた。
季節が巡る度に1人の世界に深く潜り込む自分に呆れては、「恋人がほしい」「友達がほしい」と譫言たちを並べて、気を紛らわせる。本当は、私は、一体何を欲しているのだろうか。あるいは、何も欲しくないのかもしれない。
共感ができることと、感じ取ることができることの間には大きな差がある。豊か過ぎる感受性のおかげで、周囲の人の感情が無条件に流れ込んでくる日々。自分のモノではないそれに、揺さぶられ、振り回されて、放り投げられる。
そんなことを繰り返しているうちに、聞いているふり、心配しているふり、共感しているふり、振舞いだけが上手くなっていった。
それでも能力は未発達のままなので、「それで困るのは私じゃない」というように、簡単に他人を切捨てることができ、精神空間の距離を一方的に作ってしまえるようになってしまった。
傍からみれば、コミュニケーション能力や共感力が高い子なんだろうが、内面を深く覗き込むと、他人の感情が理解できない私が無情の笑顔を浮かべて立っている。そこは、自分でも触れられない、触れてはいけない空間である自覚がある。
私はまだ本当の自分に向き合うことができていない。
5年前に固く閉じた鉄の扉を開けられないままで。
教えてほしい、私の中にある、私を作り上げた『違い』たちに。私は人間に対する恐怖心を、自分に対する嫌悪感を、拭い去ることができる日はくるのだろうか。
夢は叶うと純粋無垢にトキメキを感じていた自分に私はまた会いたい。いや、会わなければ。いつか必ず、その時が来る、必ず迎えに行く。
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