第66話、王子様の部屋
ラウディの部屋に向かう途中、メイアはいつもの事務的口調で言った。
「正直に言えば、私は自分を不甲斐なく思っています」
「……」
ジュダは歩調を合わせる。
「私は、ラウディ様の身辺の世話はもちろん、その警護も担当しています。あの方が幼い頃より、近衛の一員としてお仕えしてしておりました」
「……」
「ただ、ここ最近の、ラウディ様の身に降りかかった災厄――それらを未然に防ぐどころか、不覚をとる始末。はっきり申せば、私は自信を失いかけています」
「それは……」
ジュダは言葉に困ってしまう。
どう言うべきだろう。励ますべきか、黙って聞くべきだろうか。
個人的なことを言えば、ジュダは、メイアがラウディの侍女であり、多少の武術の心得があるという程度のことしか知らない。
「弱気になっているのは、私の眼が働いていないからです」
「目?」
ジュダは眉をひそめた。メイアは切れ長の目を向けてくる。
「眼です」
「見えない、とか……?」
盲目ではないはずだと思いながら言えば、メイアは口元に小さく笑みを浮かべた。
「ラウディ様のお母上のことはご存知でしょうか?」
「お母さん?」
ジュダは面食らう。メイアは立ち止まり、騎士生寮の窓から外の景色を眺めた。
「ラウディ様のお母上、エルファリア様は北の大地、イベリエ魔法国の姫でした。北方蛮族との戦争時、この国の王――ヴァーレンラント陛下の許へ嫁がれたのです。……私は姫の護衛士の一人でした」
メイアは続けた。
「私はイベリエ人。魔法に関して言えば、この国の平均的魔法使いより長けていると自負しております。そして私には、周囲のモノを見る眼があります」
メイド服の侍女は、窓の外の一点を指差した。
「あれが見えますか?」
「校舎、ですか?」
正確には、教室などがある三階建て建物の屋根だが。
「あの屋上に、私の眼があります。さらに申せば、この騎士学校の数箇所に私が見ることにできる魔法の眼――魔力眼を置いています」
メイアは今度はジュダをじっと見つめた。
「ラウディ様がこの騎士学校に籍を置いたその日から、あの方に迫る危機に対応すべく監視の目を光らせていたのです。……時々、学校を抜け出す不届きな騎士生の姿も見ておりました」
ジュダは口元を自嘲気味に歪めた。――それは俺のことかな?
「ただ、その私の眼も、ここ最近曇りがちです」
今度はメイアが自嘲するような顔になる。
「創立記念祭……あのあたりからですね。私の魔力眼に、霧がかかったような遮断が入るようになったのは。あの時は、来場する方が多すぎて、どなたかの魔力に干渉したせいかと思っていたのですが……」
ラウディ付きの侍女は目を伏せた。
「ここ最近、霧が濃くなってきており、私の監視の眼が十分に働いていません。敵はその隙をついて学校に侵入し、騎士生を暗殺者に仕立て上げている……」
無力です――メイアは唇を噛んだ。ふだんの彼女からは想像もつかない表情だった。
「私の力が阻害されていなければ、貴方に頼ることもないのですが……」
「……?」
「貴方には、今日からラウディ様の部屋で寝泊りしてもらいます」
「は?」
ジュダは耳を疑った。
この侍女は何と言ったか。
――あなたには、今日から、ラウディ様の部屋で、寝泊りして、もらいます……だと?
参りましょう、とメイアに促がされ、ジュダはその後に続いた。少々、面食らっている。何の準備も覚悟の間もなく、いいも悪いもなく。
ラウディの部屋の前には、屈強なる黄金衛士たちがいた。まるで騎士の彫像のように微動だにしない彼らの、しかし視線だけは近づく者を容赦なく凝視する。
ジュダが思わずガンを飛ばし返したのは、彼らがスロガーヴの苦手とする黄金製の鎧をまとっていたことも無関係ではなかった。……虎の口に飛び込むような気分だ。これからのことを考えると頭が痛くなる。
――さすがに部屋の中にまではいないようだな。
それなりに訪れている部屋ではあるのだが、外の警備が厳重だけあって緊張を隠せない。いや、緊張しているのは別の理由のせいだろう。
入り口から部屋を遮る仕切りを避けると、見慣れた内装の部屋――ではなかった。 正確にいえば、ベッドが増えている。
王族専用の大型ベッドがワンサイズ小さいものになっていた。さらに窓側に、ややレベルの落ちる――といってもそれでも凝った飾りがついている――ベッドがもう一つ。
――これが俺のか。
金髪碧眼の王子様は、光沢あるシルクの寝間着姿で自身のベッド上に正座していた。
パタパタと埃を払う仕草が見えたのは気のせいか。そのほっそりした体つき、盛り上がった胸元を見ると、王子の擬装ではなく女の子として振る舞っているように見えた。
「ジュダ、待ってたよ」
「……」
何だか楽しそうですね――ジュダは思わず出かかった言葉を飲み込んだ。
連日、騎士生に狙われ、すっかりダウナーな状態に落ち込んでいるかと思えば、割と元気そうに見える。
「呼び出してごめんなさい、ジュダ」
ラウディは、真面目な顔になって背筋を伸ばした。
「どうにも不安で。一人だとあれこれ嫌なことを思い出してしまうから……。迷惑だとは思ったけれど、君に来てもらった」
「構いません。俺はあなたの騎士、ですからね」
そう言うと、ラウディはうれしそうに微笑んだ。
「座って。窓側のベッドが君のだよ」
「安心しました。ベッドなしだと覚悟していましたから」
「そんなわけないよ。仮にも招いたわけだから、失礼がないようにするのが礼儀だから」
ラウディは足を崩してリラックスする。
「私のほうも安心してる。ジュダは意地悪だから、もしかしたら断ってくるかもって思った」
「ええ、俺は意地悪ですから、どうやって断ろうか色々考えました」
ジュダは、すっとぼけた顔になる。
「仮にも王族の、お姫様のお部屋ですからね――」
「お姫様言うな」
ラウディが口を尖らせた。ジュダは肩をすくめる。
「ええ、王子様。でもあなたは女性ですから、その部屋に俺のような野蛮な獣が寝泊りするのはどうかと――ほら、何でしたっけ。以前、あなたは言いましたよね……」
トニが騎士学校の、ジュダの部屋にやってきた時のことだ。彼女がエクート人の常識に従い全裸でジュダに抱きついていた光景を、ラウディが目の当たりにした。
「破廉恥。そう、俺は破廉恥だとあなたに罵倒された」
「いやだって、裸の女の子がいたら、それは――」
赤面しながらラウディはごにょごにょと。
「エクートが裸が普通とはいえ、どう見ても……如何わしいことをしていたとしか、思えないじゃん!」
「そうですね」
ジュダはしれっと頷いた。そろそろ本音でいいだろう。
「それはそれとして……本当に俺を部屋に招いてよかったんですか?」




