第64話、見えない敵の手
「二日間で三人か……」
ジャクリーン教官の呟きに、ジュダは顔をしかめた。
ラウディの部屋からさほど離れていないジュダの部屋。いまこの場には、部屋の主であるジュダのほか、ジャクリーン教官、ラウディ付きの侍女メイア、クラスメイトのリーレ、義妹ということになっているトニ、元騎士生のコントロ、そしてウルペ人魔法使いのマギサ・カマラが集まっていた。
「それで、ラウディ殿下のご様子は?」
「部屋で休んでおられます」
心持ちか、暗い声音でメイアが答えた。
「心身ともに疲労しておいでです」
「無理もありませんね」
リーレが口を開いた。
「こう立て続けに襲われては。しかも、相手は同じ学校に通う騎士生ともあれば……正直言って、周りの者すべてが敵に見えているんじゃないですか?」
コントロは難しい顔で押し黙る。ジュダはため息まじりに髪をかいた。
「下級騎士生、小姓科の見習い……あと誰だったかな?」
「クリエン・ピートレス。クラスは違うが騎士科の生徒だ」
ジャクリーン教官が、こちらも険しい顔で言った。靴先で苛立ちも露わに床をこする。
「成績優秀、あのクラスでは一、二を争う人材だよ。上位騎士生候補」
ジュダは、ジャクリーン教官を見た。
「襲った者に何か接点は……ありましたかね?」
「何も。エイレン騎士学校に通う、エイレンの騎士生とその見習いという共通点を除けば」
「クリエンは、ピートレス伯爵家の次男坊だ」
コントロが言えば、ジュダは眉をひそめた。――つまり貴族生か。
「ペイジ科の見習いは知らないが、下級騎士生の方も家の名前はまったく知らない」
「そっちは貴族生ではない、と」
ジュダは唸った。
「手当たり次第、暗殺者に仕立て上げられている、ということか?」
「とても厄介な事態だ」
ジャクリーン教官はいつもより厳しい顔になった。
「皆が疑心暗鬼に陥っている。騎士生たちには、今回の騒動がラウディ殿下を狙う襲撃者による呪術と説明はしてあるが、誰もが次は自分がやられるのではないかと戦々恐々だ。とても授業どころではない」
教官の言葉に、ジュダはまったくもって同意だった。教室での騎士生たちは、集中力が散漫、他に考え事をしている者が大半だった。
「恐るべきは、姿の見えない敵です」
メイアが珍しく顔をしかめさせた。
「こちらの警戒網に気取られることなく、学校に侵入し、生徒に呪術をかけていく――」
「王子殿下の周りには、常に近衛の小隊が警護してますからね」
黄金の甲冑をまとった近衛隊。鉄壁の防御と、高い士気に裏打ちされた精強なる部隊である。……ジュダとしては、目障りな金の装備がチラついて、平静を保つのに苦労している。
リーレは口を開いた。
「直接、狙えないから周りから崩していく。敵もやるわね」
「操られているのが騎士生だから、警備も一瞬躊躇う。実に嫌らしい手だよ」
「幸いなのは――」
ジャクリーン教官は、マギサ・カマラに視線を向けた。
「あなたがここにいらっしゃることだ。おかげで取り押さえた騎士生の呪術はすぐに解除される。もしあなたがいなければ、操られた彼らを隔離しておかねばならなくなり、やがては手の付けられない事態となったでしょう」
「いえ、私も、事が終わった後にしかお手伝いできずに申し訳ありません」
たしかに――ジュダは腕を組んだ。
マギサ・カマラは優秀な呪い解きであるのは事実だ。しかし彼女の力は、すでにラウディを襲った後の相手に発揮される。つまり、事前にどの騎士生が操られているかまでは察知できないのである。
「あの呪術をかけられた者には、ウルペ人の魔法文字が刻まれている」
リーレがコントロを見やれば、ジャクリーン教官は首を横に振った。
「事前に身体検査をすれば発見できる――のだが、いつどこで、誰が呪術を刻まれるかわからない。毎時間ごとに学校にいるすべての人間の身体検査をするなど不可能だ」
つくづく上手い攻め方をしているな、敵は――ジュダは素直に感心した。……感心するだけで済むならいいのだが。
「全員同じ場所にいれば、敵も簡単に呪術をかけることはできないと思うのだが」
コントロが言えば、今度はリーレが首を振った。
「全生徒が同じ場所に、朝から晩までいるとか。それも無理な話ね」
「こちらとしては、複数人で行動するよう注意するくらいしか手が無い」
ジャクリーン教官は肩をすくめた。
「単独行動を避ける。それだけでもかなり有効なはずだ」
「まとめて捕まったりしなければいいけど」
リーレが肩をすくめながら呟いた。
「ペイジ科の見習いとか、二、三人固まっていてもダメそうな気がする」
「確かにあの狐面が相手だとな」
ジュダは天井を仰いだ。そもそも上位騎士生候補ですらやられるくらいなのだ。簡単に無力化されて、気絶している間にそれぞれ呪術をかけられるとか、考えただけでありそうで怖い。
「なら、どうする?」
コントロは苛立ちも露わに手を振った。
「完全に敵のペースではないか! これではジリ貧になるのは明らかだ。敵を捕まえるどころか、王子殿下の身も危ない!」
「落ち着け、コントロ」
ジュダは低い声を出した。
「焦る気持ちはわからないでもないが、熱くなっても何も解決しないぞ」
「……ほう、では君に何か名案があるというのか? ぜひ聞かせてもらいたいな。その冷静なる君の頭脳で」
煽るなよ――ジュダは思ったが言わなかった。
苛立っているのはこちらも同じだ。それでも敢えて押さえ込んでいるのは、ラウディの現状の危機を脱する方法を考えるためだ。
「あの……よろしいでしょうか?」
マギサ・カマラが恐る恐る手を上げた。
「相手が誰に呪術を施すかはわかりませんが……呪術をかけられないように、予め対抗術をこちら側でかけておくことはできます」
「それは――」
皆が驚いた。
「予防できるということですか?」
ジャクリーンの問いに、マギサ・カマラはコクリと頷いた。
「はい。あまり大きな声では言えないのですが、呪術を利用された場合に備えて、対抗する術を開発しています。例えば――」
マギサは言いながら、上着の袖をめくる。出てきた彼女の細い腕には、青い文字のような入れ墨が刻まれていた。
「先に対抗術を施しておけば、新たな術をかけられることをある程度防ぐことができるのです」




