第60話、狐の襲撃者
右手を振りかぶり、殴りかかる――寸前、幌馬車から飛び出したメイドの両足蹴りを喰らい、吹き飛んだ。
「ラウディ様!」
メイアが守るべき王子殿下の前に立つと、両手に短剣を持ち、蹴飛ばした賊を睨む。
吹き飛ばされた狐面の襲撃者は、一度石畳に叩きつけられたが、すぐさま起き上がり、背中の剣を抜いた。真っ直ぐに伸びた片刃の剣――ジャクリーン教官の持つ長刀と同じ『刀』と呼ばれる東方の武器だ。
一方馬車の前方では、リーレとジャクリーンがそれぞれ狐面と対峙する。刀で武装した者、徒手の者――ペアを組んで一人に対し二人で当たっているようだ。
一方でメイアの前にいるのは一人。こいつを速攻で倒し、前の援護に回るべきか。ジュダが判断した時、メイアと対峙していた襲撃者は刀を振り、大仰な構えを見せる――ように見せかけ、その刀を投げた。
メイアはその刀を短剣で弾き飛ばし……目を剥いた。
一瞬の隙を付くように、狐面の襲撃者はメイアとの距離を詰め、右手の手甲をメイドの体に叩き込んだのだ。
今度はメイアが吹き飛ばされる番だった。……ラウディとマギサを守る盾がなくなった。
だがジュダはすでに踏み込んでいる。
「そう簡単に――!?」
ジュダが斬るより早く、襲撃者は後退した。
あまりに早い反応に戸惑うが、後ろでマギサ・カマラの「危ないっ!」の声に視線が向いた。
ラウディとマギサが倒れていた。その傍らには、キラリと刀身を輝かせる小刀。
「ご無事ですか? ラウディ様」
「ありがとう、マギサ……」
どうやら飛んできた刀から避けるために、マギサがラウディを押し倒したようだった。
しかし安堵している暇はなかった。小刀を投げた別の襲撃者が、音もなく降り立ったからだ。
――銀色……?
ジュダは目を瞠った。
狐面の仮面。しかしその黒地の衣裳は、細身ながら胸元が膨らみ女性らしいボディラインを描いている。銀色の髪――そして、お尻の線よりやや上からふさふさした銀色の尻尾。
ウルペ人の女性。それもかつて騎士学校にいた彼女を思わせる銀色の髪の持ち主。
――いや、待て、何故、ラウディを襲う?
ジュダは困惑した。だが見惚れている余裕はなかった。
一度は引いた狐面の襲撃者が、その右手をかざしてジュダに殴りかかってきたのだ。
――見事な連携だ。こうも視線を誘導されては、隙もでき放題、か。
ジュダは一歩引いて、相手の右拳を頭ひとつ避けると、左手を固めてそいつの顔面を殴り飛ばした。
少し力が乗らなかった。だがジュダの拳は、相手の仮面を砕く程度には効いた。
とっさに顔を隠した襲撃者は、素早く身を翻すと逃走した。若いウルペ人のようだった。
口笛のような鋭い音が響いたのはその時だった。
まるで潮が引くように、狐面の襲撃者たちは路地や民家の屋根へと飛び退き、下がった。退却の合図――他にも仲間がいたようだ。
しかしジュダにとってそれは些細なことだった。
まるでからかうように、身も軽く跳躍する銀髪の襲撃者。ジュダはその後を追った。
「教官! リーレ! ラウディを頼む!」
ジュダの目の前で、銀髪の襲撃者は路地へ飛び込むと、建物の壁を蹴り、素早く隣の民家の屋根へと飛び乗った。
軽やかに、そしてしなやかな鍛えられた動物の動き。惚れ惚れとする動作だ。……そんなものを見せられるとつい、子供の頃に戻ってしまう。
ジュダは力強く加速する。しかし軽甲冑とはいえ、跳ぶには少々重いので『狼脚』で魔力によるブーストをかける。
民家の壁を蹴って屋上へ……加速が足りないと、ここで上へと跳べない。子供の頃、ロウガ人の友人とよく遊んだのを思い出す。
月明かりの下、狐面の襲撃者は民家の屋根から屋根へ移動し逃走を図る。
――いいぜ、王都の屋根上は俺の庭だ!
狐狩りだ。王の暗殺のため、騎士学校に潜伏していた二年の間、夜の王都はジュダにとって散歩道に等しい。
銀髪の襲撃者は追跡しているジュダに気づく。果たしていま、どんな顔をしたのか――仮面に隠されたその素顔は見えない。
――もし、彼女なら、接触してきそうなものだが。
逃げる女襲撃者の後ろ姿を追いながら、別人ではないかという想いがよぎる。銀色の髪など、さして珍しくもなく、――いや狐人的にはどうなのだろう?
種族傾向として銀色の髪は珍しいのかそうでないのか。気になる所であるが、ウルペ人の知り合いで銀髪といえばかつてのクラスメイトだった彼女しか知らないから、そう思い込みたいだけなのかもしれない。
何にせよ、ここまで追ったからには襲撃してきた理由を突き止めないと。ついでにその正体も確かめよう。
――いや、この場合逆か? 狐の面を剥げば、おのずと答えは出る!
通りを挟んだ反対側の建物へ跳び抜ける銀髪の襲撃者。地を蹴る様は逞しく、引き締まったふとももからの足のラインが美しい。
何とも魅力的だ――そう思った瞬間、自分が狼亜人の思考にだいぶ染まっていることに苦笑した。
だが、ここにロウガの友はいない。もしこの場に彼らがいれば、あの狐面を追い込み、捕まえることも難しくないだろう。
一匹狼などと言われることもあるが、大半の狼族はチームで行動する。その役割分担、行動は傑出したリーダーのもと、獲物に喰らいついたら逃さない。実に執拗なのだ。
ジュダの狼脚にさらなる力が注ぎ込まれる。魔力による加速は消耗の度合いが大きいが、その速度は、速さに定評のある雷獣にも負けない。
女襲撃者は屋根から飛び降りた。障害物の多い地形に入り込んで、こちらの速度を潰しにかかるか――だが遅い。次に相手とジュダの体が直線で結べる位置に来たら最後、魔獣の牙が逃げる狐を仕留める!
ジュダも銀髪女の後を追って、屋根を降りた。その視線の先に狐面の姿は――なくて。
「!?」
一瞬戸惑う。――路地を抜けて曲がったのか。
滑るように着地した時、背後で気配を感じた。……後ろ?
ジュダは制止する。振り返ったその先、民家の屋根の上に、月を背景に立っている銀髪の襲撃者がいた。狐面のその顔はわからない。だだ視線は、真っ直ぐにジュダへと向いている。
――この一瞬で、俺の後ろに回ったのか!?
ドクリと、心臓が跳ねた。
いや、そんな馬鹿な。いくら何でも速すぎだ。まるで瞬間移動したような。それまで加速していた方向と逆方向に――そんなことは、スロガーヴでもできない。
――幻術、か。
ウルペ人が得意とする術が、ジュダの脳裏によぎった。追いかけていたと思っていたのは、敵の見せていた幻だったのか。
銀髪の襲撃者はジュダは悠然と見下ろしていた。勝ち誇っているのか。ジュダには判断がつかなかった。そのまま狐面の襲撃者は民家の影へと消えた。
もう、追いかけなかった。追いつけないのは明らかだったから。
「やるもんだ」
ウルペ人の集団。あれはいったい何なのか。何故、襲ってきた?




