第59話、雑踏の中
王都エイレンの、比較的広い表通りを抜け、ジュダたちは騎士学校へと向かう。無数の魔石灯が光を放ち、闇に染まった空とは打って変わって明るい。
人が多く、外からやってくる者も多い王都だけあって、まだまだ人々の動きは活発だ。酒場で一日の労を労う者、外食する者、夜の店などなど――
「酒か」
ポツリとジャクリーンが馬上で呟いた。それを聞き取ったジュダは小さく笑った。
「腹が空きました」
「どうだろう。学校ではなく、どこかで夕食をとらないか?」
「悪くない話ですが、お金を持っているのはあなただけですよ。奢ってくれるんですか?」
「いいだろう。奢ってやる」
ジャクリーンは、とある場所を顎で指し示した。――酒場だった。
「騒がしい場所はご遠慮願いたいですね」
ジュダは一転して断る。
「それに王子殿下を連れている今、寄り道は得策ではないかと」
「急に正論ぶりやがって。可愛げがないなお前は」
ジャクリーン教官は拗ねたように口を尖らせた。
「あなたの財布の中身を心配したんですよ」
「本当に、生意気な騎士生だ」
ジュダ――幌馬車からラウディの声がかかった。無言で御者台で馬を操っているリーレの横に、ラウディが身を乗り出した。
「このあたりでどこか食事できるところはないか?」
ジュダとジャクリーンは顔を見合わせた。何というタイミング。
「騎士学校に行けば、静かに食事できます。もう少し我慢できませんか?」
「いや、別にお腹が空いているとかそういう話じゃなくてだな」
ラウディは幌馬車内を一瞥した。
「ちょっとマギサ・カマラが王都を見たいというので……その、案内を――」
「却下」
「はやっ!?」
即答したジュダに、ラウディは目を丸くした。
「王都観光なら、明日でもできます。自重してもらってください」
「うん……そう、なんだけど」
何とも歯切れが悪かった。ジュダは、ラウディの態度を訝る。
何かあったのだろうか――その理由を推測して、ある仮定にたどり着く。
本当に王都観光したいのは、マギサ・カマラではなくラウディではないのか。要するに、マギサを山車に使ったのだ。自分から王都を見たいと言うのが恥ずかしいから、とか。
そういえば、以前、ラウディと王都を散歩したことがあった。いろいろ興味深げにされていた男装のお姫様だから、また少し冒険したくなったのかもしれない。
「あー、いい匂いがしますねぇ」
マギサ・カマラがひょっこり顔を出した。クンクンと鼻を引くつかせるのは、人間以上に優れた嗅覚を持つ亜人ならではか。
「お肉が食べたいですねぇ。食べるものについてはリクエストしてもいいのでしょうか?」
「まあ、あまり贅沢されなければ。騎士学校へ戻るまで、しばらく我慢を」
ジャクリーン教官が言えば、マギサ・カマラの狐耳がしおれたように傾いた。
「これだけいい匂いが立ち込めていて、お預けとは拷問ですね」
そう言いながら、マギサ・カマラは御者台のリーレの顔をまじまじと見つめる。赤毛の少女は表情を硬くした。
「何か?」
「いえ、リーレ、さん、でしたね。私の古い知り合いに似ているなぁと思いまして」
「そうですか」
そっけなくリーレが答えれば、ウルペ人魔法使いは小さく頷きながら幌馬車に引っ込んだ。
なんだったのか――思わず苦笑したジュダだったが、途端にトニが首を振った。活発にその耳を動かし、視線を四方八方へ飛ばす。
――トニが警戒してる?
ジュダは振り返った。夜にもかかわらず雑多な王都。騒がしくもあり、ごちゃごちゃとした物音や会話が混ざり合っている。
そんな中で、トニを不安にさせているものは何か。見れば、ジャクリーンの白馬も、そわそわ落ち着きがないように耳を立てている。
「なんだ?」
ジャクリーン教官は馬をなだめつつ、視線を飛ばす。ジュダはトニから降りると、彼女の背中を軽く叩いた。人型に戻れの合図――トニはたちまちその姿を変える。素っ裸に――しかしその顔は強張り、視線は建物の屋根から屋根へとせわしなく向く。
「何かいるよ、ジュダ兄。こっちを見てる」
「ああ……街中で君が人になったからな」
まとっていたマントを彼女にかけながら、ジュダは言った。
「そうじゃなくて――」
「わかってる」
冗談はさておき、煌々たる明かりに満ちた表通りに反して、建物の屋根より上は闇夜にまぎれてよく見えない。近場が明るすぎるのも考えものだ。
「何かわかるか?」
「うーん、人……ううん、亜人だと思う。身の軽いやつ」
トニがぴくぴくと耳を動かす。
「それも一人じゃないよ……」
リーレも馬車を止めて、夜空を凝視する。幌馬車から顔を覗かせたのはメイアだった。
「何か?」
「……頭を引っ込めてっ!」
リーレが叫んだ。
黒い小さな球体が飛んできた。それは夜に紛れて見分けが付け難い代物だったが、リーレは素早く腰の剣を抜いて、その球体を跳ね返した。
カン、カンと、石畳を跳ねた球体は、次の瞬間、真っ白な煙を大量に噴出した。突然のことに、周囲にいた人々が叫び声を上げて、恐慌を起こす。
「煙幕――!」
噴き出す白煙。それは一箇所だけではなかった。
表通りの数箇所で白い煙が吹き上がり、場の混乱をさらに混沌へと変える。
そして幌馬車から、小さな悲鳴が上がった。何事かと見たその時、幌馬車の中からも白煙が噴出した。どうやらあの球体を投げ込まれたらしい。
後手に回っている。そのことが気にいらなかった。ジュダは腰の剣に手を伸ばし、幌馬車の裏手に回る。予想どおり、煙に追い立てられるようにラウディと、彼女に支えられて、マギサ・カマラが出てきた。
「ラウディ、無事ですか!?」
「ジュダか? これはいったい……」
ラウディが煙に軽く咳き込む。
小気味よい、軽い足音のようなものが聞こえた。煙を抜け、ジュダの傍らを人影が抜ける。
「!?」
それは黒い衣裳に身を包んでいた。その顔には『狐』を模した仮面。背中に小さな剣を背負ったそれは、瞬時にラウディとマギサ・カマラの目の前に躍り出た。




