第51話、無実の可能性
コントロの背中に、魔法の形跡があった。リーレは顔を上げた。
「何の魔法かまではわからないけど。……あんた、この部分に何か魔法をかけた記憶ある?」
「はぁ? 知らないよ。だいたい、そんなところに魔法なんてかける奴がいるのか?」
コントロが声を荒らげた。リーレは腕を組んで真面目ぶる。
「子供の時に、どこかの偉い魔法使いに魔除けをかけられたとか、大怪我した時の治癒術とか、なくはないわ」
「そういうものなのか……」
コントロは少し驚き、ややして首を横に振った。
「いや、私の記憶にはないな。その手の魔法をかけられた記憶は」
「……だって。どうするジュダ?」
「例の魔法かどうか鑑定してもらおう。……レーヴェンティン教官に」
ジュダは立ち上がると、コントロの肩を軽く叩いた。
「とりあえずここから出してやる」
「どういうことだ、ジュダ・シェード?」
呆然とするコントロに、ジュダは意地の悪い笑みを浮かべた。
「仮釈放というやつだ。無実を証明する最初で最後のチャンスだ。……ここで死刑を待ちたいというならそれはそれで構わないけどね」
「願ってもない――と言いたいところだが……わからんな」
「何が?」
「君が私の無実を信じて、助けようとしてくれるのか、だ。……とても、意外だ」
「俺とお前は、仲が悪いからか?」
「悪いとは思ってはいないが、もちろん君が私を嫌っているのなら、そうだろうが」
「好きではない」
ジュダははっきりと告げた。
「だが見捨てるほど、嫌いでもない」
よりはっきり言えば、関心がなかった。
人間とスロガーヴという存在の違いが、一定の壁となっているのかもしれない。もし人間同士だったなら、ジュダは高圧的な貴族生である彼に恨みのひとつも持っただろう。
しかし、スロガーヴにとって、人間とは敵性種族であり、その感情はコントロ個人ではなく人間すべてに向けられていた。だから個人相手に特に深く関心が沸くことは、ラウディのような一部を除けば稀なのだ。
「お前がここに閉じ込められている間に、ラウディが襲われた。騎士生によって白昼堂々、首を絞められてね」
「王子殿下が!?」
コントロが驚きに目を見開いた。ジュダは面白くないことを告げるように淡々と言った。
「ああ、創立祭の時のお前と同じだ。だから不審に思ったんだ。もしかしたら、何者かに操られたんじゃないかとね」
「そんなことが……」
コントロはしばし絶句した。
ジュダは看守を呼び、大臣にその旨伝えるようお願いすると、コントロがぽつりと言った。
「ジュダ・シェード、ひとつ気になっていることがある」
「何だ?」
「君は、王子殿下のことを呼び捨てにしていないか?」
コントロは皮肉げに言った。
「それは如何なものかと私は思う」
・ ・ ・
コントロはその場で、エイレン収容所から釈放された。尋問による傷の手当てを受け、質素ながら服を与えられた。ただ貴族らしさは欠片もなかった。
ペルパジアの力により、牢獄から解放されたコントロであったが、完全に容疑が晴れたわけではない。
書類上、彼の身柄はペルパジア大臣が預かることになり、実際はジュダがコントロを監視することになった。
コントロの体にあった『魔法的文字』の正体を確かめるため、ジュダは騎士学校へと戻る。
隣にはコントロがいて、その後ろにはリーレとトニがついてくる。トニは人の姿をとっているので、この場では皆が徒歩だった。
にぎわう街並み。たった今、収容所から釈放された人間がいるとも知らず、人々は行き交い、日常を満喫している。
どこかそわそわしているコントロ。
隙を逃げ出そうとしているのか。それはないと思うが、なにぶん収容所での拷問を受けた後だ。その心理状態について、ジュダは自信がなかった。
「養父殿に迷惑はかけるなよ」
ジュダは、コントロに告げた。逃げるなよ、という意味である。
「その時は収容所に送り返してやるからな」
「大臣殿には恩を感じている」
コントロは、真面目な顔で返した。
「あの方に不利なことになるなら、遠慮なく私の首を刎ねてくれ」
「いい覚悟だ」
ジュダは肩をすくめた。コントロは口元を歪めた。
「覚悟……いや、一度は捨てた命だからな。こうして再び太陽の下に出られるものとは思っていなかった。……それも違うな」
コントロは空を見上げた。薄雲から覗く陽の光に目を細める。
「捨て鉢になっているのだ。私は王子殿下暗殺未遂の犯人であり、一族から放逐された身だ。もう多少のことでは驚かんよ」
「……気のせいかな、お前のその境遇、ちっとも不幸に思えない」
ジュダは淡々と言った。コントロは目を剥き、すぐに皮肉げな表情を作った。
「不幸自慢しているわけじゃない。してはいないが、バッサリ言われるのも癪に障るな」
「気を悪くしたなら謝るよ。ただ……うん、何でもない」
ジュダは皮肉の虫を押さえ込んだ。
――俺はこの国の王を暗殺しようとした。母親を処刑され、生まれ育った集落も滅ぼされ、多くの友を失った。故郷はない。不幸自慢なら受けて立てるな、うん。
「ジュダに完全に同意」
リーレが口を挟んだ。
「境遇なら、貴族生まれというだけであんたはまだマシだと言えるわ」
コントロは閉口する。ジュダは思わず笑みを浮かべた。……そういえば、リーレの出身についてはまるで知らない。貴族生ではないが、果たしてどのような環境で育ったのか。狂犬などと言われる人付き合いの悪さから見ると、あまり素行のよろしい場所ではなさそうだが。
――でもその割には勉強はできるんだよな。
読み書きできるし、魔法にも長ける。落ちぶれた魔法使いの家? いやそれなら騎士学校という選択肢はどうなんだ? ……いつか機会があったら本人から聞いてみよう。
しばらく黙々と歩きつづけ、やがてエイレン騎士学校の門が見えてくると、コントロは緊張を滾らせた。
「……また、ここに戻ってくることになるとは」
「一週間ほど前まで、お前はここの騎士生だったろう」
ジュダが見れば、コントロの顔に苦渋の色が浮かぶ。
「いったいどの面さげて、騎士学校に戻ってきたのか。……とんでもない恥さらしだ」
ラウディ暗殺未遂――王都では、その実行犯の顔は知れ渡っていない。しかし現場であるエイレン騎士学校の騎士生の大半は、コントロの顔を知っている。彼の姿を学校内で見かければ、多くの生徒が顔をしかめ、また好奇と侮蔑の視線を浴びせてくるだろう。
元貴族であるコントロにとって、それは屈辱だった。




