第47話、外出許可
リーレと別れ、ジュダは教官寮に足を踏み入れた。目的は、ジュダのクラス担当であるジャクリーン・フォレス教官の部屋だ。
二〇代半ば。長い金髪に碧眼の持ち主であるジャクリーン教官は、こと剣技にかけては騎士学校一という評判の持ち主だ。
刃物のように鋭い眼光の持ちながら、どこか涼やかで、絵に書いたような女騎士――とルックスだけならかなりの人気である。
ただ、やや実技重視なところと、『強さ』で騎士生を評価するところが、当の騎士生たちの評価を分けていた。ジュダのような、周囲から評判の悪かった騎士生に対して好意的なところなどが、奇異な点として見られるのだ。
座学より、実技を好むジャクリーンが、部屋で教本のおさらいをしているのは珍しい。食堂の騒動のせいで、教官たちも講義どころでなく、それぞれ作業をしているようだが、何故彼女は教本を読んでいるのか理解できなかった。
しかし、ジュダはそれに突っ込むことなく、自分の用件を彼女に突きつけた。
「外出許可だと?」
女教官は教本から顔を上げ、ジュダを睨みつけた。……機嫌がよろしくないらしい。
「ペルパジア大臣からの要請です」
ジュダは淡々と、ペルパジア大臣――ジュダの養父である人物が発行した召喚状を、ジャクリーンに差し出した。彼女は、その青い瞳を細めると、鼻を鳴らした。
「……気のせいかな? この書状は発行されてから、それなりに時間が経っているもののように見えるが?」
鋭い――ジュダは心の中で呟いた。
緊急で騎士学校の外に出る用事がある時や、養父に会う用件がある時のために、所持していた書状だ。大臣の署名なら、騎士学校を『公式に抜け出す』のに役に立つはずだった。
「一刻ほど前、ラウディ殿下が騎士生に襲われた件は聞き及んでいると思います」
「ああ、知ってる」
ジャクリーンはますます苦い顔になった。
「おかげで午後の授業はとりやめで、各自、自習のはずだ。私のいい付けを守らず、出歩いている生徒がいるとは」
「事が事ですから。大臣の要請を無視はできません」
「それもそうだ……お前の養父殿だったな」
ジャクリーン教官は机の引き出しを空け、紙切れを引っ張り出す。教官発行の外出許可証ともう一枚。
「しかし奇妙な偶然だな、ここに大臣からお前への召喚状がもう一枚あるのだが」
「……」
嫌な汗が出た。ジュダが提出した召喚状が古い物と看破したのも当然。ペルパジア大臣のほうから来いという『本当の』召喚状が発行されていたのだ。
嘘をついていたことがバレて、後ろめたさがこみ上げる。ジャクリーン教官は、この手の嘘を大変お嫌う性格の持ち主なのだ。
ジャクリーン教官は、その刃物のような目を細めた。
「見なかったことにしてやるから行って来い。大臣殿がお前に用があるのは本当だしな」
意外にも叱られなかった。寛大なる担任教官の判断に胸を撫で下ろしつつ、ジュダはジャクリーンが外出証にサインするのを見守った。
「……こういう言い方は不謹慎だが、正直、ラウディ殿下を襲ったのが私のクラスの騎士生ではなくてよかったと思っている」
「どういう意味ですか?」
「どうもこうも、ラウディ殿下を襲った騎士生の一人は、私のクラスの騎士生だ」
コントロのことだ――ジュダが会おうと思っている人物。元クラスメイト。
「そして今日の事件。もし王族に盾突いた騎士生が同じクラスの者だったら、担任である私にも問題があると思われる。何故事前に見抜けなかったか、とな。監督責任というやつだ」
ジャクリーンは自嘲気味に口元を歪めた。
「とりあえず、お前はよくやってくれたよ、ジュダ。お前がついていたおかげでラウディ殿下にお怪我はなかった」
怒られなかったのは、そのせいか? ジュダは思ったが、ジャクリーン教官はそういう恩を着せるようなことはあまりしない人であると思い直す。
「もっとも、この事件の当事者であるお前の口から、大臣へ、そして国王陛下のお耳に届くわけか。……今のところ首は繋がっていると思うが、私も覚悟したおいたほうがいいかな。あるいはハラキリか」
「少なくとも、あなたのせいではないと思いますよ、教官」
ジュダは慰めるように告げた。内心では『ハラキリとは何だろう?』と思ったが黙っていた。大方、東の国の言葉だろう。
「気休めはいい。お前がどう思ってくれても、他がそう思ってくれないこともある」
ジャクリーンは、自らのサイン付きの紙切れをジュダに突きつけた。
・ ・ ・
ジュダの愛馬トニは、エクート人だ。
人間的特徴と動物的特徴を持つ種族、いわゆる『亜人』であるエクートは、馬と人間、双方の姿をとることができる。闇の魔獣スロガーヴとして、他の動物から警戒されるジュダが、唯一乗ることができる馬が彼女だった。
ペルパジア大臣の書状、そして担任教官の許可で、騎士学校の敷地を出たジュダはトニの背中に揺られながら王都を進んだ。
騎士学校では大騒ぎとなった『ラウディ王子襲撃事件』も、王都の住人には知られていない。
食事を終え、午後の仕事に向かう人々とすれ違う。遅い休憩をとっている者たちが露店で談笑する様を眺めながら、ジュダは平穏な街並みを行く。
途中、表通りから細い路地へと方向を変える。高い民家に囲まれた路地は、昼間でも影となっているせいか薄暗い。通路に過ぎない場所に立ち止まる人間など稀だ。時々、鼻をつまみたくなるほどの腐臭が漂っているところもある。
裏道を行くことしばし、ジュダの視界に灰色のローブ姿の人物が映った。思わず微笑する。
ジュダはトニの背中から降りた。馬の姿だったエクートは、すぐさま褐色肌の少女へと姿へ変える。……全裸で。
幼い顔立ちに似合わぬ、大胆に育った胸元や、健康的に発達したボディラインを惜しげなくさらす。そのふさふさした文字通りポニーテイルを揺らし、しかしトニはすでに心得たように運んできた荷物の中から衣服を取り出し着込む。
そんな背後の連れの行動を他所に、ジュダは声をかけた。
「一国の大臣ともあろうお方が、こんな場所をお一人で散歩ですか?」
「体を動かすのはいいことだよ。体を動かさなくなると、人は途端に衰えるものだ」
そう穏やかな声を返したのは、ジュダの養父にして、ヴァーレンラント王国に仕える大臣であるペルパジアだった。
銀の刺繍の入った、小奇麗なローブを身につけたその姿は、寂れた裏通りには不似合いな存在である。見た目、六〇近い年齢とあっては、物取りなどの格好の獲物だ。
「お供はいないんですか?」
「居なくはない。ただ、それをお供と呼んでいいかどうかはわからないがね」
「というと」
「端的に言うと、監視だ」
ペルパジアの瞳が光った。しかし表情はどこか悪戯っ子のような笑みがある。
「君がスロガーヴであることは国王陛下の知るところだ。当然、保護者である私にも見張りはつくさ」
「俺のせいで苦労をかけます」
「なに、私は苦労などしとらんよ。スロガーヴであることが罪なものか」
「養父殿……」
ジュダは言葉もなかった。ペルパジアは穏やかに笑うが、すぐに真顔になった。
「歩きながら話そう、息子よ。ラウディ殿下がまた狙われたそうだね?」
「はい。幸い、怪我はありません。……ご一報は、王城にも届いているでしょう?」
「王子の身の安全は国の最優先事項だ。陛下も大層、王子の身を案じておられた」
「……でしょうね」
一週間ほど前、エイレン騎士学校の創立記念祭。亜人解放戦線の襲撃によりさらわれたラウディを真っ先に救助に向かったのが、祭に出席したヴァーレンラント国王だった。混乱する場からいち早く動き、お供を連れずに……。王という身分を考えれば自重すべきところを、単身救出に向かったのだ。
――娘の身を案じる親の鏡ではあるが。
ジュダは複雑な気分になる。その王を、母の仇としてつけ狙い、実際暗殺まで考えながら、土壇場で諦めた自分。
物思いにふけるジュダに、ペルパジアは言った。
「それで、犯行に及んだ騎士生は今どうしているのかね?」




