第45話、図書館の魔女
エイレン騎士学校の図書館。歴史書や戦史、魔法研究本などの棚が壁一面に設えた室内は、外の陽気とは裏腹にひんやりとした空気をまとっていた。
室内の至るところに設置された魔石灯が暖かなオレンジ色の光を放射している。だが見た目に反して、肌寒く感じる。
静かな空気をぬって、ジュダは意外に広い図書館を進んだ。
図書室ではない。図書館なのだ。収められた本の数も膨大。まるで本の森を探検するような気分になる。
嘘か誠か、図書館で迷子になったという騎士生の話なんてある。
――迷子になるのには理由がある。
ジュダとリーレは、魔石灯の数が少なくなった薄暗い本棚の間を進む。高い本棚。図書館の奥は、光の届かない闇の世界。魔石灯のわずかな明かりだけが頼り。
「――……その気配は、ミッテリィ騎士生だな。それと……もう一人」
闇の中から、静かな、しかし女性の綺麗な声が流れてきた。
何もないところから聞こえる声に、初見ではビクリとさせられるが、あいにくと初めてではないジュダである。
「お邪魔します、図書館の魔女」
ジュダは一礼した。
目を凝らせば、堆く積み上げられた本の山を、尻に敷いた妙齢の美女がいた。
緋色のドレス、その腰元から入ったスリットから白くしなやかな足が艶かしく覗く。
銀色の髪を三つ編みに、眼鏡をかけている美女は、表情というものが欠落した人形めいた表情で、本から視線を向けた。
エレハイム・レーヴェンティン。
彼女は、授業がない時は学校図書館のどこかで本を読んでいる。探しても中々見つけられないこと、普段から口数が少なく無表情なので、『図書館の魔女』と呼ばれている。
「……ああ、シェード騎士生。君が訪ねてくるのは珍しい」
「折り入って相談したいことがありまして」
ジュダは昼間に食堂で起きたラウディ襲撃事件のあらましを説明した。レーヴェンティン教官は無表情にそれを聞いていたが、最後にリーレが『催眠魔法』の可能性を口にすると高くそびえる本棚を見上げた。
「……催眠魔法」
「ええ、確証があるわけではないのですが」
リーレが言えば、ジュダは頷いた。
「先日の創立祭の時と今回の事件が、似すぎていて腑に落ちないのです。今日犯行に及んだ騎士生――名前はライ・フランベル。フランベル男爵家の次男ですが……クラスメイトから聞いた話では、特に王族に敵対的な言動は見られなかったそうです。それが突然、ラウディに襲い掛かった」
「素手で」
リーレが付け足す。ジュダは再度頷いた。
「クラスメイトたちは皆信じられないと口を揃えていました。ただ操られていたとなれば、凶器も準備せずに凶行に及んだのもわかるような気がします」
「……催眠魔法とは、対象の意識を朦朧とさせ、判断力を低下させた上で、行動するよう仕向ける……暗示をかける魔法」
レーヴェンティンは、講義する教官そのものの口調になった。
「……対象の思考能力を低下させ、考えさせない。そうすることで対象を操る。……ただ、催眠魔法というのは言葉にするほど簡単ではない。……何故だかわかるか、ミッテリィ騎士生?」
「対象と向き合い、暗示をかける必要があるからです」
赤毛の騎士生は、優等生そのものといった態度で即答した。
「そのため、対象が不審を抱いている場合などはかかりにくく、またあからさまに催眠へと導くような言葉や呪文は警戒心を抱かせます」
警戒されれば、やはり失敗しやすくなる。
「……その通り。故に、魔法と悟らせない、何気ないセリフや態度から入る。火や水を操るわかりやすい魔法と違い、非常に高度な魔法と言える」
レーヴェンティンは腰を浮かした。音もなく通路を歩き出す。
「……身も蓋もない言い方をするなら、催眠魔法とは、眠気を誘発する睡眠系の魔法である。睡眠の魔法と違うのは、完全に眠らせないようにすること。意識を低下させ、判断力を削ぎ落とさせることを言う」
そこで銀髪の女魔法教官は小さく笑った。
「……今、難しそうと思ったかな? 実際、難しいのだけれど、魔法を習得する段階において、難しそう、無理だという思考が一番邪魔なものでもある」
話が逸れた――と、レーヴェンティン教官は本棚から本を一冊抜き取った。
「……しかしシェード騎士生。あなたの証言から考えるに、通常の催眠魔法と異なる点が見受けられる」
「異なる点、ですか?」
「……容疑者が双方とも『発狂』に近い精神状態で行動していることだ」
レーヴェンティン教官は指摘した。
「通常の催眠魔法なら、彼らは善悪の見境もなく淡々と行動に移る。なぜなら思考力を低下させた状態で、行動をとらせるのは、極力命令は少なくしなくてならないからだ。少なくとも殺人行為と同時に声を荒げて暴れさせるような行為は無意味だ」
リーレがコクコクと頷いた。魔法教官は続けた。
「……どちらかといえば夢遊病に近い。つまり一度彼らは眠らされているのだ。おそらくその最中の記憶はないのだろう」
わかるような、わからないような――ジュダは困惑する。
騎士学校で教える魔法とは根本的に異なる系統だ。ここでの魔法教育といえば、魔石を使った火や水、雷を操る攻撃的かつ、目に見える魔法が主である。
「……ともあれ、この手の魔法は見えないだけに、証拠も残り難い。……しかし、高度な魔法ゆえに扱いこなせる者は、現役の魔法使いでも多くない。騎士生や一般の騎士教官ではまず無理と見るべきか。……いや個人の習得について断言はできないか」
独り言のように呟くレーヴェンティン教官。その彼女がチラとジュダを見た。
「……フランベル騎士生の行動はわかっているのかな、シェード騎士生。昼食前、彼は誰かに会っていたのか?」
「クラスメイトの証言では午前の講義から食堂に行くまで、フランベル騎士生が一人になった時はなかったそうです。食堂まで仲のよいクラスメイトが三人一緒でしたし、彼らも他の誰かに呼び止められたりはしていないと証言しています」
「……それは本当かね?」
レーヴェンティン教官の眼鏡が光った。
「……だとしたら、あなたたちは運がいい。フランベル騎士生が魔法により操られていたとするなら、犯行の直前ではない。一定条件下で発動する類のものと考えるのが自然だ。何かの条件で対象を軽い睡眠状態にし、暗示による行動で思考を満たし、行動に移らせた。そうであるならば」
「! 何らかの痕跡が残っているかも!」
リーレが声を弾ませた。そうなのか――魔法学についてはあまり詳しくないジュダである。
「時限式、それか条件付けによる魔法だとするなら、あらかじめ魔法を騎士生の身体に施しておかなくては発動しない。今回の騒動が、魔法によるものかどうかわかるかも!」
リーレの考えに、フフと女教官は魅惑的な笑みを浮かべる。
「……もちろん、催眠魔法などが使われていた、という話ならな。……しかし、あなたたちの仮説が正しいか否かくらいはわかるだろう」
容疑者――フランベル騎士生の元へ行こう。痕跡が見つかるかもしれない。




