第150話、逃亡者
「トニ! 生きてたの!?」
ラウディは、素っ頓狂な声を上げた。馬の姿のトニは首を振る。
『勝手に殺さないでよー』
文句を言う彼女は、視線をジュダに向けた。
『言ってなかったの?』
「言い出すタイミングがなくて」
肩をすくめるジュダ。ラウディは睨んだ。
「聞いてないよ! 私は、てっきり襲撃でトニも――」
王族の別荘を襲撃した亜人に襲われ、命を落としたか、あるいは収容された重傷者の中にいるかも、と思っていたラウディである。
「知ってたのに、ジュダは言わなかった。どうして?」
「とりあえず、トニに乗って」
ジュダはラウディを支え、トニに騎乗させる。
「いつ城の兵がここに来るかわからないので」
城から飛び降りることでショートカットした。普通の人間が装備をつけたまま、同じルートを辿るのは不可能。無理すれば落下死が確実だろう。
あの場にいたウルペ人のヘクサならば可能だろうから、それも含めて長居するものでもない。……かなり様子がおかしかったが、それをこちらが考えても仕方ないとジュダは思う。
「万が一の襲撃があった時、俺はトニに森に隠れて、待機しているよう伝えてありました」
『馬の姿に化けていれば、まあわからないよねってこと!』
トニは、ラウディを乗せて早足で動く。ジュダは背後を警戒しつつ、王家の別荘の方へと移動する。
「万が一の襲撃……?」
ラウディが首を傾げるので、ジュダは言った。
「ラハ隊長が、もしかしたら侵入者かもしれない、と言っていたので、念のため。それに備えるのが近衛や俺の立場ですから」
ラウディが心の休息を取れるよう護衛に務める。
「万が一がない方を期待していたのですが、本当に……」
『中々来ないから、そうとうマズいんじゃないかって心配した!』
トニは言うのである。本当なら、襲撃が終わってちょっとしたら呼ぶつもりだったが、ランカム城の騎士がラウディを暗殺しようとしたこともあって、トニの待機は続くことになった。
馬に乗って脱出するような事態に備えていたら、まさかの大正解。ランカム城で再びトラブルが発生し、偽者扱いされたラウディがまたも命を狙われる事態となってしまった。
「そうだったんだ……」
ラウディはホッと息をついた。
「無事でよかったよ、トニ。ジュダは何も言わないから、君のことを言ったら悲しむんじゃないかって、言えなかった。でもこれじゃあ私だけ心配してバカみたいだ」
『心配してくれてありがとね、オージ様』
トニは僅かに首を振った。
「ジュダ兄が意地悪なのは、今に始まったことじゃないからね」
「ラウディに遠慮したんです」
ジュダは反論した。
「他の重傷者がいて、誰かわかっていない状態で、トニだけ無事ですって言うのは、どうかな、と」
「言い訳だね」
『言い訳だー』
ラウディとトニは口を揃えるのである。――はいはい、俺が悪いですよ、ええ。
「それで、ジュダ。せっかくトニを待機させていたみたいだけど、別荘の先は行き止まりだよ。どうするんだい?」
「別荘まで戻ります」
「別荘……?」
ラウディは首をかしげた。
「何かあるの? 今あそこには誰もいないと思うけど」
『……いるよ。お城の兵士が四人か五人くらいかな。見張りについてる』
トニが待機している間に目撃した情報を披露する。ジュダは口を開く。
「その見張りはかいくぐる必要があるな。俺たちが向かうのは、防護室だ」
別荘の中、王族の緊急避難場所、籠城が可能な重防御の部屋。
「そこに今さら行っても……」
まさか立て篭もる気では、とラウディが不安な表情を浮かべると、ジュダは微笑した。
「ああいう避難場所には、脱出用の秘密の抜け道があるものです」
どうしようもなくなった時に備えて、外部へと王族を逃がすそれが、ないはずがなかった。
・ ・ ・
「逃がした!? 馬鹿め!」
ミヒャール子爵は声を荒らげた。
「どうしてラウディ王子が城外へと逃げることができるのだ!? あの部屋は何階にあるというのか!」
「あの、閣下、王子殿下の偽者、という話ではなかったのですか?」
騎士長が眉をひそめる。
「偽者相手を、王子と呼ぶのは些か不敬であると思われますが……」
「もちろん、偽者である!」
ミヒャールは苛立ちを抑えつつ、席についた。
あまりにあり得ないから取り乱してしまった。亜人の殺し屋たちは王子を仕損じ、この機を逃すまいと、本物の王子を偽者扱いして排除しようとしたが、まんまと逃げられてしまった。
いったい何をどうしたら、あの包囲下で城外に脱出できるのか。自分のところの兵は揃いも揃って無能なのではないかとさえ思った。
――しかし、これはまずいことになった……。
むろん、王子が偽者というのは、確たる証拠もなしにでっち上げたものだ。場の混乱を利用して勢いで押し切った命令であり、部下たちから『確かなのですか?』と問われるたびに心臓がキリキリするような命令だ。
あれで偽者扱いされたラウディが本物の王子だったと発覚すれば、ミヒャールの処刑は免れない。自ら危ない橋を渡りつつ、成功すれば大公の取りなしもあっただろうが、逃げられた上に表に話が漏れれば、怒れる国王に殺される。
「賊を追跡し、確実に殺すのだ。王子殿下になりすまそうとする悪逆なる行いを許してはならない!」
幸い、逃げたのはランカム城の城壁の内側。あの城壁を超えられなければ外へ話が漏れることもない。
限られた敷地内である。しらみつぶしに探せば、いずれ追い詰めることもできるだろう。
まだ慌てる状況ではない。まだ内々で始末できる。
ミヒャールは背筋を伸ばした。
――あのウルペ人め。仕留めきれないとは口ほどにもない奴。やはり亜人は駄目だな。
次話は20日頃、投稿予定。