第146話、近づく影
まったく騒がしいことだった。
「ジュダ?」
「ラウディ、落ち着いて」
ジュダは、そう愛しい姫に声をかけた。外が騒がしい。まるで城が攻められているようだった。
いや、そうなのか――部屋の外を重装備の兵が行ったり来たりしている。聞こえてくる金属の音は、戦装束をまとっているのか。
「何があったんだろう……?」
「わかりません」
様子を見に行くのは難しいが、廊下で兵を呼び止めるくらいなら大丈夫だろう。ジュダはベッドから離れる。ラウディの手が名残惜しそうに離れた。
しかし部屋を出る前に、扉が軽くノックされた。どうやら兵の方から来たらしい。
『夜分恐れ入ります、殿下。ただいまよろしいでしょうか?』
休んでいると遠慮してか、控えめなそれ。ジュダは扉を開けた。剣を構えた敵――ではなかった。
「何があったんです?」
「襲撃だ」
その騎士は答えた。相手が王子の護衛の者だったから、その口調も変わる。
「少数の亜人が、大胆にもこの城に攻めてきたのだ」
「手強いのですか?」
「なに、少数ならば直に鎮圧できよう。だが騒がしくなっている上、一言報告をと思って、伝令に参ったのだ。貴殿から伝えてもらってもよいか?」
「承知しました」
ジュダが頷くと、騎士は踵を鳴らした。
「では、私もそちらに回る。鎮圧したら、また伝令を送る」
「ご武運を」
ジュダの言葉に、騎士は頷くと足早に立ち去る。他の兵を引き連れて、侵入者の迎撃に向かうようだった。
ジュダは扉を閉め、ベッドの上に座っているラウディのもとに戻る。
「亜人って聞こえたけど?」
「少数ながら、この城に攻めてきたそうです」
無謀なことだ。ランカム城は、大規模な軍こそないが、複数人で制圧できるほど柔ではない。そこに攻撃を仕掛けてくるなど大胆を通り越して無謀としかいいようがない。
「別荘を襲った敵かな?」
ラウディはボソリと言った。その表情を見れば、先の襲撃における惨劇がその脳裏をよぎっているのを想像するのは容易い。ジュダは、わずかに視線を逸らした。
「可能性はあります」
城の防壁を乗り越え、大胆不適に王族の別荘に攻めてきた敵だ。それが容易なことではないのを承知で攻めてきた連中である。
ならば、このランカム城を攻めるという蛮行も、考えられなくはなかった。
――そうか、狙いは。
「狙いは、私か」
ラウディは悲壮感を漂わせる。また自分のせいで、と責めてほしくないが、おそらくそうなのだろう。
王子暗殺。そうでなければ、亜人も無茶な突撃など仕掛けない。
――そう考えると、今の攻撃はあからさま過ぎる。
ジュダは察する。表の騒ぎは囮ではないか。少数の敵が、王子暗殺を図るなら、こっそり忍び込む手を選ぶ。侵入途中に見つかったなら、さっさと逃げればいいのに、それをしないのは、つまりは城の警備の注意を引きたいからだ。
「一応、着替えておきますか?」
「そうだね」
何かあった時のために――と言いかける前に、ラウディもベッドから降りた。
敵の目的が王子なら、こちらにも現れる可能性は高い。今のラウディは、ジュダの護衛がついているとはいえ、彼女自身は無防備で、最悪、性別まで露見してしまう恐れもあった。
それに備えておくのは保険であり、もし敵がここまで辿り着けずに決着がつくなら、それはそれでよかったと思うべきなのだ。
ゆったりとした寝間着を脱ぎ、ラウディはいつもの男装をする。ジュダはそれを見ないようにしつつ、入り口、そして反対側のバルコニーの方を交互に見やり、注意を払う。襲撃者はいつ現れるかわからない。
「ジュダ」
「はい」
「見てもいいよ」
ラウディは言うのだ。矯正用の下着で胸を潰しつつあるところを、視界の端に捉え、逸らすようにバルコニーへ顔を向ける。雲が途切れ、月明かりが差し込んでいた。
「見てもいい、とは?」
彼女の白い体の線が、網膜にちらつく。
「あまり顔を動かしているとね、そのたびに私がドキッとするんだよ」
ラウディは自身の髪を束ねる。
「それならいっそ、じっと見つめてくれていたほうがマシかなって」
見張るべき方向が真逆なので、顔が動くのは仕方ないが、それで気を散らせてしまっていたようだ。こちらは役目を果たそうとしているのに、よくもまあ。
「それはどうも」
つい意地悪したくなる。真面目な警護の者なら、護衛対象を不快にさせたとかで謝るところなのだろうが。
「あなたの魅力的な体を見つめたら、仕事にならないのですが。見て欲しいですか?」
「うん、私を見て!」
「……」
あまりにはっきり言うので、ジュダは一瞬ポカンとしてしまった。自分を見てほしい、というその言葉、何となく意味はわかった気がするが、時と場所をわきまえてほしいとジュダは思った。もちろんラウディもそれをわかった上で敢えて言ったのだろうけど。
「露出のケがあるのですか?」
「そうじゃない……! ――ばか」
着替えを終わるラウディ。最後の小さな馬鹿は、不覚にも可愛いかった。改めてベッドに腰を下ろす男装の王女様。
ここから当面起きているつもりなのだが、何なら寝ていても構わないとジュダは心の中で呟く。敵が来たなら、自分が排除するからだ。
そして、それは来た。
バルコニーに降り立った人影。城の兵ではないのは明らかだった。ジュダは、剣の柄を握った。
次話は20日頃、投稿予定。