第145話、望まぬ来訪者
「やあやあ、人間ども、ご機嫌よう」
虎亜人の戦士ホーロウが、ランカム城の城壁の天辺の通路に現れると、たちまち警備兵が武器を構えた。
「侵入者!」
「フン!」
虎亜人の身軽な動きは、月夜の中もあって素早く、視界から消えるように早かった。
日頃から訓練を重ねていた兵たちだが、一級の亜人戦士の挙動は経験に乏しく、初手で遅れた。……そしてその遅れが、熟練の殺し屋にとっては致命的である。
鮮血が跳ねる。あっという間に後ろへ通り抜けるホーロウ。その間に、兵三人が首を裂かれて、膝を折る。
「こっちは挨拶してやっているというのに、ヒュージャンどもは何と礼儀知らずか」
警笛のような音が響く。耳障りなそれは、侵入者を告げる警報。守備隊が慌ただしく動き始め、ただちに迎撃行動に移る。
さすがに警備の動きは早い。
「だがオレはそれ以上に速い!」
肩で風を切りながら、堂々と歩くホーロウ。侵入された場所を特定し、迎え撃つために城の兵らの足音が、そこかしこで聞こえてくる。
「いたぞ! こっちだ!」
「ご苦労さん!」
声を張り上げた兵の首をホーロウの爪が貫いた。ある程度、声を出して位置を通報してくれないと陽動にならない。
近場で、ドサリと重い物が倒れる音がした。別口から現れた兵士を、潜んでいたクローウンが、やはり喉を掻っ捌いて仕留めたのだ。
「後ろは任せたぞ」
ホーロウは同僚に言い残し、自分は城の外壁中央へ向かう。高い城中央、その壁に左手の爪で弾きながら、外壁に沿って歩廊を闊歩する。
向かってくるランカム城の兵は、自慢の爪付き手甲で返り討ちにしていく。気分が高ぶってきた。血の臭いは、虎亜人を興奮させる。自然と鼻歌が漏れてしまう。
敵はどんどん出てくる。あまり増えても対処できないのだが、ホーロウの戦闘テンションは高まるばかりで、むしろ楽しくなってきた。
「ツエー奴はいないのか? オレはここにいるぞーッ!!」
・ ・ ・
侵入者の報告は、城主であるミヒャール子爵の耳にも届いた。
事務室にいて、食後にもかかわらず、書類整理をしていた子爵は、伝令に対して、ありきたりな迎撃命令を出した。
正直、自分が動かない限り、それしか出す指示がないのだ。侵入者があったなら、捕まえるか殺すか、その二択しかない。
まさか、素通りさせろとか、何もするな、などという命令を発するはずがないのだ。
伝令が下がった後、ミヒャールは退屈そうに肘を机について、壁に掲げられた自身の肖像画を眺めた。
蝋燭の火は、何とも心許なく、あまりはっきり見えないのだが、子爵は気にせず、一点を見つめる。
「狙いは、王子か……」
この難攻不落の城に、侵入するなど大馬鹿者だ。まともな神経ではない。それとも亜人というのは、それすらわからない愚か者なのか。まあ、そうなのだろう。きっと奴らには人間の作りし城がどういうものか理解していないのだ。
王子暗殺という命令を実行するためなら、息がもたないのに海の底に向かったり、崖から飛び降りて自滅するに違いない。
キィィー、とバルコニーの扉が静かに、それでも音を立てたので、ミヒャールは視線をそちらに向けた。
月明かりのせいで、影となっているが、細身の女のようだった。頭に獣の耳があるようで、亜人であることも悟る。
「ミヒャール子爵殿」
「亜人だな。ここがどこだかわかっているのか?」
「子爵殿の事務室だろう?」
亜人女――ウルペ人のヘクサは、すっと入ってきた。
「入室を許したおぼえはないが。獣臭い」
「それはそれは申し訳ない。ここしばらく、ずっと野営生活なものでね。臭いについては勘弁してほしい」
「夜の散歩ついでにやってこれる場所ではないのだがな。ラウディ殿下を殺しにきたのなら、部屋が違うぞ」
「おや、わかるかい?」
ヘクサは挑発的に笑みを浮かべた。
「さすがは子爵殿だ。賢い」
「……」
「衛兵は呼ばないのかい?」
黙したミヒャールが、武器を取るでもなく、兵も呼ばないので、問うてみるヘクサである。子爵は鼻で笑った。
「呼んだ時点で、お前は私を殺すのであろう?」
「さあ、どうだかね。お互い、どちらの立場なのかはっきりさせれば、無用な争いは避けられると思うのだけど」
ヘクサは指を二本立てた。
「あんたは大公派かい? それとも国王派かい?」
答えによっては、命はない――ミヒャールは察した。
「我が国に、大公派や国王派というくくりはない。表向きは」
子爵は席についた。
「故にこういう言い方をする者は、大公派ということなのだろうな。閣下からの命令なのかね?」
「そうだろうね。まあ、私は直接の上司の命令で来ているけれど、なにぶんそれより上の方に直接言葉を交わす機会はないからね。たぶん、そうなんだろうよ」
「あの方は、亜人嫌いでいらっしゃる」
ミヒャールはきっぱり告げた。完全に事務をこなす顔であり、敵を前にしての態度ではない。
「お前はお前の仕事をするといい。私は、見なかったことにするよ」
「いいのかい? あんたは、ここにいる王子様のお守りも仕事のうちだろう? 始末されたら困るんじゃないのかい?」
「それはそうだが、私は、大公閣下の庇護下にあってね。亜人に心配されることなど、これっぽっちもないのだ」
「それはそれは、余計なことを申しました。お許しを」
恭しくヘクサは頭を垂れた。
「では、私は仕事をやらせていただきます」
「後始末くらいはつけてやる。あと一応、ここでの会話は他言無用だ」
「心得ております。では――」
ヘクサは音もなく、バルコニーへ退出した。しばしそれを見送ったミヒャールは、ポツリと呟く。
「いったい外からどうやってここに入ったんだ……」
次話は来月5日頃、更新予定です。