第138話、扉の前
「さて、どうしたものか」
ヘクサ・ヴァイセは呟いた。カニス人の戦士ニーオスと共に、頑強な扉の前に立っている。この部屋だけ、造りが他と違うのは、一目瞭然だった。
「ニーオス、どう?」
「ニオイはしています、おそらくここでしょう」
犬顔の亜人戦士の報告に、ヘクサは鼻をならす。
「ここは外からは開けられない部屋のようね。緊急時用の避難部屋かしら」
「どうします?」
「どうしましょうね」
壁や扉を叩いてみて、その頑丈さには呆れる他がない。魔法や室内用の武器では、表面を傷つける程度しかできず、攻城兵器が必要だろうが、屋敷の中という都合上取り回しが利かないから使えない。
……そもそも、攻城兵器など持ち合わせていない。
「ここに王子が逃げ込んでいる。そして、中はおそらく食料など必要なものが蓄えられていて、いくらでも籠もることができる」
「時間は、我々にとって最大の敵です」
ニーオスは鼻をヒクつかせた。
「ランカム城から増援が来れば、ここから逃げねばなりません」
「それがわかっているから、一目散に逃げ込んだのね」
ヘクサはため息をついた。
「あぁ、もう油断した」
「そうなのですか?」
「あの弱くて未熟な王子なら、いつでも殺せるかと思って、慎重さに欠けていた」
ホーロウの提案に乗って、正面攻撃をさせた結果、黄金騎士や警備を引きつけることに成功したが、肝心の標的は、油断なく守りの堅い退避室へ逃げた。
臆病者、と誹ることもできない。この王族の別荘に襲撃がある時は、王族が狙われている時。
だからこそ、その王族をいの一番に逃がす。ここの警備と近衛たちは、その職務を一切の滞りもなく遂行したのだ。
「主が、部下たちの働きを邪魔しないというのは、いいことよね。……案外、あの王子、いい王様になるかもしれないわ」
ヘクサは苦笑した。権力者というのは時に我が儘で、我を通そうとする。その結果、部下たちの職務遂行にとって正しくない行動をとることもままある。
――敵は一人? たかが一人くらい、お前たちが鎮圧すればよい。我はここを動かんぞ。
とか。
――どれ、我を殺しにきた者の顔を見てやろう。
などなど。狙われているのが自分であると知りながら、しなくてもいい危険を冒す。護衛の立場からすれば、顔には出さずとも舌打ちしたくなるというものだ。
「王様になど、なれませんよ」
ニーオスは無感動な声を出した。
「我々が仕留めるのですから」
「だといいのだけれど……」
ヘクサが振り返ると、虎亜人の戦士ホーロウが、血まみれで現れた。
「あらあら、随分な格好ね。生きてる?」
「死んでるように見えますか?」
ホーロウは肩を押さえた。
「いやまあ、黄金騎士どもは返り討ちにしてやりましたがね。さすがに無傷とはいきませんでした」
血の半分は敵の返り血だと、ホーロウは肩をすくめた。残り半分は自分の血ということだが、この虎亜人はタフであった。
「血の臭いが凄すぎて、興奮してきましたわ」
「やめなさいよ、趣味が悪いわ」
ヘクサがうんざりした顔をしたところで、別の気配がした。暗殺チームの五人目、フードとマスクで顔を隠した男、クローウンだった。
「姐さん」
「首尾は?」
「別荘内は粗方片付けました。王子の姿はありませんでした」
「それじゃあ、ここにいるのは確定ね」
ヘクサは、改めて防御扉を見つめた。ホーロウが口を開いた。
「逃げられたんですかい?」
「あなたが表に踏み込んだ時点で、逃げ込まれたんじゃないかしらね」
自分たちがヘマした、などと思われたくないヘクサである。クローウンがこもった声を出した。
「悪い知らせがあるんですが」
「悪い知らせ? どうせ一つしかないけど、聞いてあげるわ」
「別荘の一角で、狼煙が上がっていました。おそらく――」
「襲撃の時点で、屋敷の誰かが通報するようになっていたのね」
これは思ったより早く、ランカム城の救援が駆けつけてくるだろう。いつから狼煙が上げられていたかはわからないが、すでに先遣隊くらいは城を出て急行中だろうか。
本当に、この別荘にいる者たちは、定められたルールに従い、それを間違いなくこなすよう徹底されていた。
たかが一人の侵入でも、自分たちで独力解決できそうであったとしても、侵入者があればそれが雑魚でも、ランカム城に知らせるようになっていたのだろう。王族を守るというのはそういうことなのだ。
「姐さん!」
外を見張っている蜥蜴亜人のアルローが、ぎこちなく駆けてきた。噂をすれば、である。
「来た?」
「えぇ、ランカム城からの騎馬隊が、間もなく、ここに到着します!」
アルローの言葉に、一同は神妙な空気になった。ホーロウが頸をかしげた。
「どうします? 多少時間があれば、やれるって言うなら、オレが表で時間を稼いできますが?」
「……多少の時間で、どうにか突破できるものでもないのよね」
ヘクサは、クローウンを見た。
「あなたが始末した中に、ジュダ・シェードはいた?」
「いえ。姐さんがマークしていた奴は見ていません」
「そう。つまり最高の――私たちにとって最悪の番人も、この中にいるということ」
どこぞの令嬢だか姫と一緒にいたジュダ・シェード。それが王子と合流したということなのだろうが。
――まさかあのドレス姿の娘が、王子の女装だった、なんてことないわよね……?
貴族の中には、少々変わった趣味の方はいるから、深く突っ込むことはしないヘクサである。
「これは、手を変えるしかないわね」
ヘクサ、そして亜人たちは固く閉ざされた扉を見つめた。
次話は今月20日に更新予定。




