ALCOHOL
「火事だー!!」
誰かが叫んだ。
俺は入ってきた入り口を見た。
そこからは黒い煙がもう入ってきている。
人々がパニックになって入り口にたかる。
煙に巻かれながら他人を押しのけ我が我がと押し寄せるが、あの煙の勢いではおそらく入り口はもうだめだろう。
俺はお絞りに水を含ませ、口元を押さえる。
それから身を低くしてある物を探す。
黒煙の広がりは早く、視界は一気に失われる。
「きええぇぇぇぇぇ!!!!」
何をトチ狂ったか、誰かが奇声を上げ、窓を開けて飛び降りた。
馬鹿だ。
ここは五階だ。
飛び下りたところで助かりはしない。
人は何メートルから飛び降りたら死ぬのか、小学校で教えるべきかもしれない。
それからまた何人かの馬鹿が飛び降りた。
俺は視界の悪い中ようやくあれを見つけた。
それは波長の短い青でもなく、波長の長い赤でもない、中間のスペクトルの緑の光である。
物置同然の扱いであったそこのものを無造作に俺はどけ、呼吸を止め、お絞りをドアノブに当ててひねる。
開かない。
鍵がかかっている様子は無かった。
錆びついているのか、と心の中で悪態をつき、ドアを二、三度蹴る。
開かない。
ドアを引いてみた。
開かない。
非常口は完璧に非情口と化していた。
俺は諦めてその場に横たわる。
もう何をしてもだめなら消防隊が来るのを待つしかない。
間に合えばの話だが。
きっと間に合わないだろう。
どうやら保険証の裏に書いた臓器提供の証明は無駄に終わりそうだ。
「大丈夫か!誰かまだいるか!生きていたら返事しろ!」
消防が来るには早すぎる。
どこの馬鹿だ、火事の中に突っ込むことがどれだけの愚行か、誰か教えてやれ。
「生きているか?今助けるからな!」
水で濡れた衣服の気持ち悪さが俺を襲う。
肩に俺を担ごうとした奴が立ちあがり、そして倒れる。
言わんこっちゃない、一酸化炭素中毒だ。
ちっぽけな正義感のためにこんな犬死なんて無様な奴だ。
けれども、そんな無様な奴がこの腐った世の中に生きているってことは存外気分のいいものだ。
俺はふらりと立ち上がりもう一度非情口に立ち向かう。
それはいわゆる火事場のクソ力という奴かもしれない。
思いっきりタックルしたら非情口はドアの向こうで何やら階下に物を落としながら開いた。
それから黒煙の中から俺は馬鹿を引きずりだして、奴の口元に手をやる。
呼吸はしていた。
ちゃんと医者に見せた方がいいのだろうが、とりあえず生きていたことに安堵する。
それから奇妙な感覚に襲われる。
火事になる前は俺はあんなに死にたがっていたのにと。