19 初依頼 3
「…………」
再び剣を抜き、瀕死の状態で横たわるコボルトの喉にその切っ先を突き立てようとした状態で、私は固まっていた。
回収部位の分からないエルダートレントの事は放置して、コボルト達の耳だけを切り取って帰ろうとしたのだが、その中の1匹にはまだかろうじて息があったのだ。それは私がここに着いた時には既に地面に倒れた状態で、もぞもぞと動いていた個体だった。
コボルトに思い入れなどは無いし、これが魔物だとは分かっている。私は屋敷にいた時、周りに広がる森に出かけては散々魔物と戦っていたし、先程他の魔物と戦っているコボルトを見ていた時も魔物同士の戦いとして、何も感じていなかったはずだ。
どんな姿であってもせいぜい気が進まないくらいで、魔物を殺す事になっても躊躇することなどないと思っていた。しかし実際にこうして横たわるコボルトにとどめを刺そうとしてみると、犬のようなその見た目のせいで、樫村絢芽だった頃の記憶をいつも以上に強く思い出した私は躊躇してしまっている。
「………ごめんね」
しばらくの間そのままの状態で躊躇していた私だったが、意を決して瀕死の状態で横たわるコボルトの喉に剣の切っ先を突き立てる。コボルトは数度痙攣すると、そのまま動かなくなった。
「前世の記憶がこんなに足を引っ張るなんて……」
私はそう呟きながら、1つため息を吐いた。
「……話を聞いた限り、おそらくアイリさんが戦ったのはエルダートレントではなく、フオルンと言う魔物ですね」
「フオルン?」
「はい。この街の周辺の森で時折その姿が確認されるフオルンは、トレントと呼ばれる植物系の魔物の亜種だとされています。そしてエルダートレントはそのトレントの上位種である、と言われています。
エルダートレントはその数自体が少ないと言われていますし、植物系の魔物は住処とした場所からはほとんど移動しない性質を持つようなので、エルダートレントどころかトレントがこの街の周囲に現れた、という記録すらギルドには残っていません」
私はコボルト達を右耳を切り取って回収した後、アレスの街へと戻っていた。その後、依頼達成の報告をしようとギルドへ赴き、受付で詳細を説明して依頼達成の報酬を受け取ったところで、受付嬢からそんな話を聞かされたのだ。
受付嬢が先程言ったフオルンとやらも、エルダートレントも私からすれば同じように木のような魔物、という認識でしかなかったのだが、どうやら私が相手にしたのはフオルンで、屋敷の周辺にいた魔物とは種類が違っていたようだ。
私は依頼達成の報告をする際に、回収したコボルトの耳を受付嬢に提出した。これは依頼達成を証明をするために必要なことだ。しかし、私があの場に着いた時には既に頭ごと無くなっていたコボルトの死骸もあったので、回収できた数は昨日私がギルドへ報告したコボルトの数よりも少なかった。
そこで私は受付嬢に、私がその場に着いた時にはもう頭が無くなっていたコボルトの死骸もあり、近くにいたエルダートレントに頭を喰われたのだと思われる、という話をしたのだ。
それに対して、受付嬢からは街の近くにエルダートレントがいたという記録が過去には無く、フオルンという魔物の姿が森で時々確認されるくらいだ、との返答があったので、今日私が相手にしたのは屋敷の周りの森で見かけたことのあるエルダートレントと呼ばれる魔物とは別種の魔物であるらしい、ということが分かった。
「それにもし仮に、エルダートレントが森に現れた、となった場合は、最低でもBランク以上の冒険者の方の力が、それも複数必要になりますので、他の街や都市に応援を要請しなければならないような、そんな案件になります。」
「そうなんですね……」
「はい。トレントやフオルン、エルダートレントといった魔物は、自分の近くの植物を操る事ができるのだそうです。
フオルンはトレントより知能が低く、自分のすぐそばの植物しか操る事が出来ないそうですが、トレントはフオルンよりも広範囲の植物を、さらにその上位種であるエルダートレントはより広範囲の植物を操るのだそうです。
なのでそれらを討伐するためには一定以上の戦力を持っている方々をそれなりの頭数で揃えて一気に本体を叩く、という手段を取らなければならず、そのための戦力を集めるのにも、それを討伐にも非常に苦労する、と聞いています」
「…………」
エルダートレントがそんなに強い魔物だとは知らなかった。私は屋敷の周囲に広がっていた森で魔物と戦った経験自体は何度もあるのだが、それは今となっては戦闘、と呼べるほどのものではなかったのだ。
私が腕を竜のものに変化させて、魔物目掛けて振るう。その爪が直接触れれば魔物はバラバラに引き裂かれていたし、鱗に覆われた腕に当たっただけでも魔物は吹き飛んだり、粉砕されて粉々になったりしていた。
基本的に私が魔物の隙を突いて先制攻撃を成功させた場合は戦闘開始と同時に戦闘が終了していたし、奇襲をされたとしても私が変化させた腕を魔物に向かって振り、それが当たればそれで終わっていた。仮に怪我をしたとしても私はその場で治せるし、屋敷にいた時には人目などは無かった。そもそも屋敷にいた頃の私が魔物を相手にしていたのは形態制御のギフトを上手く扱う練習をするためだった。
屋敷の周囲の森には反射速度や俊敏さといった要素で私の攻撃を避ける魔物もいたが、エルダートレントの動きは俊敏ではなかったので、周りの植物を広範囲で操る様子を見せる前に私が腕を振り、戦闘が終わっていたような記憶しかない。
「あの、ヴェノムスライムとかシェロブとかって言う魔物は……?」
「ヴェノムスライムとシェロブですか。ヴェノムスライムはその大きさによって対処の困難さが違う、とされていますが、シェロブは蜘蛛の魔物としてはかなり上位の種になりますので、エルダートレントと同じように他への応援要請が必要な案件になるはずですね。
Eランクのアイリさんでは歯が立たない相手ですし、もしそれらを街の近くで発見した、などと言う事になればギルドマスターに報告しなければなりません」
「なるほど……」
私は受付嬢の言葉に眉をひそめる。どうやらこの受付嬢にまでは私の素性が伝わっていないようだ。
目立ちたくないと考えている私にとってはそのことは問題ないのだけど、先程の受付嬢の返答から得られた魔物の情報は聞き流すべきものではなかった。
(……もしかして、屋敷の周りって強い魔物しかいなかった?)
父が竜であるからなのか、それとも単に強い存在であったからなのか、その辺りを詳しく聞いたわけではないので分からないが、弱い魔物は父の住処であった山の周囲に立ち入るのを避けていた。
屋敷に父がいるのは稀だったが、父の配下であるという竜達は屋敷の周りに常にいたようだし、話を聞く限り普通の竜となら闘える強さを有しているらしい母もその屋敷に住んでいたのだ。
それを考えれば、屋敷を囲んでいた森には弱い魔物が立ち入らず、強い魔物しかいない状況だったという可能性は十分にある。
思い返してみれば、自分の目で初めて見た魔物となったヴェノムスライムと呼ばれるスライムは他の魔物を丸ごと呑み込めるほど巨大だったし、私を襲ったあの蜘蛛のような姿の、シェロブと呼ばれる魔物の糸は、たった3本で暴れる私を問題無く吊り上げる事が出来るほど強靭だった。現に受付嬢はエルダートレントもシェロブも上位種であると言っていた。
「…色々と参考になりました、ありがとうございました。では私はこれで失礼しますね」
「はい。お疲れ様でした、アイリさん。またよろしくお願いします」
受付嬢と言葉を交わし、私は宿へと戻った。
翌日以降、私は新たな依頼などは受けず、街の中を散策したりして過ごした。依頼達成から2日後、今日は城塞都市エリスに向かう乗合馬車に乗る日だ。
「マッドさん、色々とお世話になりました。本当に助かりました」
私を見送るために宿の入り口まで出て来たマッドさんに、私は感謝を伝える。
思えばこの街に着いた時から、ずっとお世話になりっぱなしだった。もしもマッドさんのフォローが無ければ、私はギルドで面倒事を引き起こして、冒険者として登録することすら出来なかったかも知れないのだ。
「いえいえ、アイリさんのお役に立てたなら幸いです。またご縁があればお会いしましょう」
そう言いながらマッドさんは、にこやかにあいさつを返してくれた。
この街からこんなに早く離れることになるとは思っていなかったが、世界を廻るためにいずれは街から出る予定だった。予定が早まっただけだ。これから先はマッドさんのサポートも無いので、目立たないためにも自分で面倒事の種を蒔くような事は避けなければならない。
「あ、お姉ちゃんだ!お姉ちゃんも一緒なの?」
「あ…うん。またよろしくね」
私は数日前にお別れをしたばかりのリッタちゃんと再会した。そうだった。アレスの街は乗合馬車が往復する進路の途中で、乗合馬車は数週に一回来て、数日滞在した後、次の場所へ向かう。私がこの街に着いてからまだ数日しか経っていないのだから、今日乗合馬車に乗ると来た時と同じものに乗る事になるのだ。
リッタちゃんの後ろで父親と思われる男性が、娘の話相手が出来た事に対する喜び気持ちと、娘の将来を心配して悲しむ気持ちの間で揺れ動いているような、何とも言えない微妙な表情をしながら、リッタちゃんと話す私を見ている。
この状況も、リッタちゃんが冒険者を目指すと言い出したのも、私にそれら全ての責任があるわけではないはずなのだけど、その表情を見ているとなんだか非常に申し訳ない気持ちになった。
しかし、旅の途中で何も起きなければリッタちゃんの話相手になるだけで済むはずなので、私は心の中でこれからの旅路で何も起こらない事を祈りながら、乗合馬車に乗り込んだのだった。