18 初依頼 2
翌日、私はまた1人で森の中を歩いていた。
(普通に考えたらそうなるよね……)
私は昨日、特に何事もなく日が暮れる前にそのまま森を抜けて、アレスの街に戻ることができた。
そのままギルドへ立ち寄った私は受付で報告をして、コボルトが手にしていた石片も提出したのだけど、「5匹のコボルトに逃げられた」という事実だけでは調査不足と判定されてしまった。
追加情報として、今までの目撃証言ではコボルトが1匹か2匹、同時間帯にはそれが2箇所程度でしか見かけられていないので、1箇所に5匹居たならそれが全てである可能性が高いだろうとのことだ。
「はあ……」
思わずため息が出てしまう。
昨日は運良くコボルト達を発見することができたが、あの見た目通り鼻が効くとするなら、おそらく昨日のあれで私の匂いなどは覚えられてしまっただろう。
どの程度の距離まで近付いた場合にコボルト達が私を感知できるのかまでは分からないが、対する私が森の中で視認できるのは大した距離ではない。
下手をすると、徹底的に接触を回避され、今後一切見つけられない、という可能性もある。
仮に気付かれる事なく距離を詰めることに成功して、コボルト達を見つけられたとしても、また脱兎の如く散り散りに逃げられる可能性が高い気がする。昨日のコボルト達からは私に立ち向かおう、という気概が感じられなかった。
昨日のように逃げられた場合、私では追いつくのは無理に近いだろう。私も小回りが利かないとまでは言わないが、おそらくコボルト達の敏捷性の方が上だ。それを森の中で5匹も追い回す、などというのは正気の沙汰ではない。
竜の腕を使って、コボルト達が見つかるまで木を切り倒しながら捜索する、ということもできると言えばできるのだけど、流石にそんなことはやりたくない。そんな事をすれば目立つし、後でそれ以上の問題が色々と出てくるのはほぼ確定的だと言っていいだろう。
「どうしようかな……本当に」
昨日ギルドに戻った時点で、索敵技能に長けた人材を探すというのは候補に入ったが、城塞都市エリスに向かう乗合馬車に乗る予定日は2日後に迫っている。そんな内容的にも時間的にも厳しい依頼を一緒に受けてくれるような人はいないだろう。
(コボルト達を殲滅するか、せめて根城というか巣穴というか、そういったものを見つけて次の依頼として引き継ぎができるくらいの情報は必要だよね……)
「見つからないよ……」
その後も私は森の中をあてもなく彷徨い、もういっそ森を切り拓いてしまおうかと考えていた。初依頼を失敗で飾るくらいなら多少目立つ方がまだマシかも知れない。そう思い始めていたのだ。
自分の右手を見ながら森を歩き回る。右手を握っては開く、握っては開く。それを繰り返しつつ、周りを見ながらどの辺りから切り拓こうかと考えて歩いていたところ、今までの環境音には無かった音がかすかに、私の耳に拾われた気がした。
(……何かな?あっちの方かな……)
謎の音の音源があると思われる方向へと歩いて行く。音源に近付くほど、その音が大きくなる。
(獣の唸り声と…木が軋んで、折れるような音?それに風切り音みたいなのも時々かな)
「……あれかな。おお、コボルトが木と戦ってる」
私は音の正体を特定することが出来た。幹に老人の顔のような部位を持った、動く木のような魔物とコボルトが睨み合っているようだ。
動く木のような魔物は屋敷周辺の森にもいた。肉食であるこの魔物は獲物が近付くまで動かず木に擬態するくらいの知能はあるようで、確かエルダートレントとか言っていた気がする。
コボルトはそのうちの4匹が地面に倒れていた。頭部が無くなった者、血溜まり突っ伏すような形になって動かない者、背中側、腰の辺りを起点に身体が「く」の時に折れ曲がり、ピクリともしない者。それらは既に生きてはいないのだろう。
1匹は生きてはいるようなのだけど、もはや立ち上がることも不可能といった感じのようで、倒れたままその場でもぞもぞと動いているだけだった。
立っていた残りの1匹はエルダートレントの方を見ながら唸ってはいるが、飛び掛かるようなことはせず、私の方をチラチラと気にしている。
私を気にはしているようだが、現れたばかりで明確な敵対行動を見せていない私よりも、現状では明確な脅威であるエルダートレントの方をより警戒している、といった様子のようだ。
私の時は即逃走したコボルトだったが、今回は今のところ逃走するような素振りは見せていない。エルダートレントは幹に少々傷が付き、枝が所々折れているだけに見えるのに対して、コボルトは既に4匹やられているので、1匹で立ち向かったところで形勢は逆転しないだろう。
しかし倒れているコボルト達に対する仲間意識が強いのか、他に理由があるのかは分からないが、まだ戦う気があるようだ。
(まだ手は出さない方が良いかな……)
魔物の世界は弱肉強食だ。知性に乏しくその大半は人間や亜人種、魔族にも無差別に襲いかかるので、共通の敵として排除対象とされている。
なので魔物同士で潰し合ってくれるならその途中で介入する必要は無い。下手に介入してコボルトに逃げられる、が今考えられる1番最悪のケースだ。
私が傍観することを決めたのとほぼ同時に、エルダートレントが動き出した。その動き自体は鈍重だが、巻き付いていた蔦が意志を持つかのように動きだしたかと思うと、残ったコボルトを打ち据えるべく鞭のようにしなりながら迫る。その先端はそれなりの速度に達しているようで、風切り音のような音の正体はこれだった。
決着はすぐについた。蔦での攻撃を数度は避けていたコボルトだったが、私が来た時には既に疲労していたのか次を避けきれなかったようで、横凪に払われた蔦に吹き飛ばされたかと思うと動かなくなってしまった。
決着を見届けた私は剣を抜くと、倒れたコボルト達を捕食しようと鈍重な動きで近付いていくエルダートレントに接近する。向こうも接近する私に気付いたようで、その全身から軋むような音を出しながら、ゆっくりとこちらを向いた。
先程コボルトを相手にした時のように蔦が動き出し、それが私に向かって振り下ろされる。いくら先端に近い部分の速度が速いといってもその動きは直線的なので、根本に近い部分見れば私でもその軌道くらいは予測できる。私は蔦を左手の手甲、その金属部分で受け止めるべく上に翳した。
バチィン!
私が手甲で蔦を受け止めたと思ったのとほぼ同時に、炸裂音が響いた。
「いったぁ?!」
私は思わず飛び退く。左の二の腕の辺りがジンジンと痛み、熱を持っている。目で確認すると痛みを感じている辺りの服が破れており、赤くなった肌が見えている。私は苦虫を噛み潰したような顔になる。
(なんで私はわざわざあれを受け止めようと思ったのかな、軌道が分かってるなら避ければ良かったのに……)
長さを正確に把握していたわけではないので、おそらく手甲で受け止めた部分より先の蔦がしなり、そのまま二の腕に直撃したのだろう。
(そもそも左手も痺れてるし……)
手甲の金属部分で受け止めることはできたので左手に痛みは無いのだが、その時の衝撃で今は痺れている。蔦は普通の鞭なんかより太くて重いのだ、その分衝撃や威力も増える。鞭より遅く、軌道が分かったからといって受け止めたのは完全に悪手だった。
屋敷の周囲で戦っていた時はこういった防具を着けていなかったので攻撃は回避していたはずなのに、なぜ防具を着けているからといって甘えた行動を取ったのかと、私は心の中で舌打ちをする。
私に向かって再び蔦が振り下ろされたので、それを避ける。その後も続けて2度、3度と蔦が振り下ろされたが、私はその全て回避してエルダートレントに近付く。
十分に接近すると私は、痺れていない右手で持っていた剣で横凪に切りつけた。少し抵抗を感じたが、そのまま剣を振り抜く。1撃で切るには刃渡りが少々足りなかったので、反対側に回り込み、今度は少し角度をつけて切りつける。どうやらそれで反対側を切りつけた際の裂け目と繋がったらしく、エルダートレントは大きな音をたてながら倒れた。もう動く様子は無い。
「……ふぅ」
私は一息つくと、周囲を見回して確認する。魔物も人間も視界には映らない。
周囲に何もいないであろうことを確認した私は、剣を鞘に戻すと左手の手甲を外して、左腕の袖を肩の辺りまで捲り上げる。ジンジンと痛み、熱を持ったままの二の腕は腫れ始めていた。
私はもう一度周囲を確認すると、左腕を霧化させてから、元に戻す。二の腕の腫れも、感じていた熱や痛みも消え、左手の痺れも無くなった。
私はそれを確認すると袖を戻し、手甲を着け直す。手甲を着けたままで身体を霧化させるとすり抜けてその場に落下するし、袖は腕を元に戻す際に巻き込みかねないので、先程のようにするしかなかったのだ。物を巻き込むと異物感を感じると共に激しい痛みがあるので、そんなことはしたくない。空気やほこり程度の物だと押し退けることが可能なのか、巻き込まないようだ。
「さてと、後はコボルトの右耳の回収かな。エルダートレントは……どこが回収対象なんだろう?」
ギルドの討伐依頼は達成したことを証明するために、魔物毎に決まった部位をその場で回収して、ギルドに提出しなければならない。コボルトは依頼を受ける際に右耳だと聞いていたのだけど、エルダートレントの方は聞いていないので、把握していない。
それに屋敷から森に出かけていた時には決まった部位を回収をする、なんて必要は無かった。なので私にそんな知識は無いのだ。