7 人間の街
「見えてきましたよ」
「わ、すご……」
馬車の手綱を握る商人の横の御者台から顔を出したのはルーナ。
彼女たちは今、助けた商人と行き先が同じだったため、護衛を引き受ける代わりに馬車に同道していた。
到着も早まり、食料なども商人持ちとなるため願ったり叶ったりといったところだろうか。
そして初めて『グレイスプール』という街並みを遠目から見たルーナの感想は絶句というものだった。
街は高い外壁の覆われ外には出入で並ぶ人たちが列をなしており、周りには穀倉なども見え山奥の村では絶対にお目に掛かれないような光景だったからだ。
だからこそルーナは震える。人間の数と力のすごさをまざまざと見せつけられ、ここから幼い妹を取り返さないといけない難関に。
「どうした? 珍しく緊張でもしているのか?」
「そりゃあね……。バレたら一発で終わりだもの」
緊張するルーナに同じく馬車の中にいたミゲルが目ざとく気付き声を掛けた。
「ふん、俺がいるのだぞ? 世界広しといえども魔王が味方に付いているのはお前だけだ。緊張の必要などありはしない」
あまりのも困難を前にして、しかしミゲルはそれでも腕を組んで不敵にどやる。
何も事情を知らない者が見たら子供が何を言っているのだと一顧だにしないだろうが、ここまでその力の片鱗を目の当たりにしてきたルーナからするとあながちただの虚勢には見えなかった。
「あんたは怖くないの? 捕まったら殺されるか売られるかよ。それとも人間だからそうならないって思ってるの?」
「そんなことはない。ただこの程度の逆境、昔は日常茶飯事だったのだ。特に俺が魔王と呼ばれる前はな」
「昔……か……。そんなに大変だったの?」
ミゲルが本当に魔王だとするのであればルーナの祖先が付き従っていたという話は両親から伝え聞かされたことがあった。
今でも人間が魔王だというのがまだ信じきれていないが目の前の少年の過去に何があったのか少し興味が湧いてきた。
「まぁな。しかし俺には召喚魔法の才と膨大な魔力があった。分かるか? その場その場に合った魔法を選択するのは難しく、また一から全ての魔法を極めようとするのは不可能なのだ。だがモンスターを適材適所で使えばどんな難所も乗り切れる。召喚魔法とは非常に汎用性に優れているのだ」
「今はほとんどが使えないみたいだけどね」
「問題ない。さっきも言ったがこんな程度で俺は揺るがん」
子供の姿になり圧倒的不利なはずなのに、ミゲルは頑なに不安を見せようとはしない。
それどころかいつも自信満々に言葉を吐く。
ルーナはそんなミゲルを見ていると不思議と震えが収まってくるのを感じた。
「(もし……もし本当にこいつの言う通りにしてリリウムが助けられたのなら……私は……)」
「くぅーん」
ふと下を見るとラタがルーナの足元に寄って顔を擦り付けていた。
「そいつも問題ないと言っている」
「言葉が分かるの?」
「なんとなくだ。察しろ」
「もう。でもそうね。ありがとうラタ」
ミゲルのぞんざいな言い方に小さく息を吐き自分が名付けた子狼の頭を撫でてやる。
「(生意気で偉そうだけど、私一人でやるよりはリリウムを絶対に助け出せる。今はミゲルを信じて行くしかない)」
決意を新たにルーナは街を見やった。
『グレイスプール』という街は国の最南端の位置にあり、高い城壁に守られているおかげで侵入は難しい造りをしていた。
出入の際は身元を調べられ旅人や商人などが列を作って街に入るための検査を受けるのが決まりである。
ほどなく列に近付いてくるとルーナとミゲルは荷物を持って馬車から降りる。
それは約束通りのことであった。
ちなみにラタは人目に付くのでシャドウウルフという種族的能力でミゲルの影に潜らせていた。
「すまんね、悪いけど一緒に通るってのは無理だ」
「分かってる。ここまで来れただけで満足だ」
素性の知れない者と一緒にいてもし検問で何かあったら自分にまで被害を被る。なので一緒の旅もここまでという話は事前にしていた。
それは当たり前の考えであったのでミゲルもゴネることもなかった。
「……」
「なんだ?」
商人が何か言いたげな素振りをしたのでミゲルが訊き返した。
「私はベルトルと申します。こちらは助けてもらった上に商売までさせてもらって助かりました。私は商人たちがよく使う宿に向かいますのでもし何かご入用の物がありましたら是非どうぞ」
「ふっ、その時は声を掛けさせてもらおう」
ベルトルからするとミゲルたちが無事に検問を通れるかどうかの確証はない。
しかし彼は自分の名を名乗り、街で会ったら宜しく、というふうに伝えて来た。
つまり言外には言わないが再び会うことを期待しているという意味だとミゲルは受け取った。
ベルトルは満足気に小さく頷くと馬車のスピードをやや早め馬車用の列へと並び二人はそれを見送る。
「さて俺らも行くぞ」
「えぇ」
ミゲルたちも徒歩用の列へ並び、20分ほどで自分たちの番がきた。
「よし通っていいぞ」
「へぇどうも」
「よし次!」
前の旅人が検問を通過し、ミゲルたちは数歩前に出る。
「手早く頼むぞ」
「子供? いや二人か」
兵士相手でもいつもの口調は変わらずミゲルがフードから顔を出す。
しかし後ろのルーナはフードを被ったままで動かず、当然兵士は不審に思う。
「そっちのもフードを取って顔を見せてもらおう」
兵士に言われてルーナが少し躊躇する動きを見せる。
「どうした? 見せられないのか?」
その僅かな間で何かやましい感じを嗅ぎつけたのか兵士の表情は警戒に強まった。
「(本当に大丈夫なんでしょうね……)」
促された以上、あまり戸惑っていると余計立場が悪くなる。
ルーナは心臓がバクバクと鼓動を早め焦燥感に駆られながら意を決してゆっくりと被っているフードを取って顔を上げた。
零れた顔はやはりルーナである。
「亜人? 子供が亜人を連れている? どういうことだ?」
兵士の主観はやはり人間のミゲルが主体だ。
亜人のルーナが人間のミゲルを連れているという発想はない。
それでも旅をする子供というのは珍しく、ならば一緒に連れているのは姉や母など近親であると予想したのに種族が違う亜人。その関係性に興味が湧くのは仕方のないことだろう。
「それは俺の奴隷だ。街の外へ行くときは護衛として連れている」
ミゲルに言われて兵士の目がルーナの首に着目する。
そこには隷属の首輪が巻かれていた。
「確かにそのようだが……」
「悪いが少し急いでいてな、これで融通してもらえないか?」
ミゲルはすかさず兵士の手に自分の手を重ねる。
固い感触があり兵士が確かめるように見ると金貨が手渡されていた。
一瞬、呆気に取られるがすぐに表情が平常に戻る。
「よし通っていいぞ」
「素晴らしい仕事ぶりだ」
あっさりとした反応に皮肉なのか本当にそう思っているのかミゲルはそのまま堂々と門扉と城壁の下を通過して行く。
その後ろをおっかなびっくり付いていくルーナが緊張を緩和させようとため息を吐いた。
「はぁ……何とかなったわね。バレるんじゃないかってドキドキだったわよ」
「そうか? こういうのは堂々としていれば意外と気付かれないものだぞ?」
「だってこの首輪。ラタが無理やり付けされられてたやつを無理やり繕っただけで何の効果も無いんだもの」
ルーナがフードを被り直しながら首に巻いている隷属の首輪を触る。
それはシャドウウルフのラタに使われていた首輪を回収し、強引に縫って人間用に繋げただけのものだった。
しっかりと近付いて後ろ側を見れば縫い口に気付けたかもしれない。
「まぁそんなものだ。賄賂も抜群の効き目だったしな。人間など自分さえ良ければいいというような考えの者が多いということだ」
しゃべっている内に城壁の分厚い壁の下で影になった部分を過ぎると日差しが差し込み一気に街の活気が目に入ってくる。
手で光を遮り目を細めて見たその光景は露店で元気よく客引きをしながら食べ物を売っている店主や、主婦が買い物をしているところ、子供がはしゃいで遊んでいたりと村とは人数も活気も雲泥の差だった。
「すごい! 村と全然違うのね」
「そうだな、全然違う。おぞましい光景だ」
ルーナはその景色に素直に驚愕していた。
だがミゲルだけは目ざとく陽の部分だけはなく陰の部分を見つける。
それは亜人の男性が上半身裸で重そうな物を運ぶ人足をしてコキ使われていたり、頬がこけてあまり満足に食べさせてもらえずに使用人のように付き従っている姿などだった。
真逆の感想のミゲルの視線の先にそういった虐待をされている亜人たちを見つけてルーナは顔をしかめる。
「ごめん、浮かれてた。やっぱりここはそういうところなのね」
「300年前から人間は変わらんな。あの頃もこうだった。全ては聖法国のせいだ」
「どういうこと?」
人間が亜人を労働力として捕まえるというのはもはや常識としてあったがその元凶や原因が何かまでは知らないルーナはそのまま聞き返す。
「勇者信仰を勧めるセイントルート法国は知っているな? それが300と数十年前から急に亜人を狩り出したのだ。それまでは共存していた」
「え、嘘?」
人間と亜人は今では顔を合せればいざこざが起きる間柄だ。
共存していたというのはルーナにとって初耳で口を開けて止まってしまう。
「本当だ。あの国は見せかけだけの張りぼてでしかない。表は廉潔でもその裏は他社を貪ることを何とも思っていない唾を吐いても物足りない残酷な野獣だ。法国が他の国を扇動し亜人を動物以下の存在へと変えた」
「じゃあ一番悪いのはセイントルート法国ってこと? そこを何とかすれば元通りになるの?」
「……昔ならそうなったかもしれん。しかしこれだけ亜人は自分たちより下だという常識が一般化された今では法国を倒しただけでは解決はしないだろうよ。それこそ全ての国を統一ぐらいせんとな」
「だから戦おうっていうの?」
「それが誓いと約束だからだ。300年前にいた仲間たちとのな。それに俺がここで諦めたらあいつらがただの犬死にになってしまう。それだけは許せん」
「あんた……」
300年も前の約束を守ろうとするミゲルの過去と思惑を垣間見れたおかげかルーナの中の彼の評価が少し見直される。
ハッキリと元魔王であると確信しないまでも、もはやルーナはミゲルが薄々魔王であると認め始めていた。
「(……とでも言っておけば反発心も少なくなるだろうな。こいつちょろいから)」
ミゲルの手の平の上で転がされてるとも知らずに。
「とりあえずは情報収集だ。ぐるっと街を見て回りながらオークション会場とやらを探すぞ」
「うん!」
それから二人は街中を散策した。
暇そうにしている人間に訊きこんだり、腹が減ったからと露天で買い食いをしたり、噴水の前で楽器を演奏している大道芸人に見とれたりと歩けば歩くほど街の広さと人の多さに圧倒されていった。
やがて人気の少ない街角で話し込む。
「オークション会場の位置は何となく掴めたな。あとはリリウムたちがいつ出されるのかとどうやって救出するかだ」
「領主とか貴族っぽい人が出入りするから警備も結構厳重らしいし、それに武器とかも当然持って入るのは無理っぽいみたい。騒ぎを起こそうにも素手じゃあ何にも出来ないわ。すぐそこにいるはずなのに」
侵入方法が思い付かず考えあぐねてルーナはミゲルを見る。
「ならば正面から手に入れればいいのではないか?」
「え? だからそれは無理でしょ?」
今、警備が厳重だと言ったばかりだ。
まさかたった二人で盗賊の時のように乗り込むのかとルーナは眉を歪めた。
「盗賊たちから奪った金がまだあるだろう。それで競り落とす」
「あ!」
ミゲルのその提案は予想外のものだった。
しかし考えてみればそれが一番安全で確実である。
正攻法でお金で取り戻せれば争いもなく街を出られるのだ。
お金を普段扱わないルーナからするとその方法が浮かばないのも無理からぬことだったかもしれないが。
「ただお前の装備を買ったりしてやや少なくなっている。奴隷の相場というのも分からん。そこが不安要素だな」
「やば! 商人さんに装備返す?」
「あまり良い顔はされないだろうがこちらも背に腹は代えられんか……? ん? あれは……」
渋い表情をしているとフード付きの外套で顔を隠した体つきから女性のような人物が路地裏に入って行き、その後ろに4人ほどのあまり品の良くなさそうな荒くれ者たちが尾行していくのを目撃する。
尾けられている方からすると分からないだろうが、下手な尾行を横から見るとあまりにも違和感があってバレバレだった。
そしてどちらが悪人なのかも。
「ふむ、こういうのはどうだ? 暴漢に襲われているところを助けてお礼をたんまり請求する」
「あくど過ぎない?」
「では見捨てるか?」
ルーナのツッコミが入るがミゲルは全く気にする様子はない。
「……人間は好きになれないわ。でも全員が敵とは……思いきれないかも」
彼女の頭の中にここまで運んでくれた商人の顔が浮かびしっかりと否定では返せなかった。
こういうところは年齢通りの素直なところである。
「良い答えだ。では謝礼金のために急ぐぞ」
「言い方!」
小走りで二人は後を追った。