5 悪逆の魔王
「え? え? なんでこんなことになったの?」
「あの恐ろしかった狼がなんと見るも無残な姿に……」
「これは少々想定外だった」
ミゲル、ルーナ、キカの3人が呆然と立ち尽くしてシャドウウルフを見つめる。
あまりにも予想外のことに何と言っていいのか分からないでいた。
「あんた何かやったんでしょ?」
「推測出来ることはあるが俺もこんなことは初めてだ」
ヒソヒソとまるで聞かれてはまずいかのようにシャドウウルフの耳に入らないようルーナがミゲルに囁く。
「だってこれ……」
それからおそるおそるシャドウウルフに指を向ける。
「きゅーん?」
そこには子犬程度の大きさになったシャドウウルフが事態をよく分かっていないのか首を傾げていた。
さっきまで絶望的な強さで蹂躙されていた恐ろしい狼が今は可愛らしい姿に変貌していて、素直に受け入れるのは難しく痛々しい視線になってしまう。
「おそらく今の俺と同じことだ。少な過ぎる魔力供給量に合わせて問題ないサイズに姿が変わったのだろう」
「ハッハッハッ!」
と尻尾を振り小さく荒い息をしながらシャドウウルフはミゲルの傍までやって来て足に顔を擦り付ける。
意外と気に入られているらしい。
「まぁ姿が変わっても忠誠心さえあれば問題ない。これでさらに我が軍は強くなったな。よく働けよ! かっかっかっか!」
「くぅーん」
子狼すら手駒として扱おうとするミゲルが懐が深いのか何も考えてないのかルーナは突っ込めない。
「となると元の姿に戻すのは難しいのか?」
「いや単純に魔力の供給量が増えれば可能なはずだ。つまり魂の繋がり先を増やすか、ルーナ自身をもっと鍛えるかだな。だがいくら成獣ではないとしてもなかなか先は長いだろうよ」
「そうか……ん? 成獣ではない?」
供給する魔力が足りなくて子狼となったのであればそれが十分になればさっきの頼れる狼になると聞いてキカは納得しかけたが、嫌な予感に頬がつる。
「そうだが? 盗賊の親玉も言っていたが、こいつの実年齢はおおよそ半年から一年以内の子供だ」
「え? 嘘? あの大きさと強さで!?」
今度はルーナが驚く番だった。
盗賊を倒せるまでに強くなったのにその力がほとんど通用しなかった相手が子供と聞かされれば自信など木っ端みじんに打ち砕かれる。
「当たり前だ。シャドウウルフの成獣はあれの1~2周りは大きくなる。良かったな、子供でなければ最初の一撃で二人ともやられていただろう」
「「全然敵わなかったのにまだ子供……」」
「きゅーん?」
散々痛めつけられた二人が恐ろしい存在を見るような目でわなわなと唇を震わしシャドウウルフに目を向ける。
そのやり取りが分かっているのかいないのかその子はまたも首を傾げる。
元の姿を知らなければもっと素直に愛でられるのだがそういう気分は湧かなかった。
「さて悪い知らせがある。盗賊の親玉が言っていたのだが、リリウムは街の奴隷商に売られたらしい。オークション会場がある街と言われて思い付くのはあるか?」
「ある。山を下って5日ほど行ったところに『グレイスプール』という街がある。けっこう大きなところで奴隷の売買などのオークションが盛んだという話は聞く」
ミゲルの質問にキカが答える。
そこは村から一番近い街でもあった。山が深く、また辺境であるために人間に見つかってはいないが彼女たちからすれば脅威ではあった。
「ならばそこだろうな。さすがに馬車に追い付けないだろうがのんびりしていては消息すら掴めなくなりそうだ」
「だったら早く行かなくちゃ!」
「分かっている。しかし5日となると旅の準備も必要であるだろうしキカの怪我のこともある。ここは一度村に戻るべきだろう。それとここを出立前に回収しておいて欲しい物がいくつかある」
「??」
人間の街に連れて行かれれば救出は難しい。しかしミゲルは可能だと言い、そのために必要なものがあるらしい。
ルーナとキカは疑問が顔に出たまま向き合った。
□ ■ □
休憩も挟みつつしばらくして村へ戻るとすでに朝になっていた。
ようやく緊張が解けたと思ったのもつかの間、自警団の亜人たちがミゲルたちの帰りを待つかのように出迎える。
「あれ? 村長さん?」
その中にやや腰が曲がった羊のようなバロメッツの老人がいた。
彼はこの村を取り仕切る村長で、彼のおかげでルーナやキカは住まわせてもらっていて世話になっている人物である。
知識や判断も正しいことが多く村人たちは自然と頼る存在でもあった。
ただその表情は歓迎しているようには決して見えず、ルーナが怪訝な声を出す。
「お主が魔王様を騙る人間の子供か」
低い声からは初対面から良い印象を抱かれていないのは察せられた。
「いかにも。まぁ騙るもなにも本物なのでそうとしか言えないのだが」
「大して魔力も持ち合わせていなさそうな子供が何を言うか。ルーナだけでは飽き足らずキカまで垂らし込めおって」
「良い男に良い女が付いて来るのは自然の摂理というものだろう? 盗賊共を何とか出来るような気骨のあるやつが村にいればこいつらもそいつと行動を共にしただろうさ。いないから俺のものになった。それだけだ」
「ちょっとあんた、言・い・方!」
ミゲルと村長の会話の後ろで小声でルーナが注意する。
リリウムを助ける代わりにミゲルの部下となる、それは全面的に納得はしていないものの、もし成功すればそれだけの恩があるのも事実なので完全否定は出来ないでいた。
「ふんっ! それで? 盗賊共はどうした?」
「見事、全員を討ち取った。が、娘たちは一足遅く街に売られてしまったらしい」
ミゲルのその言葉で村長たちの取り巻きがざわつき始める。
「ほ、本当か」
「これで怯えて暮らすことはなくなったのか?」
「ただの子供じゃないとは思っていたが……」
ミゲルたちがここに現れたことで結果は予測出来ても半信半疑だったらしい。
強張っていた面々が綻んでいく。
「静まれ! なるほどのぅ。盗賊団を壊滅させたことは礼を言う。それで? どうする気だ?」
「無論、街まで取り返しに行くさ。そういう約束だ」
「あ……」
そこでルーナは思い出す。
あの廃墟でミゲルが復活する際に『お前たち姉妹を救ってやる』とハッキリ言ったことを。
未だ性格や本性は掴めないし、小さな喧嘩は絶えない仲だが律儀に約束は守ろうとする意志は感じられた。
「ならん! ただの盗賊であればまだしも街にまで行って騒動を起こす気か? そうなればこの村にまで被害が飛び火することになるかもしれん! 即刻諦めろ!」
「そんな!? 見捨てろってことですか?」
村長の言い分は「妹を見捨てろ」と同義でありルーナにはとても賛同出来るものではなく、横から口出しをしてしまう。
確かに街に侵入するのは難しくそこから救出してくるというのは至難の業だ。もし捕まれば村にも塁が及ぶ可能性もあった。
しかしルーナにとって妹であるリリウムを諦められる理由にはならない。
いくらこれまで世話になった村長でもその言葉だけは聞き逃せなかった。
「しかし村長、いなくなったのはリリウムだけではない。他の子も……」
「ならんと言っておる! ルーナとキカよ、お主らがこの村に流れ着いてしばらく経つが儂らはそれを拒まなかった。なのにお主らはその恩を仇で返すつもりか? 家族が失われる辛さは分かる。この村の住人はたいていそういう者たちばかりだ。しかしだからこそ残された者を守らねばならん」
キカがフォローしようとしたが一喝され、そのような言い回しをされれば口をつぐむしかなかった。
しかしルーナは違う。実際に肉親が窮地に陥っているのだからそれでは止まらない。
「だったらこっそりと侵入しても助け出して戻って来たらいいんですよね?」
「それこそ不可能だ。人間の街にいる亜人は奴隷ぐらいしかいないだろうし、兵士たちも大勢いる。見つかった時点で街の住人全てが敵のようなものだ。それをたった数人でどうやって気付かれずに高い城壁を超えて侵入し子供たちと一緒に脱出するというのだ?」
「それでも行くわ! この世に残されたたった一人の妹なのよ? 諦めるなんて考えられない!」
ルーナの言い分はほぼ感情論でしかなかった。
だから村長も腹を決めた発言をする。
「もし行くというのであれば――この村から出て行ってもらう」
「村長!?」
「キカ、お主もだ。もしこれ以上、こやつらに手助けをするというのであればお主も村から出て行け。それが儂からの条件だ」
村を追い出されるというのは死活問題だ。
まずこの世界には魔物がいて暮らしやすいところには人間がいて見つかれば逃げるか戦いは必至。
その他、衣食住の全てを個人で賄おうとするのも相当に困難だ。
だからこそ人間も亜人も集団を築いて村や町を作る。そこを放り出されれば普通は生きてはいけない。
つまり、村長の条件とは選択肢としてあるように思わせて一つしか選べなかった。
「――!?」
それでも何か言おうとキカが口を開いた瞬間、ミゲルの華奢な手が横に伸びそれを遮る。
「構わん、ならば俺とルーナだけで向かう。それでいいな?」
「私もいいわ! 最悪、あんたがいた廃墟か盗賊がいた砦に住めばいいもの! いいわよね?」
「ふっ、好きにしろ。掃除は大変だがな」
二人の間で話はどんどん進んで行くが、それをキカは黙って見ていられなかった。
「ま、待てミゲル! ここまで来たんだ、私は戦うぞ!」
「シャドウウルフに痛めつけられたその腕でか? 仮に無理やり付いてきたところで足手まといが関の山だ。大人しく養生していろ」
「くっ……。ならばルーナがした契約を私にもしてくれ。それをすれば少しでもお前の助けになるのだろう?」
自身がシャドウウルフによってすぐに弓を引けないほどの傷を負わされており、それでは足を引っ張ることは自覚していたためキカは言い返せない。
だからこそ何か手伝えることはないかと考えたのが【魂の契約】である。
それでミゲルが扱える魔力量が増えるのであれば僅かながらでも助けになるのではないかと思った。
盗賊退治まではミゲルのことを信用していなかったキカだが今は少し見直していてそんな言葉がつい出た。
「分かっているのか? その契約をすればメリットもあるがデメリットも多いぞ? それにこの体では自己治癒能力は高まってもすぐに回復する訳ではない」
メリットとは身体能力の向上などである。これによりルーナはただの村娘が盗賊の数人程度ならばあしらえるようになった。
これは非常に大きなことで寡兵で数倍の兵力を倒すことも可能になるほどの凄まじい効果の魔法だろう。
ただしその反面、ミゲルに生殺与奪を握られてしまう。ミゲルを信奉しているものであればデメリットは無きに等しいかもしれないがそうでなければいつ怒らせて殺されるかもしれない。
仮契約までならばまだマシだが、ルーナのように第一階梯を突破してしまえばそれは顕著だ。
<<誓いの契約>>とはそういうもので二の足を踏むのが普通だった。
それに治癒能力の限界もある。覚醒したばかりであればまだしも、今のミゲルの体ではあの時、腹部を刺されたルーナが一命を取り留めたような回復力は見込めない。
「構わない。盗賊との戦いで人間だがお前が信頼に足ると分かった」
「ほほう、良い心がけだ。では帰ってきたら新生魔王軍の幹部として扱ってやろう。もちろんこいつの妹も俺の軍に入れてやる。ふはははは、どんどん拡大していくな!」
「リリウムにそんなことさせないわよ!」
三人が和やかなムードを作る中、その雰囲気を村長が水を差す。
「小僧、忠告だ。全てを裏切った『悪逆の魔王』の名を騙るのはやめておけ」
いつものドヤ顔でミゲルが大笑いしていると村長が蜂のように言葉を穿った。
下から睨みつけるような重い視線と声音だ。
「悪逆? なんだそれは?」
自分のことを言われたらしいのは分かった。
しかし人間たちと戦っていた300年前にもミゲルには悪逆という二つ名を付けられた記憶がなく、眉をひそめる。
「お前たちはここを出て行くのだろう? ならば話すことはもうない。ルーナよ、荷物の整理と盗賊退治の礼に今回だけ村への立ち入りは認めてやる。しかし用が済んだらもうここには近付くな。それがお互いのためだ」
そう言って村長たちは取りつく島もなく去って行く。
ミゲルはルーナとキカに説明を求めるように顔を向けたが悪逆という名前についてはどちらも知らないらしく首を横に振る。
悪逆とまで言われた所以が分からないが、戦争とはプロパガンダの応酬で都合の良いように情報を捻じ曲げる。
負けた方は死人に口なし、勝った方が好きなように事実を残す。
だからこそ経緯がどうあれミゲルがそのような言い方をされるのはあり得ることで彼はそれ以上の追及の必要性を感じないまま話は終わった。
□ ■ □
「ぐす……ぐす……ひっく……」
ガタガタと小刻みに揺れる粗末な馬車の中でリリウムが蹲っていた。
一呼吸ごとに住み慣れた村からどんどんと遠ざかることにさすがに不安を感じ滅入っていた。
「(お、お姉ちゃんに会いたい。い、家に帰りたいよぅ……)」
攫われて数日、すでにリリウムの幼い心の緊張感はピークに達している。
しばらくすると馬車の外から今までと違う音が耳に届てきた。
今までは車輪の音ぐらいしかしなかったのに人の喧騒が混じってきたのだ。
「ここは……?」
気になって馬車の壁に注意を向ける。
じっと耳を澄ますとやはり話し声などが漏れてきた。
それに車輪も土や砂利ではなく石畳の上に乗っていてその音にも変化があった。
「私はきっと売られるんだ。あの時、私たちを捕まえようとした人間みたいに……」
リリウムの脳裏には数年前、家族と元々暮らしていた場所を襲った人間たちのことが思い起こされる。
抵抗した父と母の最期は姉のルーナに無理やり手を引かれたので見ていなかった。
しかしながらどうなったのかリリウムでも想像に難くない。
それに今は姉のルーナも心配だった。
なにせお腹を剣で貫いたのだから。普通ならば助からないほどの傷だ。
「(でもなんでだろう……お姉ちゃんはまだ死んでない気がする。それにあの時に現れた悪魔さんもそんなに怖い人に見えなかった)」
理屈ではなく何となくの感覚でしかない。しかし漠然と悪い予感はしていなかった。
リリウムは生まれた時からそういう直感が強い方だった。それが今回も発動している。
だからこそ、本当に絶望にまでは至っていない。もしルーナまで死んでいたらきっとリリウムはここまで意思を保てていなかったろう。
考えていると急に馬車が止まった。
「おいお前、出るんですよ!」
礼服を着ているが欲の皮が張ったようなちょび髭の男の後ろの幌から声を掛けてくる。
リリウムはおっかなびっくり馬車から降り、先導されて建物の中の薄暗い通路を歩かされた。
奥に行くと檻に閉じ込められたモンスターや亜人らしき黒いシルエットが暗闇の中でギラギラと瞳だけが光っている。
それに恨めしそうな声まで聞こえてきて「ひっ!」と恐怖に身を縮めながら進むとそこで止められた。
「あ、あの私は……?」
怖くて「どうなるんですか?」とまで言葉がしゃべれなかった。
「ふぅん? 最近は量も質も下がってきたがまぁまぁの買い物ですかねぇ。少々幼くはありますがそういう趣味のお客も多いですし。あぁ質問でしたか、お前たちは商品となるんですよ」
「商品?」
「そう、このオークション会場で買われていくんです。当然買われた後のことは知りません。たっぷり媚びを売りなさい。そうでなければ粗相をしただけですぐに奴隷を殺してしまうご主人様もいるでしょうからね。ほーっほっほっほ」
リリウムは自分の置かれた境遇に言葉も出ないほど立ち尽くすしかなかった。