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バーチャル料理

作者: N(えぬ)

 メディアにもたびたび出る料理研究家のキタオカは、料理研究という世界のみならず多くの人間が顔を見て、名前を聞いて知っているような有名人になっていた。

 彼は料理研究から発案した新味の料理と旧来の誰にもなじみのある料理を洗練した物とを上手に織り交ぜて提供するレストランを出しても成功を収めており、都心に数店舗を構え、「地方の有名都市でも出店しないか」と投資家や飲食業界の関係者から誘いの声が多くあった。おそらくそれらの誘いを積極的にすべて受けていたら、日本中に何十という数の彼の店を持つことになるだろうが、彼はそう言う広範な展開の誘いには「ノー」と応えていた。

「場所が変われば、好みの味も変わる。人が育った地元の味こそがその人の最良の味」というのが彼の考えであり、今までも自分が育った土地の味を元に料理を研究し、自分の知る地元料理を元に新しい物を求めてきた。そしてそれらを提供する店を出すことで成功も収められたと自負していた。

「生まれ育ちでも無い、味を知らぬ土地で、そこに住む人の旨いものを理解し研究するのは、すぐには難しい。そういうことは地元の人間が私と同じようにやればよい。自分の名だけで儲けることを考えるような商売ならば、いずれは流行と共に消えてゆく」と自らをも戒め、笑い飛ばしていた。



 そんな彼のところへ、

「キタオカ先生のお考えを知った上でご提案したく、今日は参りました」

 A食品という会社で食品の研究開発を行っているマスモトという人間だった。この研究者は、会社の中でも「異端と思われる存在」と自ら名乗り、キタオカに、

「その異端の考えを聞いて、意見を伺ってみたいと思いまして」

 研究者は丁寧さの中にも、なにか得体の知れない自信を漲らせてキタオカに頭を下げた。

「いえ、そのように丁寧に言われずとも結構ですよ。あなたは礼儀もあり、おもしろそうな方だ、それに自身もあるように見える。そう言う研究者の方のお話なら私もぜひ伺いたい。ここは対等に、気兼ねなくどうぞ」

 キタオカは何か久しぶりに前かがみに話を聞くような期待感を持った。

「それで、どのようなお話でしょう」

「はい。私、ここ数年、こういう物を開発しておりまして……」

 研究者のマスモトはキタオカのオフィスのテーブルの上にサンプルの食品らしき物を入れた容器をいくつかと更にヘルメットのような機器を置いた。そして、食品の容器を開けて見せた。その「食品らしき物」は平たい灰色の豆腐のような形で、それだけではおおよそ、とてもじゃないが旨そうには見えなかった。それを見てキタオカは、

「これはおもしろそうだ……」

 逆に興味が倍増したかのような目の輝きをテーブルの上の物たちに、そして相手のマスモトに見せて自然と湧き上がる微かな笑いを見せた。


 マスモトの方もまたキタオカの顔を見て、自信を持ったのだろう、声に張りが出て来た。

「これを見て、なんとなくお分かりかとは思いますが、これは「あらゆる料理として提供できる人口万能食品」です。このヘッドセットを頭に取り付けまして、センサーを左右の顎に付けて、その上でこの容器の中のものを食べます。すると、このヘッドセットで設定した料理を食べているような気持ちになれるのです」

「ハハハ。それはおもしろい機械ですね。この灰色の豆腐のような物が、このヘッドセットで設定すれば、どんな料理にもなる。そういうことなんですね」

「そう。そういうことなんです。どうですか、一口食べてみてください」

 研究者は自前のケースからナイフやフォーク、スプーンなどを取り出してキタオカに勧めた。

「まずは、こうしてヘッドセットを被っていただきまして……すると、目の前のモニター部分に、容器の中の食材が見た目が指定の料理に変換されて映し出されます。今日の料理はステーキを食べて頂きます」

 研究者はノート型の端末を膝に載せてキタオカにそう言った。キタオカは少し考えて、

「ううん。これがステーキになるんですね」

「はい。これがステーキになるんですよ……」

 マスモトはタッチペンで端末を操作した。

 キタオカの顔は初めてのおもちゃに興味津々の子供のような顔から真剣な表情に変わった。

「これは……ほほぅ。見た目はまず、オーソドックスだが実にどうも、文句の付けようが無い、いい肉のステーキだ。すごいな、匂いもする……」

「ええ、ヘッドセットから匂いが出るんです。容器の食品に大筋で味が付けてあり、食感や噛み応え、喉越し。それらをヘッドセットの信号で細かく味を再現補助します。割といいステーキであると思いますよ」

 キタオカは平たい容器の中の灰色の塊をナイフとフォークで切り分け、一口食べ見た。それは確かにステーキを食べた感覚だった。しかも「旨い」部類だった。店によっては出してもいいような味だった。

「ううん。こういうのは、なんと言うんでしょう。バーチャル料理と言えばいいのかな。そう言う物が、こんなに技術的に進んでいるとは思いませんでした」

 キタオカはいたく感心した。

「けれど……」

「それなりの味ではあるが、旨い店の味と比べれば、まだまだ遠い……ですか」

「そうですね。料理店の味という感じじゃ無い……家庭の味とも言いがたいけれど……難しいですね」

「私はこの装置で、レストランを開けたらと思っているのです。その他にも、各種の事情でその人が食べられない料理も、実際に食べるこの食材の栄養素を調整すれば食べられる。そうすれば多くの人の食に対する夢が広がると思いまして」

「食品会社としての儲けだけで無く、なかなか壮大な夢をお持ちなんですね」

「ええ。すべての人がいろいろな物を好きなように食べられる。しかもカロリーや栄養の偏りを気にせずに、健康的に……それが理想です。そう言う意味で、今のこの製品に、何が足りないのか、どうしたらもっとよくなりそうなのか、キタオカさんの思う意見をお聞かせ願えたらと思いまして」

「そうですか。私も料理研究が本業ですから、それは興味がありますね。協力させてもらいますよ」

「本当ですか。ありがとうございます。心強いですよ」


 以来、キタオカはこの研究者のマスモトと一緒に研究していくことにした。

「この、実際に食べる灰色の食材は、これだけを食べてもそれなりにおいしいですね。こんなに味が付いているとは思いませんでした」

 キタオカはマスモトにそう言った。今まではヘッドセットの作り出す味との組み合わせばかり考えていたので、それは新鮮な驚きであった。

「そうですね。人間が実際に舌で感じる味がまず旨いというのは重要だと考えていまして」

 その説明を聞いて、キタオカは今度はヘッドセットを装着して、指定の食品では無く、全く違うものを食べてみた。すると、少々おかしな感じもするにはするが、

「これでも、食べられないことはない……そんな感じですね……ふぅむ」


 マスモトは、異端の研究と社内で言われていたが、それでも認められて研究を続けている身分だから助手が数人居た。助手たちは日夜、実際に食べる「灰色の物体」の味を研究したり、組み合わせる機器から伝わる味の研究を続けていた。キタオカは彼ら助手の姿を見ながら、料理研究家として何か頭にひらめくものを僅かに感じた。

「どうです、きょうは何か、実際に旨いものを食べに行きませんか。みなさんで」


 キタオカの提案でマスモトとその助手とを伴って、夜、レストランに向かった。キタオカの選んだのは中華料理の店だった。彼は、ここに自分がひらめいたことの何かが見つかればと思っていた。

 料理はコースで順次運ばれた。どれも旨かった。マスモトは、

「素材の良さがよく生かされていて、おいしいですね。私たちの研究でも、これくらい味が出せればいいのですが」

「ううん。素材の味……そうですねえ」

 キタオカは、彼のことばになにか違うものを感じた。『素材の味を味わいたいなら、これほど味を付ける必要があるのか。素材の味だけなら、むしろ単純で淡泊な味わいになりやすい……』

 料理はメインの「フカヒレの姿煮」がお目見えした。これには一同、手ぐすね引いて見入っていた。

 マスモトは一口食べるなり、

「やはり、これはおいしいですね。高級料理の代名詞と言えるものですし、味も素晴らしい」

 ここでキタオカも食べて、そして自分が感じていたひらめきの答えを得たように思った。

「旨いですね。旨いのは、その理由は、フカヒレに味が無いからです」

 キタオカはマスモトに静かにそう言った。テーブルに着いている助手たちもキタオカを見た。

「味が無い?」

 皆、口を揃えるように言った。

「ええ。フカヒレには、食感に個性がありますけれど他の点ではすごく個性的だとか、独特のだとか、これといった味がありません。だから味付けが生きるんです。味付けがし易い、と言ったほうがいいかもしれません。素材のフカヒレ自体がすごくおいしいのなら、茹で戻して塩を振るだけでもいいでしょうけれど、フカヒレをそんな風にして食べてもおいしくないでしょう。素材に強い個性的な味や風味があると、料理にするときは帰って邪魔になります。好き嫌いが出やすい。考えて見ると、おいしいと言われる食材は強烈な個性が無いものが多いのです。だから万人に受け入れられる」

 前のめりに説明するキタオカに一同、感心顔でいた。

「素材に味がない方が、味付けがし易い……ですか。なるほど」

「ですから。私たちが作っているバーチャル料理装置でも、人によって感じ方の違う実際の味の部分。つまりあの「平たい灰色の塊」からは味を抜いて、なるべく味も風味も無いものにして、ヘッドセットですべての味付けを行い、個々に微調整も出来るようにした方がよいのではないでしょうか」

 キタオカが示した美味というものの見解は研究者たちをいい方向へ導いたようだった。すぐに絶妙な味を作り出すことも出来ないだろうが、これからの研究いかんで、世界中の最高に旨い料理がどこに居ても手軽に食べられる時代が来るだろう。

「その時が来るのが楽しみだ。しかし、旨い食材には味が無い」とは……。





タイトル「バーチャル料理」

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