1話 出会い
メリークリスマス!
師匠達と別れてから、リオンは森の中を既に10日ほど歩いていた。『死の樹海』などと呼ばれる物騒な場所だが、リオンはまるで自分の庭でも散歩するかのような気安さで歩いている。
襲ってくる魔獣はいない。リオンはこの10年の修行で、魔獣のいる地帯での歩き方を心得ていた。仮に魔獣と遭遇しても、今のリオンはそれを蹴散らす力があるが、わざわざ自分から藪をつつく必要はない。
『死の樹海』と呼ばれるこの場所は、名前とは裏腹に生命力に満ちていた。姿は見えないが、おびただしい数の生き物の気配が、見慣れない生き物が自分達のテリトリーを闊歩しているのを見ているのを感じる。
地球にいた頃は聞いたこともないような虫の声、睡眠用のBGMに使えるような静かな風の音。その風に乗って、微かな獣の匂いと、膨大な草木の香りが運ばれてくる。
「東へ向かえば良いって、やっぱりざっくりとした指示だよな。」
師匠達は、旅立つリオンのひとまずの行き先として、"北東へ行け"としか言わなかった。
「ま、別に歩くだけならどんだけでも歩くけどな。」
あの地獄のような修行と比べれば三日三晩、十日十晩、徹夜で歩き続けることくらい容易だ。無論、徹夜して急ぐ理由もないのできちんと寝るが。
それに修行を終えたリオンは、文字通り超人的な存在となった。体力的にも、精神的にも、この『死の樹海』を一人で歩くことに何の支障もない。
「うん。美味いな。」
途中、近辺にあった果実を無造作にむしりとっておやつタイム。
毒の心配はない。
リオンには並大抵の毒は効かない。もっとも、毒が効いたところで即座に耐性ががき、一時的な体調不良で終わるのだが。
「つくづく、便利な身体だ。」
まだリオンが師匠と鍛練を初めて間もない頃、修行と称して一人で『死の樹海』に放り出されたことがあった。
魔獣との戦闘の心得も何もないリオンはただただ逃げ回って生き残るのが関の山だったのだが、その時遭遇した強力な毒を使う魔獣の攻撃をモロに受けたことがあった。
「あん時は死ぬかと思ったぜ」
遠い目で当時を思い出す。
毒が回ったリオンは、猛烈な吐き気やめまい、下痢などの症状に苦しめられた。
尚、常人ならば即死レベルの毒であったため、その程度で済んでいるリオンは規格外である。
とにもかくにも、そんなわけでリオンはその辺にある木の実をむしりとって食べる。
この辺りの縄張りの主との不要な戦闘を避けるために、必要以上にはとらない。別に戦うことになっても負けないが、別にリオンはこの樹海の生き物を殲滅させに来たわけではないのだ。ただの、通りすがりなのだから。
「だから、見逃してくれよ」
先程からリオンを監視している縄張りの主の魔獣の気配に向けてそうつぶやく。リオンは感知系統の魔法は使えないが、研ぎ澄まされた五感と、洗練された第六感で自身の周りにいる魔獣を捉えていた。
修行時代、戦う術のなかったリオンが会得したものだ。この技術で、リオンは自分を喰わんとする魔獣から逃げおおせることができたのだ。
「しっかし、こうも森が続いてるとはな」
師匠達が生活している建物から、ある程度の距離までは探索し尽くしたリオンであったが、それ以上の距離を離れたことがなかった為、この『死の樹海』とやらがどの程度の規模のものなのかを知らなかった。
「身分証の類いを何も持ってないんだが、大丈夫なのか、これ。」
この世界の身分証明に関する制度がどうなっているか知らないで、その辺についてはよくわからない。
「ま、なるようになるか。」
考えてもしょうがない、と切り替えて鼻歌を歌いながら樹海を歩く。
地球にいた頃に聞いた曲だ。この世界にも歌はある。カローラが唄ってみせてくれたので、こっちの世界の歌を数曲なら知っているリオン。
修行時代、リオンがその生活に慣れてきて、いささかの余裕が生まれた頃に、リオンは地球での話を師匠と先生によく披露した。
特に師匠はリオンの異世界トークをいたく気に入っていた。特段目立った相槌やリアクションをとるわけてはないが、静かに笑みを浮かべながら聞いていたものだ。
「ま、異世界で現代知識無双、って路線はほぼなくなったけどな。」
そうしたリオンの異世界トークを披露するなかでわかったことは、この世界にはすでに地球での文明がある程度は伝わっているということだった。
師匠達の言っていた話から推測するに、以前先生が言っていた『まるで他の世界から知識を持ち込んだような輩』はリオンの見立てでは、地球からの召喚ないし転生者で間違いないと踏んでいる。
「食も音楽もある程度は伝えられてるらしいしな」
そんなことを考えながら黙々と歩いていると、周りの景色が変化してきた。
「同じく森の中ではあるんだが、『死の樹海』からは抜けたらしい」
うっそうと植物が生い茂っていたために、日光を木々が遮断して薄暗い印象のあった『死の樹海』。今リオンが歩いている地点は、そんな雰囲気とは対極のものだった。
「明るいな。心地が良い。」
植物が生い茂ってはいるが、己の陣地を守り、他の陣地を蹂躙して繁殖してやろうという気概に満ち溢れていた『死の樹海』とは違い、こちらの森は静かに、雄大な気配が漂っていた。
ぽかぽかと心地よい気温、聴き心地の良
い鳥のさえずり。それにどこかに花畑でもあるのだろうか、甘い匂いがリオンの鼻孔をくすぐる。
空へ目を向ければ雲一つ無い快晴が、リオンを歓迎するように広がっている。
「うん、しばらくこの辺りでダラダラ生きようかな」
そう溢してしまうのも無理もないくらい、心地の良い場所だ。『死の樹海』で生まれ、『死の樹海』で育ち、『死の樹海』以外の場所に行ったことのなかったリオン。
彼は『死の樹海』なんて呼ばれているその場所を、そんなにひどい場所だとは思わなかったが、こうして出てきてみると、なるほど『死の樹海』と呼ばれるのも納得である。
「俺の出身地はどうやら劣悪な環境だったらしいな」
『死の樹海』は、その名に反して生命力に満ち溢れている場所だ。強豪ひしめく食物連鎖の監獄。弱者は踏み入れたが最後、一瞬で獣の餌と成り果てる。暴力的な生命力とエネルギーが漂う修羅場、まさしく並大抵の生き物からすれば入ったら死を免れない『死の樹海』というわけだ。
「そんな空気が肌に合うなんて笑っていた師匠はやっぱヤベー奴だ。」
対して今リオンがいる森は、『死の樹海』と同じように生命力に満ち溢れてはいる。しかし、『死の樹海』の暴力的なそれとは違い、こちらは心優しい女神によって与えられた、慈愛に満ちたような生命力に満たされていた。
ただ居るだけで弱肉強食を意識させられる『死の樹海』と違い、こちらは本当に穏やかな気持ちになれる場所だ。
「ま、まったく脅威が無い場所ってわけじゃないんだろうけどな。」
リオンは警戒を怠らない。と、いうより修行によって研ぎ澄まされた感覚が常に働いている。
だから───
「あなたは、誰? 」
森に佇む、緑色の髪の少女に声をかけられた時は心底驚いた。
「何を、しに来たの? 」
森の一部に、まるで同化するように立っているこの少女は
「ここまではそう簡単には来れないはずなのに…」
今まで遭遇したどんな魔獣よりも
「私を、殺しに来たの? 」
気配を殺すのが上手かったのだから。