彼こそが
もう少しで宴会会場に移動する時間だ。
自分も会場に手伝いに行った方がいいだろうか。でも、初めて着たドレスは、正直動きにくくて、汚してしまいそうで怖い。
悩んでいる時に、ノックの音が部屋に響く。
ロン様に視線を向けると、頷かれたので、ドアを開ける。
「ロン」
そこには、真っ黒な衣装を着たひときわ美しい男性が立っていた。
あまりの美しさと、その存在感に、スズはドアを開けたまま、ドアノブを持ったまま固まってしまった。
「シグルト様」
ロン様が、アイラーテ様以外に笑顔を向けた。
さっき、声をかけられた時以上に驚いた。
普段のアイラーテ様への構い方を見ていなかったら男性同士で番うということもあるのかと疑っていたところだ。
「番を得られたのだな。良かったな」
彼――シグルト様は、あとからアイラーテ様から聞いた話によると、竜人を治める王なのだそうだ。
獣人は基本的に個人主義だが、まとめなければ立ち行かないこともある。
そこで、最も力を持った竜人が王となるのだ。
なんて、美しい人だろう。
ここで美しい人を見慣れてしまったスズでさえ、そう思う。
スズはあまり人の容姿を気にしない。どんなに美しく飾り立てていたって、小さな子供を蹴り飛ばす貴婦人だって見てきた。さわやかに笑いながら、少女を買っていく男性も。
だから、スズは見た瞬間に心を動かされたのは初めてだった。
見た目なんて当てにならないと思っているのに、彼からは目が離せない。
見つめ続けていると、彼と視線が絡む。
――ああ、彼こそが……
頭の中にひらめいた言葉に、スズはびくりと体を揺らした。
急いで視線を床に向けて、頭を軽く下げた。
なんて身の程知らずなことを考えたのか。
彼もまた、番を探しているのだ。番を求める竜人には、首に数枚の鱗が出現する。番以外に触れられれば、怒り狂うことになる逆鱗と呼ばれる鱗だ。
番を手に入れた竜人は、その鱗を剥ぎ、番に与えるという。
そうすれば、寿命の違う相手でも竜人並みに寿命が延び、体も強くなる。
ロン様には、もうその鱗はない。
アイラーテ様も、その鱗をもらい、体力だけで言うならば、スズよりもずっとあるだろう。
竜人は、番を求める気持ちが大きい。
番を求める竜人が、番が同じ部屋に居て気がつかないわけがない。
自分の考えたことに驚きながら、打ちひしがれた気分になってしまう。
ドクドクと心臓がわめきたてる。彼がそこに立っているというだけで、落ち着かない気分になる。
――なんてこと。一目ぼれするなんて、考えたことも無かった。
「……彼女は?」
シグルト様の声がする。
スズの挙動不審さを怪訝に思っているのだろう。
身の程知らずにも、竜人の王に心奪われるなど、迷惑を通り越して失礼に当たる。
彼の視線がこちらを向いているのかどうかさえ確認することが怖くて、スズは言葉を遮るように大きく頭を下げた。
ロン様が返事をする前にここを去りたい。
「宴会場のお手伝いに行ってまいります」
アイラーテ様が驚いて小さく声をあげたのを聞いた。
だけど、今はそれに構っている余裕はない。
スズは、開けたままのドアから部屋を出て、全力疾走でホールに向かった。
あとは、必死で忙しくして何も考えないようにすればいい。
申し訳ないが、アイラーテ様の傍には行けなかった。
同じ会場にシグルト様がいる場所で、アイラーテ様の傍に行けば、あっという間に彼女にはばれてしまう。
こうして忙しくしているのに、少しでも気を緩めると、視線が彼に向かってしまう。
無意識に、その気配を追ってしまうのだ。
彼は女性のそんな視線にはなれているのかもしれない。
視線を向けてさえもらえないほど、彼はスズには無関心だというのに。
シグルト様は、良く動き回る。同じ場所に数秒立ったら足が腐るとでも思っているのかもしれない。そのくらい動き回っていた。
忙しくして、集中して働くことすらできないことがショックだ。
結婚式の披露宴、スズは汗だくになってフラフラになるまで一人で動き続けた。