69話 こういう時に、ぼくは時々清さんのことを思い出します
三角関数を知っているといろいろなことがわかる。
巨大ロボットの距離と見上げる角度から、その大きさがわかるし、川の流れの速さと幅から、ボートで渡るときの実際の距離がわかる。
たとえばアイドルアニメで、最後のステージにあがるとき、メンバーの6人が(これは7人でも11人でもいいんだけど、計算が面倒くさい)ステージ裏で気合い入れのために手を重ねて、「ザ・ストーリーズ(仮)、ファイト!」という場面があるとするよね。その6人の構成は、背の高い低いがあるから(身長・体重その他は最初に決めておく)、全体的には歪んだ円になり、伸ばした腕の長さは60~70センチで、まあちょっと体を前に出したりするからうまくそろう。その場合の6人は、円の中の六角形を構成するので、正三角形が6つできる。ということは、右手を前に出して左手を自分の右側の子に乗せることができる。実際にそんなことをやる場合は、円陣はもっと小さくなるんだけどね。でも、円の中心までの距離と左右の子の距離とは同じ。じゃあこれが8人になったらどうなる? その六角形の面積は?
実写の場合は、大ざっぱに円を作って、真ん中にカメラを置いて、大ざっぱにぐるっと、30秒から1分の間で撮る、とする。それに「私たち………やっと来れたのね………ここまで………」みたいな各人のモノローグと回想シーンを適当に重ねる。どのくらい「大ざっぱ」で「適当」にするか、というのは監督が決める。きちんと決めたいと思っても、実写の場合はできない。
アニメの場合は、6人を42秒で撮るからひとり7秒、回想はこのカットとかシークエンスを入れる、とか、ちゃんと決められる。半径50センチの円を回るにはどのくらいの原画・動画枚数が必要で、音声・音響はコンマ1秒ではなく24分割(あるいは8分割)された1秒で計算される。
面倒くさいけど徹底できる。キューブリック監督が今のデジタルアニメのスタッフを持つことができたら、うっひょー、とか喜んじゃう気がする。
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さて、おれ(立花備)とわたし(樋浦清)は、大机の東側に座っているおれ(市川醍醐)に、南側・北側から手を伸ばして近づいた。大机の大きさは、3尺×6尺、88センチ×176センチなんだけど、面倒くさいから90×180センチとする。この3人が等距離になったとき、おれ(立花)とわたしは、机の東側から見て何センチ西側に行ったところに座ることになるか。
45×√3だから、78センチぐらいかな。
でもって、ひとり45センチ手を伸ばせばいいんだけど、正三角形の中心で手を重ねるには何センチ伸ばせばいいか。
こういう話をしていると、物語というより数学の練習問題みたいになりそうなのですこし手加減したい。
おれ(立花)たちの学校では、1年の2学期の中ごろに三角関数を習う予定なので、せっせと予習をしていると、もっと難しい角度でもできるはずなのだった。もちろんわたしにはすぐにわかる。えーと、机の長いほうの辺の、真ん中よりやや東寄り。
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薄くなった霞と空の雲を通して、真夏の午後の太陽はその力を取り戻しつつあった。
「夜中に物語を書くと、本当にろくでもないものしかできないのよな。実はおれの手元に、お前が誰にも読まれないよう、ネットにも置かなかったテキストがあるんだ」
ふたりから手を離したおれ(立花)はおれ(市川)にそう言って、携帯端末のネット内フォルダを開いてテキストを読み上げた。
『こういう時に、ぼくは時々清さんのことを思い出します。夜の営みをかわしたい理由は たった一つあるきりです。そうしてその理由は、ぼくは清さんが好きだということです。もちろん昔から好きでした。今でも好きです。そのほかに何も理由はありません。』
「どどど………どうしてそれを、いやどこでどうやって」とおれ(市川)は脂汗を流した。
「お前と清が、新校舎の探索からまだ戻って来てなくて、おれがたまたま誰もいない物語部の部室に戻ってきたときやね」
『おれは、市川醍醐が残しておいたタブレットをいじりながら、なすべきことをして、4人が戻ってくるだろうぐらいの時間を待った。そして騒々しく戻ってきた。』(31話)
「この作者が「なすべきことをした」と書いたらもっと用心深く読まないといかんよ。ふふん」とおれ(立花)は桂文珍のように鼻で笑った。この市川のテキストは、芥川龍之介の恋文の模倣だな。しかしお前らふたり、どうしておれ(立花)抜きで、もっと固く手を握りあってるの? 市川なんて、右手だけじゃなくて左手まで清の手を握ってるし。
「もっと面白いのがあるよ。こんなの」
『いつかいつかと狙いすましていたかいがあって、今日という今日、とうとう捕まえたわ。とてもむっくりとして素敵な××。卵焼きよりも好物よ。さあさあ、吸って吸って吸いつくして、竜宮城へ連れてってあげる。ああ、お願いやめて藤堂さん。そこはやめて、息がはずんで、行くいく行っちゃう。』
ほぼ唐突に出てくる藤堂さんというのは、清と市川、それに高校生声優の松川志展と同じクラスの物語部サポーター、才色兼備のレジェンド・藤堂明音のことである。清のことが好きで好きでたまらない病に陥って、名門私立女子中学からこの学校に来たという話だけど、ふたりはいつも勉強の話しかしない。
このテキストは、葛飾北斎「蛸と海女」の現代文訳だな。今の市川のメイド服と同じく、趣味が出ている。要するにレズプレイがしたい。したいんじゃなくて書いてみたいだけなのか。なお、北斎のテキストに出てくるタコがメスだというのは確認されている。
おれ(市川)が握っている清の手がどんどん熱くなって、おれ(市川)から離れて、清自身の頬に両手が移った。漫画の記号的には、頭から湯気が出ている、ゆでダコ状態だ。
わたしは思わず、体を伸ばして右手で、備の左頬を平手打ちした。
「なんなんだよ、この………この………ドエロ野郎!」
ひどい。書いたのはおれ(立花)じゃなくて市川なのに。おれ(立花)は読んだだけなのに。
顔の赤みが全身に回って、うっすらと肌が髪の毛の色に近い感じになった清は、おれ(市川)に言った。
「続きあるの?」
「いや、それはまだ」
「ちゃんとあるから転送しておく」と、おれ(立花)は言った。
いずれにしても、ネットで公開はとてもできない。




