68話 だからそれは、多分作者が夜中のノリで書いた恥ずかしいテキストだよ!
茶道化学部の部室兼茶室にある大机の下は温泉になっていて、足湯体験ができる。ということはない。
読者サービスはおれ(市川)のメイド女装だけで十分だろう。
十分に美しく、憂いに満ちた市川の顔は、おれ(立花)の目にも真実と思われることを躊躇させるものがあった。しかしこの、文章の中で「目」と「眼」の使い分けがどうもうまくできないんだよね、と、作者を含むこの物語の中の誰かは思った。みんなそういうのどうしてるの? 校正・校閲というワンランク上の神もしくは天使のお世話になるほど、このテキストは価値のあるものではない気がする。そもそも「ちゅうちょ」って、手書きで書けないしね。「ちょ」はともかく「ちゅう」の右側って難しすぎるだろ。手書きの400字もしくは200字詰めの原稿用紙で、毎月千枚とか原稿書いてた人は、マス目は空欄にして、その横のルビのところに「ちゅうちょ」って、ニ字分使って書くだろう。えーと、何の話だったっけな。なんか、小学生みたいなことを言え、とおれ(立花)は作者に強いられている状況である。
「お前、樋浦清のことが好きなんだろ」と、おれ(立花)はおれ(市川)に言った。ああ恥ずかしい。ここにいる3人揃って恥ずかしい。青春の甘酸っぱさいっぱいの感じだ。
「なにを根拠にそんな………あ、作者のテキストを読んだんでしたっけ」
『人生をセーヌ川とするなら、パリは青春の輝かしい黄金時代だ。』(64話冒頭)
読みながらおれ(立花)は、クゥックックー、と桂枝雀の芸風で笑った。
「だからそれは、多分作者が夜中のノリで書いた恥ずかしいテキストだよ! ぼくはそんなことは書かない」と、おれ(市川)は強く主張した。
「作者は、早朝日の出とともに起きて、軽く運動をし、シャワーを浴びて2000字ほどのテキストを書き、午後に見直して清書するスケジュールだ、って言ってた」と、おれ(立花)は言った。
まあでも、作者がそう言ってた、ってだけの話で、本当はどうかわからない。眠れない夜があって、そのときに書きはじめたらけっこううまく行ったので残してあったテキストなのか、市川がまぎり込ませたテキストなのか、今となっては不明である。
「あと、この部分とかも市川のテキストだよな」と、おれ(立花)は言った。
『「わたしがこわいのは、人の心かな」と、以前おれが聞いたとき、樋浦清は言った。』(21話冒頭)
「ここでは、「おれ」と清と松川志展が会話している設定なんだけど、桃太郎がシルヴェスター・スタローンだったら、という話をしているとき(32話)は、第三者的多視点で語れる年野夜見さんの語りで無理はないのに対して、この語り手の「おれ」は、清たちと同じクラスでないとできない会話じゃないかな。つまり、その場面での「おれ」は市川だ」と、おれ(立花)は言った。
ああ確かに、そんなことを言った気がするな、とわたしは思った。で、ついでのように思い出したんだけど、そのときに考えてたのは、備のことだったかもしれない。
「大丈夫だよ、清。おれもお前のことは好きだ。ただし大切な友だちとして、だけどな」と、おれ(立花)は言った。
おれ(立花)は清と向かい合って、大机の南側に座った。
「おれたち三人の関係はこんな感じだ。うまいこと大机ができてるもんだなあ。長方形の中の正三角形」
大机の北側、中央よりやや西側に、わたしがいる。
南側、中央よりやや西側に、おれ(立花)がいる。
東側、中央におれ(市川)がいる。
「おれたちが両手を伸ばせば、3人が手をつないで、正三角形の外周ができる。片手でも、その三角形の中央で3つの手が重なる」




