52話 その刃物の取り扱いに気をつけて。ロンギヌスの槍よ
おれが樋浦清を最初に見たのはいつだったんだろうなあ。始業式の日に会った覚えはないから、次の日の朝のことだ。学校の校庭、まだ桜の花が散りきっておらず、はらはらと落ちる桜吹雪の下、妹みたいな姉さんと桜の花だまり(って言い方ってあったかな)で、ぬるい雪合戦みたいな感じで花びらをかけあってたんだっけ。その日の午後に物語部へはじめて行ってその話をしたら、ふたりともそんなことしてたっけ、って言った。
たぶんそれはおれが、この学校へ入学して作った最初の嘘、物語なんじゃないかと思う。
でもいいじゃないか、おれがそのとき、なんかいいなあ、この子といつまでも一緒にいられたらいいなあ、って思ったのは本当なんだから。
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泥水で覆われた校庭から戻ってきた4人は、南北戦争の南軍の敗残兵さながらの泥だらけだった。
意識を失っている年野夜見さんと、それを背負っている女衛生兵みたいな真・立花備(真・世界のおれ)、いろいろヘトヘトな千鳥紋先輩と、肩を貸している真・年野夜見さん。真・立花備の能力を使えば、泥などはすぐに浄化できるのだろうが、先を急いだのだろう。
部室の窓から外を見ると、豪雨はおさまって静かな雨に変わりつつあり、それと同時に霧のようなものが発生していた。見えるのは学校の南側だが、反対側、つまり嵐の来た北側を見られるなら、その霧のようなものはさらに濃いはずだ。
「その刃物の取り扱いに気をつけて。ロンギヌスの槍よ」と、千鳥紋先輩は青ざめた顔で言った。
千鳥紋先輩が言うところのロンギヌスの槍、おれたちが認識しているところの蜻蛉切はそのときどうなっていたかというと、もうスイカは切り終わったので、みんなの認識と実在ごっこの実験道具として扱われていた。つまり、物語部の部室の中にいる人間の手の中を、実在・非実在化させながらぐるぐる回していた。
蜻蛉切(仮)は、部員ではないサポーターのふたり、松川志展と関谷久志にも手に持つことができた。
ロンギヌスの槍はみんなが知っている。聖書にもエヴァンゲリオンにも出てくる(本当は聖書には出てこない)聖遺物で、別名神殺しの槍だ。これを使うと神、つまり物語部顧問のヤマダも殺せるのか。
ええっ、と一同がびっくりしているうちに、槍はロンギヌスの槍という共有認識がなされて、刃が放っていた薄黄色い光は邪悪な赤い色に変わり、形そのものも若干邪悪さを感じさせるようなものに変わった気がした。多分気のせいだとは思うが。
たまたまそのとき、槍を手にしていたのはヤマダの近くにいた市川醍醐で、市川は驚いた拍子に手を滑らせて、すぐ近くで座ってスイカを食べていたヤマダの足に刺さった。
市川はあわててそれを抜いたが、ヤマダの傷口からは血が流れ、ヤマダは、痛いな、何すんだよ、いててて、と言った。
おれは、ヤマダが血を流したり、痛いと言ったりするのははじめてのような気がした。
痛がったり(痛いフリをしたり)することはなかったとは言えないが、これは異常なことだろう。




