29話 何でもオッケーな物語作りでも、やってはいけないことは3つある
物語部の部員は、どんなことを書いてもいい。「アラジンと魔法のランプ」に出てくる魔神は、3つの願い事のうちできないこととして、人の心を変えるのと、死んだ人を生き返らせるのと、願い事を増やすのを挙げていたが、物語部員にはそんなことはない。登場人物の設定が最初と最後で変わること、死んだと思っていた人が生きているということ、いくら沢山願ってもかなわないことはよくある。そういった無理を回避する(バレないようにする)ためには、最初と最後をきちんと書いておいて、間をうまくつなげればいい。
そんな何でもオッケーな物語作りでも、やってはいけないことは3つある。個人情報の暴露と、盗作と、エロ描写だ。物語の中の人物って、モデルは誰でここらへんに住んでるんだー、みたいに、プライバシーが知れるように書くと問題になる。また、著作権が切れている創作物は、場合によっては大丈夫だけど(寺山修司の短歌のように、物語の中で適切に使われていれば、慣例的に、しょうがないなあ、というものがないわけではない)、まあ数十行にわたって夏目漱石とかのテキスト丸写しとか、いかんでしょ。
問題はエロ描写なんだよな、と、おれは思った。なぜそれがいけないのか、文学的に価値があると認められているエロ小説・エロ描写なんていくらでもあるじゃないか。
ああ書きたい。樋浦清を主人公にして、エロ書きたい。この、悶々とたぎる夜ごとの思いを、おれはどう抑えればいいのか。
………………別にネットとか、公の場で発表しなければいいんだ。そうだそうだ、そうなんだ。
そうしておれはイケイケドンドンで、って、張り切って、の同意語としてネット辞典にはあるんだけど、すげぇ頭が悪く見えるので、ハッスルして、ぐらいでいいか、とにかく夜を徹して毎晩、エロ物語を作った。
*
頭の中がぼんやりして、目の前がかすんで見える。それとは対照的に背中の、馬乗刀で斬られた傷がはっきりと痛い。その中でも灼熱の痛みを感じさせるのは、傷口に泥水とともに入り込んだ一枚の葉がある部分だ。その葉は、すこし前に降ったヒョウによって生木のまま落ちた桜の樹の枝についていたもので、その痛みは、葉が真実で、僕が嘘だということを意味している、と、年野夜見は思った。
「死なないで、死んじゃだめよ、年野夜見!」と、ぼんやりした目と耳で感じられるのは、初めて見る千鳥紋のくしゃくしゃの泣いた顔と、必死で取り乱している声だった。
もう君は何千年も、たくさんの友だちや仲間が死んでいったのを覚えているはずじゃないか、千鳥紋。別に僕が最初で最後の友だちなわけじゃないだろう。
千鳥紋は、携帯端末をいじって、物語部に待機している、物語の顧問で全能の神(現在はその能力の一部は失われているが)のヤマダを何度も呼び出していた。千鳥紋の涙は滝のように降る雨と混じり、携帯端末の光を受けて青白く光った。
「大丈夫だよ、年野夜見、あなたは死なない。私が死なせない。ここは物語の中だから、そんなことはあり得ないわ」
確かに、嘘の世界では人は死なない。でも、僕も千鳥紋も、物語、つまり嘘の世界の嘘の登場人物だから、作者が殺したいと思えば死ぬ。
年野夜見はすこし前の出来事を回想した。
*
ひとしきり激しくなった雷雨の彼方から、雷鳴とは似ていながら違う、水面を無数の板で叩いているような音が聞こえた。その音の正体は、水煙に隠れて数十メートル先に近づくまでわからなかった。
校庭の泥水をかき乱しながら、闇の中の波濤のように近づいているのは多数の馬と、その蹄の音。乗っているのは戦国時代の武士のように見えながら、一つ一つの影は統一感がなかった。
野武士だ。野武士の群れだ。
稲光で垣間見えたその野武士は、様々な防具と武具で身を固めていた。千鳥紋と年野夜見は、今まで映画館でいつも一緒だったように、その右手と左手を重ねていて、年野夜見は千鳥紋の右手が強く自分の左手を握るのを感じた。でもこの野武士のエキストラには千鳥紋はいない。多分僕のリアルさを確認したかっただけだろう、と、年野夜見は思った。
年野夜見は震えながらも、校庭の真ん中で立ちすくむ千鳥紋の体を自分の背で野武士の群れから守った。
僕は、40分ほど前に語った「自分がこわいと思うもの」によって殺される。つまり、映画『七人の侍』の野武士だ。僕には千鳥紋を守れる弓も刀も持たないが、死ぬのは僕だけで十分だ。
しかし、物語部のほかの部員も、このような形で殺されるのか? つまり、それぞれの「こわいと思うもの」で?
戦闘を行く野武士の頭目は、手にした刀で年野夜見を袈裟がけに斬り、千鳥紋は年野夜見を上にして泥水の中に倒れた。野武士の馬群はふたりを、滝が途中の岩を避けて落ちるように分けて囲んで、北から南へと走り抜けた。
「………………………………」と、頭目とその馬は足を止め、後ろを振り返り半周して言い、さらに半周して手下にこう言った。
「帰るぞ」
そして、野武士の群れは、闇から生まれ闇へと去っていった。
年野夜見は、野武士の頭目が自分たちを見て言った、もしくは言われなかった言葉を知っている。
言われなかった言葉になってしまったのは、音声の収録時にミスがあったからだ。このような雷雨の中の声など、普通に撮っていたのでは観客に聞こえるわけがないから、当然アフレコである。
最初に撮ったセリフはこうだった。
「俺たちの出番は終わった」
しかしそれでは、メタに映画の中の登場人物っぽいので、このように変えられた。
「俺たちの仕事は終わった」
これに関しては、仕事という言葉が戦国時代と今とでは違う意味だ、という、時代考証の係からクレームが来た。
その後脚本家は、監督や頭目役の男と相談して、こういうセリフにした。
「俺たちのつとめは終わった」
だが、そのセリフは正しく収録されないまま、劇場では音声のない、口の動きだけのままで公開された。
これはこわいなあ、と、年野夜見は思った。
*
そして、年野夜見は死んだ。
でも、そんなに案じることはない。年野夜見は霊的存在、この物語の第三者視点での語り手として、しばらくの間残るのが、作者によって許されているし、じきに生き返る予定だ。




