婚約破棄からの恋
アプリコット・グランプール伯爵令嬢は期待に胸を膨らませていた。今日は14歳の誕生日。オルレアン王国の第一王子である、婚約者のロバート王子が盛大な誕生パーティーを開いてくれるのだ。
「ねえ、ソフィー。このドレスはどうかしら?」
「素敵です。ピンクのフリルがお嬢様の可愛らしさを際立たせていますよ」
ソフィーは行儀見習いとして奉公に来ている貴族の娘だった。2年間アプリコット付きの侍女として働いている。
ソフィーの返答にアプリコットは満足できないようで頬を膨らませる。
「可愛いは嫌なの。綺麗って言われたいわ。この癖っ毛の髪なんとかならないかしら。そばかすも残ったまま」
「さあ、お嬢様。お支度が整いましたよ」
ソフィーは合わせ鏡で後ろの髪型を見せる。アプリコットの耳元から結った金髪が、ウェーブのように背中を流れている。頭の中心にはロバート王子から贈られたアメジストの髪飾り。身長は同世代と比べたら低い方で、オルレアン王国の妖精と呼ばれている。
「仕事ができるわね。ソフィーみたいに凛とした美人に産まれたかった」
アプリコットは、ぶつくさ言いながら従者に連れられてパーティーに向かう。
* * *
誕生パーティーにしては盛大だった。各伯爵家、男爵家の令嬢が集まっている。さらに王子の親、国王と王妃まで。
「こうして皆に来てもらったのは報告があるからだ」
ロバート王子は中心で宣言する。ロバート王子の榛色の瞳がアプリコットを見る。
貴族の令嬢は14歳から社交界へデビューする。アプリコットは今日からデビューだ。社交界で見初められてすぐ結婚する令嬢もいる。ロバート王子とアプリコットは小さい頃からの許嫁だった。19歳のロバート王子とはちょうどいい年の差である。
「婚約者のグランプール伯爵令嬢と婚約破棄する!」
アプリコットは「え?」と驚きを隠せない。
アプリと呼ばれていた。グランプール伯爵令嬢とは他人行儀すぎる。
アプリコットは混乱する頭を必死に回転させた。
「意味がわかりませんわ。理由を説明していただいても」
「グランプール伯爵令嬢は子どもにしか見えない。一緒にいても心が休まらないんだ」
ーー愛しのアプリ。元気な姿を見ているだけで幸せだよ。
ロバート王子の言葉は嘘だった。
「伯爵家への侮辱と捉えてもよろしいですの」
「既に国王から許しをもらった。国王からの文書が届くだろう」
国王の決定に反対することは国家への反逆として扱われる。
「ソフィア男爵令嬢、こちらへ」
「はい」
アプリコットは着飾った姿の侍女ソフィアーーソフィーを見たことがなかった。
ソフィアが優雅にロバート王子の隣に立つ。深い紫色のドレスが、飾りは少ないもののソフィーの美しさを際立たせている。
「報告はもう一つある。ソフィアは私の子を身籠った。ソフィア男爵令嬢と結婚する!」
ソフィアにロバート王子を取られたんだ、と気づいたときには婚約破棄の悲しみは止まっていた。衝撃が大きく頭の中は真っ白になった。
国王と王妃は、結婚と妊娠の報告に喜んでいる。周囲の令嬢も祝福ムードだ。アプリコットに同情する者はいない。
* * *
アプリコットが失意で部屋に戻ったところ、ソフィアが来た。私物を取りに来たようだ。
「あなたの顔なんて見たくなくってよ」
アプリコットは首を振って視線を反らす。ソフィアは静かに言う。
「我儘で子どもな貴方が、私は嫌いでした」
「だからこんな酷いことをしたの?」
ソフィアは感情のない瞳で笑う。
「そうです。ロバート王子から愛されているのが許せなかった」
アプリコットは叩こうとする手を理性で止める。王子の結婚相手に暴行したら、アプリコットが反逆者になる。
「私のお姫様を苛めるのはやめてくれませんか」
「アレク」
アプリコットは従者の名を言った。
従者のアレックスーーアレクが「お取り込み中のところ失礼」と部屋に入ってくる。
「アレックスさん。伯爵家の従者を辞めて、王家付きになってもいいのよ」
「いいえ、お姫様から離れる予定はないですよ。ソフィア、貴方は侍女ではなくなりました。今すぐこの部屋から出ていってもらいたい」
アレックスは鋭い目で睨んだ。ソフィアは眉を寄せて姿を翻した。
「立派でしたよ」
アレックスはアプリコットの背中をポンポンと優しく撫でる。
緊張の糸が切れて、アプリコットは静かに嗚咽を漏らす。アプリコットの気が済むまで、背中を撫でていた。
「アレク、ありがとう。もう大丈夫。大丈夫だから」
アレックスはアプリコットをきつく抱き締めた。
「こんな可愛いお姫様を手放してしまうなんて、ダメ王子だ」
「我儘で子どもで愛想つかされたのよ。おまけに貧乳だし」
「可愛いと自然と許してしまうのですよ。貧乳は、まあ、好みがありますから」
最後の方はコホンと言葉を濁している。アレックスは抱き締めた手を解放する。
「気がついたときにはお姫様は王子の婚約者でした。手が届かない存在になっていた。婚約破棄は私にとってはチャンスです。いつかお姫様の隣に立てる存在になります」
アプリコットの側で跪いて、手の甲に口づけた。
* * *
アプリコットが17歳になると、美しさは増した。貴族からの結婚の申し出は多くなった。アレックスが裏で手を回して、結婚の申し出があったことはアプリコットは知らなかったが。
足を踏んでしまっていたダンスは、アレックスとの猛特訓の末、妖精が舞っているようだと言われるようになった。ドレスも赤を基調にしたものを好むようになった。
ウェーブのかかった髪は、アレックスが綺麗だと言ったためそのままにしている。
身長は少し伸びた。成長すると頬のそばかすは消えていった。
「アプリコット伯爵令嬢。私の妾にならないか」
ロバート王子に呼び出されて、アプリコットは王城にいた。
ロバート王子の急な発言に、隣に立つソフィアは「側室を持ちますの!?」と言って、顔面蒼白になる。国王は正室のみだったが、側室を持つことはオルレアン王国の法律上認められている。
「お断りいたしますわ。心に決めた方がおりますの」
アプリコットは毅然と言う。ロバート王子はフンと鼻を鳴らせた。
「そこにいる平民の従者か。身分の差は、身を滅ぼすぞ」
「あら、アレクは平民ではなくなったわ」
ロバート王子は意味がわからないと、アレックスへ視線をずらす。アレックスは前に進み出る。
「失礼を承知でお話いたします。東方の内乱を収めたことで、国王から伯爵位を賜りました。ロバート王子には伝わっていなかったようですね」
「なっ」
ロバート王子は、だらしなく口を開けている。
ソフィアは側室がなくなったことの安心感と、アレックスの伯爵位を賜ったことの苛立ちで複雑な表情をする。
「私はアプリコットと結婚します」
まあ、こんな形で貴方に言うのは不本意でしたがとアレックスは言う。
「なんだと!」
「さあ、行きましょう。アプリコット」
「はい。アレク」
憤る王子を相手にせず、アプリコットとアレックスは去っていった。