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7、寅吉の話

 スーツ姿で車から顔をだす。肩をすくめて進は寅吉にいたずらっぽく微笑みかけた。


「さあ、どうでしょう? それとも何か聞かれて困る話でも?」

「やめてくださいよ」


 それに答えて寅吉もイタズラげな顔をする。


「僕には探偵さんみたいな秘密はありませんよ」


 軽口と皮肉の中間のような言葉に進は苦笑した。何となく彼の人となりが分かった気がした。この一連の出来事でなりはひそめているのだろうが、多少の皮肉家のきらいはあるのだろう。現に琴美は寅吉の言動に少し焦りながらも微笑ましいものを見るような目で見つめている。

 琴美は寅吉の皮肉を久々に聞いた。何となく彼女にはこれが寅吉の調子が良いかどうかのバロメーターだったのだ。それも亀吉が殺されてからめっきり消えていた。それも仕方ないことだ。


「おや、そんなふうに見えましたか」


 寅吉の皮肉に進はさらりと笑って答えた。見た目よりもずっと大人びた、別の言い方をすれば老成した言い回しに琴美は首をかしげた。何となくだが、彼がこの見た目通りの年とは思えなかった。寅吉たちより、どちらかと言えば自分たちの方に近い年と感じる。


「今日のお仕事は終わりですか?」

「ええ。会社に行って早々、友人たちにまだ顔色が悪いから帰れと。ならばついでにと、父の会社に寄ってきたところです」

「よい友人をお持ちですね。しかし自分にはもう関係のない亀吉さんの会社にまで、なぜ?」


 進の問いに寅吉は苦笑した。まだ自分があの会社に未練があると思われるのは心外だったが、今から答える内容はそうとられても致し方ないことだった。


「僕にはまだ責任があると思っているので」


 目を閉じてその答えを聞く進。そして寅吉の真意を正しくくみ取ると言葉を選びながらゆっくりと次の質問を重ねた。


「会社の経営、このままでなんとかなりそうですか?」

「……さあ、なんとも」


 ちらりと琴美を見た寅吉。その視線に琴美は思わずうつむいた。寅吉はそんな琴美を見て眉を寄せた。初めて見る苛立ちの表情だ。だが進たちの存在を思いだし、深く息を吐いて人好きのする笑みを浮かべる。

 時間にしてほんの数秒の事だったが、二人に何かしらまだこちらが掴んでいない特別な関係があるのは明らかだった。


「ただこのままでは弟たちの手に渡るのは難しいでしょうね」


 頭をかきながら寅吉はそういう。自分が継ぐことなど一片たりとも考えていない。


「会社経営は大変ですね」

「ええ。そもそも企業のトップなんて、総じて貧乏くじをひかされたようなものですしね」

「それはご自身の経験で?」

「ま、そんなところです」


 寅吉は父親の会社はついではいないが自分で会社を興している。さらりと話を向けると寅吉は肩をすくめて首肯した。その時ちらりと腕にはめた時計を見た寅吉。

 その仕草に道端で長々と立ち話をしているのもなんだなと感じた進は最後に一つだけと言って彼に問いかけた。


「遺体が発見されたときミケはどこにいましたか?」

「ミケですか?」

「ええ。今はとりあえず遺体発見当時お屋敷にいた生き物の場所を把握しておこと思いまして」


 進の言葉に百パーセント納得したわけではないだろうが、その問いに答える。


「うーん、そういえば見かけなかったな。きっちり食事の時間には現れるやつだったのに」

「そうですか」

「ミケが何か関係するんですか?」


 寅吉の問いに進は頭をかいた。おどけたような表情で肩をすくめてミケが去っていった方を見た。いたって普通の街路樹が植えられた道だ。


「たとえば、動物を操る能力者というのも報告されています」

「つまりミケが操られていると?」


 視線を寅吉の方に向けた進は否定も肯定もせず肩をすくめる。


「ただ様々な可能性を模索しなければならないのが僕たちの仕事です」


 淡々と進は言う。そこにあるのは必ず事件を解決すると言う熱意と、それと相反する様な冷めた義務感。どうしてそんな印象を抱いたのか寅吉と琴美には不思議だった。

 だがその不可思議な色合いもすぎに霧散する。穏やかな笑みで進は二人に頭を下げた。


「すいません、長々とお引止めしてしまいましたね」

「もう質問は大丈夫ですか?」


 琴美の言葉に進は頷いた。聞きたいことは聞いた。それにこれ以上長く彼らを引き留めておくのも今度の心象的にあまり良いことでもない。


「お二人への質問はもう大丈夫です。まだ何か聞きたいことができたらお聞きしにくるかもしれませんが」

「それは構いませんよ。じゃあ藤村さん、乗ってください。僕らも帰りましょう」

「あ、はい。すいません寅吉さん」

「いえ。大した手間でもないですから」


 そう言うと寅吉は浩二たちの手から買い物袋を受け取り車に乗せていく。後部座席に琴美が座ったのを確認して寅吉も運転席に座り車を発車させた。

 それを見送る三人。車の姿が見えなくなったところで進はあたりを見渡した。そして後ろ二人の刑事に言う。


「ちょっと人が来ないか見張ってて」

「おう」


 何をするか見当がついた浩二は少し眉を顰めつつあたりを見渡す。対照的によく分かっていない瞳はあたりを見渡しながらもちらりと進を見てしまう。当の本人は瞳に少し笑いかけながら左の掌を広げて見せた。


「この時間に蝙蝠はちょっと不自然かもしれないけど、仕方ないよね」


 そう言うと進はズボンのポケットに右手を入れて掌に収まる程度のカッターナイフを取り出した。それをいったいどうするのかと見ていた瞳の目の前で進は自分の左掌を深々と突き刺した。


「っ?!」


 思わず大きな声が出そうになったが、見張れと言われていた手前人を集めるような行動をとるわけにもいかない。

 カッターナイフを抜くとどろりと血があふれた。激しく吹きあがることもないが一気に掌の表面積を越えてぽたりと地面に零れ落ちる。いや、零れ落ちるはずだった。


「形状、蝙蝠」


 ぽつりと進がそうつぶやくと掌の血は親指と人差し指の付け根あたりに集まりそこから零れ落ちそうになった。

 だが完全に下にはいかない。まるで蝙蝠がさかさまに張り付くように血が固まっていく。そしてそれは真実蝙蝠だった。手の平ほどの大きさになった真っ赤な蝙蝠は進の手にぶら下がったまま身じろぎをする。既に進の手には傷も血もない。

 あの血がすべて蝙蝠を形作るのにすべて使われたようだった。

 ぱさりと翼を広げてその蝙蝠が羽ばたき進の手から離れる。くるくると進の顔の周りを数度飛ぶ。まるで親に甘えるような仕草だった。


「じゃあ頼んだよ」


 彼の言葉に蝙蝠はすうと寅吉たちの車を追うように飛び立った。それを見送った進は深々とため息をついた。酷く疲れたような声だ。


「大丈夫か?」

「うん? うん、へーき。それより五十嵐刑事は平気?」


 浩二の問いに力なく答える進。少し顔色が悪いように瞳は感じていたが、その本人から心配されるとは思わず彼女は目を白黒させた。


「え、えっと」

「僕の力をこうしてあからさまに見るのは初めてでしょう?」

「あ」


 死の香りが分かるという進の能力は直接見ることができるものではなかった。そういう意味ではこうして彼の『異能』を見るのははじめなのだ。


「色々ショッキングに感じる人もいるからね」


 あっけらかんと進は言う。止めてあった自動車に向かいながら彼は瞳の顔色をじっくりと眺める。その視線を受けて瞳は苦笑した。


「これくらいのことはできると最初から思っていたので」

「あはは、そっか」


 強がりではない。進がまるで呼吸するのと同じように自然にやるので違和感を覚えなかったことが原因かもしれないし、もしかしたら能力者と聞いたときから何か覚悟していたのかもしれない。


「月原刑事も初めて見たときは驚いたんですか?」


 瞳の問いに浩二はふむと首を傾げた。彼が初めて見たのは浩一の力だった。しかも十年以上近く前の話だ。あまり覚えていない。

 それに今と昔では状況も違う。その時驚いているような暇はなかった。

 頭の後ろで腕を組みながら浩二は小さく笑みを浮かべて答えた。


「さあ、忘れた」


 瞳はその言葉の裏に隠されたやんわりとした拒絶を感じ取ることができない人間ではない。浅慮だったかと反省しながらさりげなく別の話題をふった。それにこちらの方が重要度は高い。


「あの、そういえば今のってなんだったんですか?」


 進の血が蝙蝠になった。まるで宝石のような、鉱物じみた輝きを持ったあれは瞳には生物とも無機物とも判断が付かなかった。駐車していた車まで戻ると、先ほど買った昼食を手に持って進は話し始めた。

 瞳はサンドイッチと紅茶、浩二はおむすびと惣菜とお茶、そして進はサンドイッチとトマトジュースだ。ふと瞳は浩一と探偵事務所で初めて顔を合わせた時も、彼がこれを飲んでいたなと思い出した。別にどうしたわけではないが、何となく気になる。


「えっと、今の蝙蝠の話だったよね」

「あ、はい」

「まあ僕、というか浩一の能力の一部なんだけどね。僕らは自分の血の一部を別の生き物に変えて遠隔操作できるんだ」


 瞳はそれを聞いて少し難しい顔をした。


「じゃああれは水月さんの意思で動いているんですね」

「うん。まあ簡単な自己意識はあるみたいだけど」


 トマトジュースの紙パックにストローを刺してそれを美味しそうに吸う進。幾分顔色が戻ったように見える。500㎖を一瞬で吸い尽くしてもう一本取り出した。今度はゆっくり飲んでいく。

 そのいい飲みっぷりに見惚れていた瞳は、進がサンドイッチの包装をといていくのを見てあわてて自分もサンドイッチの包装をはいだ。それをちらりと見ながら浩二は言う。


「あれだ。命令に忠実な犬だって自分の身は守るだろ?」

「はい」

「あれと同じだ」


 浩二の補足に進も頷く。ただ問題はと、彼は続ける。


「ただしあんまデカすぎる貧血を起こす」

「え?!」


 あわてて瞳は後部座席に座る進を見た。最初に感じた顔色の悪さはそれに由来するのかと納得する。その進は浩二の言葉にまるで余計なことを言うなと言わんばかりに苦虫をかみつぶしたような顔をしているが否定はしていない。

 恐る恐る瞳は進に再度体調を確かめた。


「本当に大丈夫なんですか……?」

「うん、大丈夫。あれくらいなら平気だっていっつも言ってるんだけど」


 肩をすくめて進は答える。それに今度は浩二が苦い顔をした。きっとそう言って何度も倒れたのだろう。言われなくても想像はついた。

 おにぎりを食べながらもほほを膨らませると言うなんとも器用なことをしながら浩二は無言で抗議している。それを横目で見ながら瞳は進に重ねて問いかけた。


「じゃあどれくらいの大きさは危ないんですか?」

「そうだな、たとえばあの蝙蝠だったらあと一回り大きいくなると難しい」

「蝙蝠以外にも何か作れるんですか?」


 レタスたっぷりの野菜サンドを食べながら進は首を傾げた。片手で指折り数を無言で数えている。最後のひとかけらを口に放り込みそれをトマトジュースで流し込むと進は彼女の問いに答えた。


「犬や蛇、後は小鳥。作ったことがあるのはこれくらいかな。ただ僕が知っている、それこそ図鑑で見たことがある生物なんかでも作れるから、大きさを度外視すればドラゴンやユニコーン、河童なんかも作れるよ」

「河童……」

「うん、河童」


 きっと真っ赤な河童だろう。手の平サイズの真っ赤な河童。それをかわいいととるかシュールと取るかは各々の裁量だろう。

 しかし元が血の河童は水に溶けたりしないのだろうかと瞳は思った。それを問えば進はしばし瞬きをして頭をかくとうなずいた。


「うん、そうだ。溶けるね……雨でも溶けるんだ、あいつら」

「けっこう不便だよな」

「うーん、まあ万能の力なんてないからね」


 浩二にそう言い返す進の口調はどこか重い。浩二に言い聞かせるようにも、自分を戒めるようにも聞こえる。


「まあ万能の人間なんていませんしね」

「うん、そうだね。まったくもってその通りだよ」


 少し気まずくなった空気を変えるように言った瞳の一言に、二本目のトマトジュースを飲み終えた進は笑ってそう答えた。



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