3、家族
呼び鈴を浩二が鳴らし、事前に説明していた探偵をつれて来たとつげた。すると「いらっしゃいませ」という言葉と共に重そうな門が開いた。時代錯誤な門扉だと思っていた進は、この予想外に自動化されていた門に少し驚いた表情を見せた。これを開くには少々骨が折れる作業ではあるので多少考えればわかりそうなものなのだが、どうにもイメージとして手動のような気がしていたのだ。
「これ中から開けてもらうしかないのかな」
「いえ、家人でしたら外からも開けることができるそうですよ」
「へえ?」
進のもっともな疑問に瞳は歩きながら最初浩二が押したインターホンを指さした。
「あそにある鍵穴に気が付かれましたか?」
「うん」
言われた通りインターホンの横に小さな鍵穴があった。二十年以上探偵助手として本物の刑事事件も手掛けてきたのでそうしたところを見逃しはしない。
門から母屋へは少し距離がある。後ろで自動的に締まった門の気配を感じながら会話を続けた。
「あそこで門を開けることができるそうです」
「じゃあ内側からは?」
「それは特に鍵を必要としないみたいです」
進と瞳は歩きながらちらりと後ろ振り向いた。門の横にレバーがある。
「レバーを下ろせば開くの?」
「はい」
前を向き直り、浩二の背を追うように歩きながら進はうでをくんだ。首を傾げながら自分の考えをまとめるように言った。
「外部犯か内部犯かはちょっとまだ分からないのかな」
「いや、そうでもないぜ」
答えは瞳からではなく先頭を歩く浩二から上がった。
「入ってしまえば出るのは簡単だって話だろ?」
「そうそう」
「それがそうでもない。あの入り口のそばには監視カメラが、塀の上には夜になれば感知器がって具合になっているんだ」
浩二の言葉に進はおどけたような仕草で両手を肩まで上げた。そしてなぜかにやりと笑って言う。
「なるほど、空を飛ばない限り誰にも見られる外を出るのは不可能なわけだ」
瞳は進の笑顔の理由が分からず首を傾げたが、実際その通りだったので浩二と同じように首を縦に振った。空を飛べる認定能力者の存在も決して除外できないのでそれが冗談だけの言葉ではないと言うのは分かっていた。
「ネコ一匹出ることができない密室ってわけだ」
だがこの言葉に浩二は首を振った。瞳も苦笑する。
「ネコの出入り口はあるから密室って程じゃない」
「ネコいるんだ」
「いますよ。かわいいミケ猫です」
瞳の言葉に進は微笑んだ。もう少し話を聞いておこうかと思ったが、ちょうど母屋にたどり着いた。庭に似合う日本家屋かと思いきや、よくそのあたりで見かけるような普通の家だった。もちろん大きさはけた外れに大きい。
浩一がその家の扉を開けた。
「ごめんください。警察のものです」
「お待ちしておりました」
そういって出てきたのは、五十を過ぎたほどの女性だった。大きな前掛けをしている彼女は、十数年前はなかなかに美人だったことをうかがわせた。年相応のしわがあるが、目元には若いころの愛らしさというべきものが残っている。大きな瞳が印象的だった。
話で聞いたお手伝いの藤村琴美だろうと進は見当をつけた。そしてそれは当たっていた。
「こちら家政婦の藤村さん。藤村さん、こちら探偵助手の水月進。お話ししました通り探偵は少々別件で」
「はい聞き及んでおります。ご家族の皆さんもそろっておいでですのでおあがりください」
「では失礼します」
浩二にならい靴をぬいで後の二人も富山家に入った。
中は外観を裏切ることなく洋装だった。板の間を通り客間と思しき場所に案内される。そこには先に説明されていた通り一家全員がそろってソファーに座っていた。
三人は、すすめられるまま庭に面する窓を背にしてソファーに座った。手伝いの琴美が三人にの座る目の前の机に冷たいコーヒーを置くと、まず三人から見て右側、上座に当たる1人掛けのソファーに座った成人男性が口を開いた。
「初めまして、僕が長男の富岡寅吉です」
実直そうな若者だった。父親の葬儀を済ませたばかりで、なおかつまだ事件も解決していない中顔は少々やつれたように見えるが、しかし少し大きな目元には強い光を映していた。家族を守ると言う決意だ。
「母の富岡美奈子」
三人の正面の長椅子の真ん中に座る長い髪をひっつめにした着物を着た青い顔をした女性が無言で黙礼をした。
「そして二男の申吉、三男の戌吉です」
美奈子の右隣にいる青年が申吉、左隣が戌吉らしい。二人とも意気消沈している母を心配そうに見つめている。家政婦の琴美はすでに知っているだろうという言葉で省略された。ついで進が口を開く。
「初めまして、私はアクアマリン症候群の患者の事件の捜査を一任されています探偵の助手の水月進です。本来は探偵本人が来るべきでしたが諸事情で私になりました。ただ今この場では探偵と同程度の権限を持っていると思っていただいて構いません」
それに寅吉は頷いた。少し困惑の表情があるが、刑事から探偵を紹介された依頼人はおおむねそうした反応をする。特におかしなことでもない。逆にそれがない方が少々不自然ではあった。
「説明は事前に刑事さんから受けております」
「そうですか。では担当直入にお話しいたします。お父上の事件にアクアマリン症候群の患者が関わっている可能性があります。心当たりは?」
進の問いかけに富山家の人間はそれぞれ怪訝な顔した。ただ一人琴美をのぞいて。使用人が主人の家人と同じ席に着くわけにはいかないとばかりに扉のすぐそばに立っていた琴美は、進の言葉を聞いた瞬間、一瞬だけ表情を硬くした。
そしてちらりと富山家の夫人を見る。だがそれも一瞬で何事もなかったかのように表情を取り繕った。
「……ないようですね」
進の言葉に全員が頷いた。表情を変えた琴美もだ。だがあえて何も進はきかなった。それは刑事二人も同じだった。お互いに目線を交わし頷く。
「分かりました。一応現場の様子も見ておきたいのですがよいですか?」
「はい。ではご案内します」
寅吉がいち早く立ったので、三人は出されたアイスコーヒーを飲み干して彼の後に続いた。
何となく無言で先に行く一同。だが少なくとも寅吉には何かいいたことがあるようだった。ちらりちらりと振り返り進を見ている。話しかけられるのを待っていたが、面倒になり進は自分から声をかけた。
「どうかされました」
「いえ、……その、探偵であるあなたが来られたのは、やはり我が家にアクアマリン症候群の人間がいると考えているんですか?」
その問いには慎重に答える必要があった。進は一瞬目を伏せ、自分の考えをまとめてから答えた。
「最初に言っておかないといけないのは、もしアクアマリン症候群の患者がいたとして、その人物が犯人とは限らないという点です」
「……そう、なんですか」
アクアマリン症候群の患者、認定能力者に関する事件を扱っている探偵が出てきたのだ。彼らが犯人であるように考えてしまうのはそれはある種当たり前の考えだ。
けれどそれは同時に彼らへの偏見へとつながる考えでもある。進たちが扱うのはあくまで『アクアマリン症候群の患者及び認定、非認定能力者』の関わる事件なのだ。それは彼らがその現場に居合わせ何らかの形で事件に関わる場合であると言うこと。つまりそれは彼らが事件被害者である場合も含むのだ。
それを勘違いされる非常に困る。それが彼らへの偏見につながることは絶対にあってはならないことなのだ。
「彼らは被害者である場合も、ただの関係者である場合もあります。それを理解していただかないと誤解を招きかねませんので」
「分かります」
その言葉が信頼できるものだと感じた進は少し微笑みながら言う。
「ご家族かどうかはわかりませんが、しかし事件関係者にアクアマリン症候群の方おられるのは確かです。なぜこうも確信して言うのか、まあ企業秘密ということで」
少しおどけて最後の言葉をつけ加えると寅吉は少し笑った。ほんの少し彼の態度が軟化したのを感じて進は気が付かれないようにほっと胸をなでおろす。
「けどこうして刑事さんと協力する探偵というのはテレビの中だけなのかと思っていました」
寅吉はそのままずっと思っていたことを言った。それはよく言われることなので浩二が苦笑交じりに答えた。
「普通はあり得ませんよ。ただ彼らは探偵と言いながらもれっきとした公的機関ですので」
「ああ、そうでしたね!」
探偵という呼称からどうしても私的な機関を想像しがちだが、進が所属する事務所は立派な公的機関なのだ。世界に数か所支部を持つ機関だが、働ける人間が特殊である為に小さな規模でのみ展開できてはいないという欠点がある。ヨーロッパに一つ、中東に一つ、アメリカに一つ、そして日本に一つ。
「探偵さんも公務員ということですか」
「ああ、僕のことは水月でいいですよ。そうですね、公務員の扱いになります」
離れと本邸を繋ぐ渡り廊下までやってきた一同。廊下と廊下の間には両端に扉がある。廊下の脇からはガラス越しに庭を見ることができる。離れと本邸と廊下で囲うように小さな池がある。ぽちゃんとコイか何かがはねた。池の真ん中あたりにある岩の上に亀がのんびりと甲羅干しをしている。日はあまり射してないが、それなりに温かくまた空気もからりとしているので甲羅もよく乾くだろう。
長閑な池の風景をしり目に渡り廊下を端までたどり着いた。本邸と廊下を隔てる扉と同型のそれを開くと、そこは本邸と違って立派な日本家屋だった。
「この奥です」
渡り廊下とつながった縁側を突き進んでいく。ちらりと見ると寅吉の表情は少し険しい。先ほどまでの和やかさが嘘のようだ。だがそれも致し方ないだろう。なんといっても自分の父親が殺された場所に向かっているのだ。
離れとは扉を隔てているからだろうか、本邸ならばまだ普通に過ごせるのだろう。聞かなくとも三人にはその程度容易に察せられた。
「……一つ聞いていいかな?」
「はい、なんでしょうか」
進はこうした捜査での常套的な質問をした。
「お父さんはどんな方でしたか?」
「そうですね。……少し厳しいけれど、よい人でしたよ。僕が家業を継がず新しい事業を起こすと言ったときも、最後は快く援助を申し出てくれましたし」
たとえそれが家族内の無用な争いを避けるためであっても、父親にとって息子は息子。しかも前妻の忘れ形見であればなお一層会社を継がせたいと言う思いもあっただろうに、彼は無償で企業を起こす援助をしてくれた。
「そうか……いい人だったんだね」
「ええ。そう、いい人でした」
瞳はその寅吉の言葉に何か違和感を持った。しかしそれを深く探る前に現場についてしまった。
そこはちょうど本邸の玄関と真反対に位置する場所だった。玄関に行くよりも裏の壁に行く方が早い。もちろん裏に門はないので出入りするのは玄関に行くしかない。
ただ家主以外でこの場所に立ち入ることものぞくこともできないのは確かだ。
じっと遺体があったであろうと思われる場所に目線をやっていた進は顔を上げて雨戸にもたれるようにして立っている寅吉に問いかけた。瞳と浩二は進の邪魔にならないように進を挟んで寅吉とは反対側に立っている。
「ここで被害者である亀吉さんは発見されたんですよね」
「はい」
「その時寅吉さんはどちらに……?」
「母たちと食事をダイニングで取っていました」
いつもそこで家族そろって食事をとるのだと言う。まだ学生である二人の弟に合わせて父親も起きてくる。普段は本邸にある両親の寝室で夫婦そろって寝ているのだが、その日は珍しく仕事がまだあるからと離れで一人寝ていたのだ。
「早く食事取らないと弟たちが学校に遅れるので僕たちは先に食事を始めました。それからお手伝いの琴美さんが様子を見に……」
そこで深く息を吐いた寅吉に進は鎮痛な表情を浮かべた。
「辛いことをお聞きして申し訳ありません」
進の言葉に彼は首を横に振った。苦笑しながら刑事二人を見る。
「刑事さんにも話しましたが、こうして話した方がまだ落ち着くので」
「そうですか……では、もう少しお聞きしますね」
「どうぞお構いなく」
「ありがとうございます。亀吉さんはこうして離れでお一人になることはよくあったんですか?」
その問いに彼は少し考えるようにうつむいた。拳を幾度か唇に当てて答えた。
「月に二、三回。特にこれと決まった日にちは決まっているようではなさそうでした」
「ではその日もたまたま……」
進の言葉に寅吉は頷いた。つらそうに一瞬彼の瞳が揺れる。それを止める手立てはあったのではないか、助けることができたのではないか。そんな後悔でぐるぐると思考が回っている人間の目だ。進は幾度とそうした人たちの目を見てきた。
もちろん浩二の方が数も場数も多いがけれど『見慣れた』と言えるほど、言えてしまうほど彼は多くの事件を見てきた。だから今その場限りの慰めど言っても無駄なのはよく分かっていた。できるのはただ犯人を見つけて時間がこの家族を癒すのを願うだけなのだ。
「分かりました。ちなみに寅吉さん、亀吉さんが殺された深夜三時ごろはどちらに?」
できるだけ申し訳ないという表情を作って進は聞いた。これも浩二たちから渡された資料に記載されていた事柄だが自分の耳で確かめておいて損はない。また警察が話を聞きとった時から少し時間がたっている。それからまた何か思い出したことがあるかもしれない。
「本邸の自室で寝ていました。刑事さんにも言いましたがアリバイらしいアリバイはないです」
少し困ったよう寅吉に言う。それに進は分かっていると頷いた。
そして後ろを振り返りずっとだまって二人のやり取りを聞いていた浩二と瞳に困ったように笑いかけた。その表情を見ると、浩二は一瞬だけ眉をよせた。だが何事もなかったように表情を取り繕う。
「とりあえず僕の用事は終わったよ」
「分かった。聞いての通り、私たちはそろそろお暇します」
「はあ。いいんですか、他の家族に話を聞かなくても?」
普通、家族それぞれの話を聞いて帰るものではないのかという寅吉の問いかけに、進は振り向いて苦笑しながら首を振った。
「元は現場を見るのが第一の目的で、ご家族からのお話はできれば聞きたいとものでしたので。みなさんあまり顔色もよろしくなかったのでご無理は言えません」
確かに警察から事情を聞かれたときはまだみな現実感がなく何とか答えることができた。しかし今はやっと日に常から日常へと戻ってきた切れ目。この時期にもう一度事件のことを思いださせるのは酷というものだ。そうした気遣いに寅吉は頭を下げた。
それに対して進は一瞬だけ気まずげな表情になるが、何事もなかったように微苦笑を浮かべる。
「その代り、別日に外でご家族の方にお声をかけても?」
「それは……本人が嫌がらなければ」
「ありがとうございます。一応その時の様子はすべて録音しておきますしプライバシーは保証しますので」
進の言葉を裏付けるように浩二が頷いて彼の言葉を補足した。
「もちろん一対一がおいやでしたらご家族の方をお呼びしても構いませんし、ご心配ならずとも我々も同席します」
「分かりました。では家族のものにはそのように言っておきます。ただ……」
不安そうな寅吉の顔。気になることがあればいくらでも質問してほしいと促す。すると彼は少々言いづらそうに、進とは目を合わせないようにして言った。
「父や僕の会社の従業員、それに申吉と戌吉の学校関係者にこのことは……」
「……大丈夫、言いません。プライバシーの問題もありますしね。何か気になることがあればまず寅吉さんにご連絡して、それから話を聞きます」
寅吉は進の言葉にほっと胸をなでおろした。その胸中に家族の人間がアクアマリン症候群を発症した可能性があることを外に漏らされることへの心配があったことは想像に難くない。だが進はそれを指摘しようとは思わなかった。何より寅吉がそうした思考をした自分に嫌悪をいただいていることを見抜いたからだ。
胸をなでおろし、そしてすぐに唇を噛みしめる彼の表情がすべてを物語っている。
「重ね重ね申し訳ありません」
「いえ、無理を言っているのはこちらのほうですから」
にこやかに進がそう言い切ると、寅吉はもう一度深々と頭を下げた。
「刑事さん、探偵さん、どうか父の事件をよろしくお願いします」
「もちろんです」
「必ず」
「思いつめないでくださいね」
三人三様の答を言って、富山邸をあとにした。