2、事件
浩二が運転する車に、瞳と進は乗っていた。瞳は助手席に、進は後部座席に座っている。都心からおおよそ一時間。閑静な住宅街にたどりついた。それぞれの家がある程度の庭を持っていて、それが各家との目隠しとなっているような場所だ。
あの日、初めて瞳が探偵と対面した日から二日たっていた。二人がもってきた依頼を聞いた探偵の浩一は、しばし考え進を連れてその現場に向かうように言ったのだ。ただ相手方の都合もありそれはすぐには実現しなかった。
「まあ仕方ない、通夜や葬式の真っ最中に刑事以外の人間が事情をお聞きしても~ていうわけにはいかないからな」
「ええ。すいません、こちらから依頼したのに」
「お気になさらず五十嵐刑事、よくあることです」
助手席から申し訳なさそうにそういって謝る五十嵐に、進はにっこりと笑って答えた。そのやり取りを黙って聞いていた浩二は、そういえばと話をかえた。
「事件の内容は覚えているだろうな」
「酷いな。僕だってそれくらいは覚えてるよ」
「よし、じゃあ復習がてら言ってみろよ。ついでになんか質問があれば答えてやる」
「えーと被害者は富山亀吉さん五十九歳、死因は後頭部を鈍器のようなもので殴られたための脳挫傷」
瞳は進の言葉にうなずいていた。今向かっている富山家にも立派な庭が、そのあたり一帯の家と比較してもなお立派な、庭があり、被害者は離れの庭に血まみれで倒れていた。に整えられていた日本庭園の白い砂利が赤く染まっていた光景は目に焼き付いている。実はこれが瞳の刑事としての初めての殺人事件だった。
「第一発見者は家政婦の藤村琴美さん。朝はいつも早くに起きてくる亀吉さんがなかなか起きてこないのを不審に思った彼女が離れに向かって事件発覚。一報は警察にあったんだったけ?」
「はい。誰がどう見ても亡くなっている様子だったので」
瞳の少し歯切れの悪い語調に、その遺体の様子が何となく想像がついた進は肩をすくめてため息をついた。
「その時奥さんは居間で息子と食事をとっていたんだよね?」
「そうだ。妻の美奈子さんと、息子は三人いて上から寅吉、申吉、戌吉さん。寅吉さんだけ前妻のお子さんだ」
進は浩二の説明に頭をかいた。事務所で聞いた時から気になっていたことがあるのだ。
「子供たちは、これは干支か?」
「そうそう。父親に動物の名前が付いているからって、長男の寅吉さんが教えてくれたんだよ」
「きっと名前でいろいろあったんだろうね。ちなみに兄弟仲とか、今のお母さんとの確執とかは?」
「ないそうだ」
取り立ててどうでもいい話だったが、本人たちが聞かれる前に教えてくれたのだ。父親のくれた名前だと。たぶんそんな話でもしていないとてることができなかったのだろう。長男の寅吉は今年で25になるそうだが、父親があんな死に方をすれば大人だろうが子どもだろうが関係なくショックを受ける。それでも残された自分の弟たちと母と家族同然の家政婦を守ろうと気丈な様子を見せていた。
「ふーん。亀吉さんはえっと、富山工業の社長さんだっけ? 儲かってるんだろうね」
「まあ、こんな土地にあれだけでけえ家を建ててるんだ。儲かってるだろうよ」
浩二の言葉に瞳が継ぎ足した。
「財務状況も見させていただきましたが、別に特別切羽詰まっているという状況もなかったみたいです。一応、月原先輩にも見ていただきましたが」
さらりと付け足された瞳の皮肉に思わず進は肩を震わせて笑った。頭が悪いわけではないのだが浩二は昔から数字関係が苦手だった。まだ彼の下についてそれほど時間は立っていないらしいが、きっとその短い期間で十分その苦手さを見せつけられたのだろう。バックミラー越しの浩二の表情は苦虫を数匹かみつぶしたようなものだった。
だが文句ひとつ言わないところをみると自覚はしているのだろう。それを見ながら進は笑いを堪えていった。
「ここだけの話、浩一、ああ。うちの先生もね、数字関係が大の苦手なんですよ」
「兄弟そろって」
「はい、兄弟そろって」
「進! てめ、兄貴に言いつけるぞ!」
まるで子供が年上の兄弟を引き合いにだして同級生に対抗する様な言いざまに、思わず二人は噴き出した。立派に成人している人間のセリフでもないし、また双子の兄を出してきても普通あまり意味はない気がする。ただ進の直属の上司であると子を考えると少し怖くはある。
「浩二、それならもう少し五十嵐刑事の迷惑にならないように努力しなよ」
ぐうの音も出ない反論に、浩二は眉を顰めた。むっつり押し黙った幼馴染を無視して、浩一は質問相手を瞳に変えた。
「裏帳簿とかは、そういうのもなく?」
「はい。専門家にも見てもらったのですけど、特に問題もなく。綺麗なものでしたよ」
「ふーん。じゃあ後継者は?」
進の何気ない質問に、刑事二人の表情は曇った。ちらりと目線を交わし合い、浩二が最初に口を開いた。
「二男の申吉さんらしい」
「長男の寅吉さんはご自分の力でベンチャー企業を立ち上げて、うまく軌道に乗ったようです」
五十嵐の言葉に進は腕を組んで唸った。
兄弟仲も義母との関係がうまく行っているのもつまりはそこがネックになっているのは誰がどう見ても明らかだった。ただ本人がそれで納得しているなら問題はないだろう。
珍しいと言えば珍しいが、別に問題にするようなことでもない。しいて言うなら三男の戌吉が若干割に合わないような気がした。けれどそれが動機になるとも思えない。何はともあれあってみなくては分からないことだ。
「あ、そういえばずっと気になっていたことがあるんですけど」
「なんだ五十嵐」
浩二は助手席に座る瞳を流し見てそういった。質問を許された瞳は首を傾げて数日前に探偵事務所を辞してから抱えていた疑問をぶつけた。
「この事件、どうしてアクアマリン症候群の患者が関わっているいると分かったのですか?」
アクアマリン症候群の患者はその特殊性ゆえ、公的な機関に登録されている。それは一般人の目に触れることはないが、正式な手順を踏めば刑事である彼女ならば閲覧することができる。そしてあの家の周りにはその条件にあてはまる人間はいなかった。だから不思議だったのだ。どうして探偵の出動を要請したのか。彼女の問いに、浩二と進は目をしばたたかせた。
「言ってなかったか?」
「はい」
瞳の言葉に進は浩二を呆れた目で見た。そこは普通真っ先に説明するとことだろう。しっかり説明をよろしくと目線で訴える。
「……あー、刑事課長の諏訪部、いるだろ?」
「はい」
「あいつ、認定能力者なんだ」
「えっ!」
刑事課長の諏訪部と言えば、浩二とは正反対のやせ形で眼鏡をかけた刑事だった。若干無口で取っつきにくいが、悪い人ではない。配属されたての頃の瞳は彼が少し苦手だった。ただ言葉を交わすうちにそれほどでもなくなっている。だが彼がアクアマリン症候群の患者であることは知らなかった。
「あいつは事件の資料を見ると、その事件にアクアマリン症候群の患者が関わっているかどうか見分けることができる認定能力者なんだよ」
「知らなかったのも無理はないよ。彼あんまり言いたがらないしね」
「それもこれも、どっかのお偉いさんのせいでな」
彼には珍しく吐き捨てるような侮蔑に満ちた浩二の言葉。いつも穏やかな彼とは思えなかった。反応に困る瞳をちらりと見て、浩二は表情をやわらげた。深く息を吐き出して普段の様子を取り戻すと肩をすくめて話をもどした。
「そんなわけで、この事件には誰かしらのアクアマリン症候群の患者がいるのは分かったがデータベースにも載っていない。ちょっとこれは怪しいっていうことで探偵の出番と相成ったわけだ」
その説明に、瞳は首を傾げた。
「その、水月さん、失礼なことをお聞きしても?」
「進でいいよ。なあに?」
「どうして探偵ではなく、探偵助手のあなたがこうして足を運んでこられたのでしょうか?」
瞳の問いはもっともなものだった。特殊な用務についているのは本来探偵だけなのだ。探偵助手は一種のおまけに過ぎない。その上今回の事件は、誰がアクアマリン症候群、認定能力者、分からないのだから非認定能力者と呼ぶべき存在、なのかも、そしてその非認定能力者が犯人であるのかどうかも分からないのだ。ほとんどこの手の事件にかかわったことがない彼女も、過去の事件の資料を見ているのでこれがなかなかに面倒な事件であることは知っていた。普通はアクアマリン症候群の患者がいるかどうか、または認定能力者でなければ起こせないような不可解な事件の時に探偵は呼ばれている。
「そうだね。僕は全権を委任されたわけではないし、正規の意味での認定能力者でもない」
「へ?」
てっきり彼も探偵と同じアクアマリン症候群の患者だと思っていた瞳はいささか間の抜けたような声を出してしまった。だがそれには触れることなく進は言葉を続ける。
「ただ浩一が積極的に関わるにはちょっと条件が整っていなくてね」
「条件、ですか」
「そう」
「話の途中で悪いが、件の富山邸についたぞ」
浩二の言葉で、進は話はまたの機会と言うように肩をすくめた。そして富山邸のそばの邪魔にならない場所に車を止めると、三人はそろって車を降りた。
話には聞いていたが、確かにこの辺りにあっても歴然と大きさの違う富山邸に進は感嘆の念を上げた。石垣の塀の上から立派な枝ぶりの松がはみ出ていて、少し奥の方にある母屋はここからその屋根の先端しか見えない。
「でかいなー」
「はい、私も初めて来たときは驚きました」
「確かにこれだけのおうちはなかなか見ないもんね」
進が苦笑交じりでそういえば、浩二も肩をすくめて同意のそぶりを見せる。その屋敷の大きさに若干気後れしている瞳と特別の気負いもない浩二と進。三人はそろって屋敷の大きさに見劣りのしない門扉の前に立った。