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1、依頼

 都内某所に位置する一本のビル。ひっそりとビルとビルの隙間に立つ四階建ての日当たりの悪そうな場所。しかも今日はくもり。ますます陰気くさい。そのの一階にはどこにでもあるような喫茶店が入っている。この暗さも相まって人が寄り付かなさそうな立地だが、全席喫煙可という最近では珍しい店ゆえにそれなりに繁盛していた。

 その上、二階にある『月原探偵事務所』、ここは二人の男が経営する探偵事務所だった。探偵の月原つきはら浩一こういち、そして探偵助手の水月みなつきすすむ。カフェの店主は、その探偵事務所には二日に一人客人が入るかはいらないかであることを知っていた。しかもそれはほとんど同じような面子。

 そこに男女の連れが入ってきた。親子にしては似ていない。少々ごつい四十台の男性と、美女というほどではないが、目元も涼やかな二十代前半と思しき女性だ。男性は件の探偵事務所の常連だった。

迷いなく探偵事務所の扉を開ける男。その後ろから女性が恐々とついて行く。


「よお、進。兄貴は?」

「久しぶり浩二。先生ならまだ寝ているよ」


 探偵助手と書かれたプレートが置いてある机に座ってパソコンで帳簿をつけていた進は、特別のあいさつもなく入ってきた男性に満面の笑みを浮かべた。言葉通り、彼はこの事務所の主である月原浩一の弟で名前は月原つきはら浩二こうじと言った。職業は警視庁捜査一課に所属する刑事である。

 彼は刑事だと紹介されても誰もが一目で納得する容貌をしていた。短く刈り上げられた髪。首も腕も太く、どっしりとした印象があるのは柔道をしていたからだろう。ただ、がむしゃらに人に畏れられることはない。もし迷子の子供がいて、彼が子供に声をかければ子どもは一瞬驚いてそしてそっと手を差し出すだろう。穏やかな垂れ目と温和な笑みを浮かべる少し厚ぼったい口元がそう感じさせるのだ。


「えっと、そちらの女性は?」


 進がそう声をかけると、浩二の後ろにいた女性は一歩前に出て敬礼をした。


「このたび捜査一課に配属されました五十嵐いがらしひとみと申します。階級は巡査です」

「そんなにかしこまらないでいいですよ」

「は、はい」


 柔らかく進はそう微笑んで、来客用のソファーを二人に進めた。浩二はしゃちほこばっている後輩刑事を苦笑してみて二人掛けのソファーに腰を下ろした。そして早く来いと手で手招く。それにあわてて瞳も彼のそばに腰を下ろした。進は奥に引っ込んだがすぐに戻ってきた。手にはコーヒーが乗ったお盆がある。そしてそのコーヒーを浩二と瞳の前に置き、自分は二人と向かい合わせになるように座った。最後の一つは自分の分らしい。

 その時なぜか浩二は舌打ちした。進はそんな浩二に苦笑を向ける。軽く茶色に染めた髪をかいて、浩二をなだめるような視線を向けた。


「仕方ないだろ?」

「別にここはそんなに日が差さないから起きていられるだろ。起こせよ、今日は依頼があってきたんだ」

「仕方がないなあ。知らないよ、怒られても」

「けっ」


 進の言葉に浩二はそっぽを向きながらコーヒーに口つけた。瞳はいったいなんの話だろうかと首を傾げるか、探偵のことかと思い直した。この探偵事務所の主であり、今回刑事課が正式に依頼をする相手。世界保健機関に認められた探偵。世界で四人しかいない、アクアマリン症候群の患者に関する事件に関してどの機関、どんな人間よりも強い権限を持つ探偵。


「日光がどうかしたんですか」

「まあ、ちょっと肌が弱くなっちまってな」


 浩二は肩をすくめながら答えた。少し口ごもったようなきがしたがあえては瞳もその理由を問い返さなかった。

 普通の人間はその存在を知らない。瞳も、刑事課に配属されなければ知ることはなかっただろう。ゆえに彼女は探偵に合うのが怖くもあり楽しみであった。

だがなぜ彼らが強い権限を持つのか。それは簡単な話だった。


(彼らもアクアマリン症候群の患者だから)


 世界中に蔓延した病だ。けれど発病することはめったにないらしい。そのあたりはまだ研究途中なのだときいた。また、この病に罹患すると特殊な力が備わる為に、いまだ一般の人間からはあからさまに畏れられるかあるいは信仰されるようになる。故にアクアマリン症候群の人間が犯罪に巻き込まれることは多い。けれど彼らそのものが犯罪を起こすことは少なかった。

 そして犯罪を起こしたとしても、その犯罪が法で裁かれることが少ない。法で裁けるような犯罪ではないのだ。たとえば、霊体で好きな相手をストーカー。人を瞬間移動させて貯水槽で窒息死させたり。そうした行為は、物的証拠が出にくく、また本人も自覚なくやっている場合もあり厄介だ。とくに前者のストーカー行為などはその極端な例でもある。

 また逆に後者は、被害者に触れずに殺害できるので、本人の自白しか証拠がなかった。そうした時引っ張りだされるのが、【探偵】だ。彼らはアクアマリン症候群の患者が起こしてしまった犯罪を、司法機関が手を出せないような事案を、司法機関を無視して彼らは裁く。

 どんな人間なのか、そわそわと落ち着きなく瞳はコーヒーに口つけた。そんな後輩の様子を微笑ましげに見守る浩二。そして入り口から見て右手奥にある扉が開いた。


「なんだ、こんな真昼間から」


 そういって現れたのは、十歳ほどの少年だった。明らかに寝間着と分かる黒の上下に、紙パックに入ったトマトジュースを飲んでいる。先輩刑事の双子の兄と聞いていたので、完全に予想外の見た目だった。ただ目元と口元は似ている気がする。日を浴びないという言葉通りまるで透通るような肌の色をしていた。

 彼は瞳の姿を見ると動きを止め、そしてひくりと頬をひきつらせた。


「進っ? どういうことだ!」

「僕は浩二たち、って言ったよ?」

「くそ!」


 一言そうつぶやくと出てきた扉を勢いよく閉めて、あわてて階段を駆け上る音がする。いったい何があったのかと呆然と見つめる瞳。彼女の横で浩二は腹を抱えて大笑いをした。


「ばっかじゃねえの? くそ、腹いてえ~」

「そう笑うなよ浩二。また浩一がすねるよ」

「えっと……」


 瞳の困ったような表情に気が付いた進は、苦笑しながら彼女に説明した。


「今のが月原浩一。この探偵事務所の所長だよ。そして、ああ見えて年齢は浩二と同じ45歳でね。あ、ちなみに僕も同い年。まあ、それで君みたいな若い女性を前にあんな恰好で出るのは恥ずかしすぎたんだよ、たぶん」

「兄貴はかっこつけだからな」


 笑いを収めてそう言い放った浩一。その響きには身内に向ける温かみとほんの少しのいら立ちがあった。なぜあんな幼い姿のか聞こうかと思ったが、すぐに思い出した。自分で先ほどまで考えていたことなのにすっかり忘れていた。

 彼らもまた、アクアマリン症候群の患者なのだ。どんな力があるのは知らない。けれどその病にかかると、体に何かしらの不具合が出ることがある。そのせいかと思ったのだ。

 アクアマリン症候群を発症した当初から、もしかしたらその姿は変わっていないのかもしれない。


「そう、なんですか」


 だから瞳は少し恥じ入ったようにうつむいた。彼がどんな存在であるかすっかり失念していた。先輩刑事の兄という情報で余計な先入観があったにせよ、戸惑いは面に出すべきではなかった。

 彼女のそんな様子を見つめる二人は苦笑した。


「ああ気にしないで。まあ本人にチビとか言うのは勘弁してほしいけど」

「ファミニスト気取りのバカだから、進が八つ当たりされちまう」

「その時は浩二も付き合え」

「やだよ、どんな八つ当たりされるか考えたくもねえ」


 テンポの良い二人の会話に、瞳はくすりと笑った。仲がいいのだなと実感した。進も浩二と同じ年だという。つまり彼もこの探偵事務所の所長と同じ、あるいは似たような症状を発病しているのかもしれない。だがそんなことは感じさなかった。

 病におかされると特殊な力が身につくために、アクアマリン症候群の患者は総じて特別視されやすい。それが良い意味であれ、悪い意味であれ。だから彼らはできるだけその症状を隠そうとする。特に日本ではその傾向が強い。海外ではその能力を人生のやくに立てようとする風潮ができてきたらしいが、日本ではまだそうなるには遠そうだった。

 瞳が出されたコーヒーを飲みながらそんなことをぼんやりと考えていると、奥の扉が再び開いた。察するにその扉は居住区と事務所をしきるものらしい。現れた浩一が仕立てのよさそうなスーツを着て入ってきたからだ。ただしやはり紙パックに入ったトマトジュースを飲んでいる。


「先ほどはお見苦しいところをお見せしました」

「あ、いえ」


 にこやかにほほ笑む少年。ただその瞳を見れば、彼が成熟した大人であることは容易に知れた。探偵と書かれたプレートの置かれた席に座りまずは非礼をわびる。飲んでいた紙パックのトマトジュースは机の端に置かれている。


「僕がこの探偵事務所所長兼、探偵の月原浩一です。既に聞き及んでいるかもしれませんが、貴女の隣に座っている筋肉だるまの兄です」


 その言葉に瞳も立ち上がり名乗り上げた。とりあえず最後の一言はきかなかったことにした。


「このたび捜査一課に配属されました五十嵐瞳と申します。階級は巡査です」

「そんなにかしこまらないでいいよ。ほとんど身内の集まりみたいなものだからね」


 進と同じようなことを言われ、瞳は困惑したように上司を見た。しかしその上司も肩を一つすくめて肯定するだけだ。


「まあ座れよ五十嵐巡査。ほんと、仕事とはいえこうして俺がここにきて仕事を依頼するのも、探偵が兄貴だからっていう、それだけの理由なんだから。本来、こんな仕事、事件を担当しているやつが行けばいいんだしな」


 微かな自嘲の響きを聞いた気がした。だがあえて問い返すような愚は犯さない。さきほど自分で思い起こしたことだ。『アクアマリンの症候群の患者は人々に畏れられることもある』と。それは人々が集まる場所ではどこであろうと起こりうることだ。家族で。地域で、学校で、社会で。

 瞳はため息をついてソファーに座りなおした。それを見て、浩一は口を開いた。


「今日は彼女を紹介しに来てくれたのかな?」

「いいや」


 浩二の言葉ににやりと、人の悪い笑みを浮かべる浩一。その幼い姿と相まってまるでいたずらを計画する悪童のようだった。そしてそれは決して間違った推察ではなかった。浩二が警察から持ち込む事件など、この探偵にとっては子どものイタズラのようにかわいいものなのだから。たとえそれが人の生き死に関わっていようとも。



「そう。知っているよ。事件だよね。さあ、お兄ちゃんに教えてくれ弟よ」

「はいはい」


 おどけて浩一はそんなふうに言った。ちらりと見えた八重歯。それがなぜか瞳の頭の片隅に引っかかった。



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