第七話 「僕の夏休み」なノスタルジー
狭く、慎ましい割には小奇麗な部屋。
口にすれば失礼だろうが、
この少女の家の中にお邪魔して最初に思ったことはそれだった。
褐色の少女と向かいあって、卓に座る。
「何も___出せません、が」
「いや、お構いなく。別に喉も渇いていないしね」
部屋を見渡すが、あるのは座っている目の前の卓がひとつ。
奥の方に台所らしきところ、それに隣の部屋につながる扉くらいである。
少女が一人暮らしをするには広いように思えた。
「お母さんとか、お父さんはいないの?」
「お父さん、は__いません。お母さん、は___部屋の奥に。病気で、休んでます」
「あ……ごめん。嫌なこと聞いちゃったかな」
「いえ、別に____」
地雷を踏んでしまったようだ。
不用意な言葉しか掛けられない自分を不甲斐なく思いつつ、
話題を変える目論見とともに、本題を聞こうと考える。
「ああ、それで?手伝ってほしいことがある、と言ってたけど、何かな?」
手仕事ならまだワンチャンあるが、正直文字関連だとお手上げになる。
出来れば僕にも出来ることであって欲しい。
「薬草、を___探す、手伝いをして欲しい、です」
「薬草?」
「はい____お母さんが病気、なので」
「……つまり、お母さんの病気を治す薬草を探すってこと?」
こくり、と頷く。
うーん。どうだろうか。薬草の知識なんて元の世界でも無かった。
いわんやこっちの世界では、である。
「薬草の知識とか、ないんだけど。僕でも大丈夫かな」
「多分___大丈夫、です。山に入る、ので。大人がいて、くれれば」
大人というほどの年齢ではないが、彼女からすれば同じことか。
要するに薬草を取りに山に入りたいが、子供一人ではいけない。
せめて付き添いが欲しい……といったところだろう。
「分かった。山に入るのは、怖いもんな」
正直、自分も怖い。
山の知識なんてないし、けがをした時の対処とかが分かるわけでも無い。
だが。目の前の少女はもっと怖いのだろう……と考えると、そんな恐怖も掻き消えた。
それに、もし何か獣か何かが出ても、心持次第では撃退できるだけの力はある。
「それじゃ早速行こうか……いや、このトランクを持っていくのは駄目だよな。先に宿まで案内してもらっていいかな。それからってことで」
「分かり、ました___」
「よし。契約成立だ。ああ、それと」
「___はい?」
「名前、聞いてなかった。僕は桜風風時という。風時が名前で、桜風が苗字。君は?」
「リーシャ、マキアー___です」
「リーシャ……リーシャだね。分かった。よろしく」
彼女の目線に合うよう身をかがめてを、握手する。
どうなるかは分からない。
恐らく厄介なことに巻き込まれたともいえるが……なに、何とかなるだろう。
僕はメイに助けられ、目の前の少女にも助けられた。
なら、僕がリーシャを助けるのも道理というものだ。
日はまだ落ちていない。今日の終わりまでには時間がある。
それなら、問題はきっと無いだろう……と思いながら、僕たちは家を出た。
そんなこんなで出発である。
リーシャに案内されてたどり着いた宿では、普通に宿泊手続きが取れた。
身なりに怪しいところが無かったからだろうか。
出かけることに関しても「これから連れの女の子が来ると思うので」とメイに対して言伝も頼んである。
これでひとまずは安心だろう。
「こういう時、ケータイがあれば便利なんだけどなぁ」
「ケータイ……?」
「ああいや、こっちの話」
手元にあるスマートフォンは電源の管理が甘かったせいでとっくに切れている。
充電できなくなるとは思っておらず、ソーラー電池やら手巻き式発電機があるわけでもない。
そもそも電波も通って無い。
他にケータイが無いだろう世界では、電力の不安が無くとも無用の長物だろう。
こんなところでは元いた世界の便利さを痛感させられる。
さて、向かう先はアーデンバウム領の裏にある山、サンデル山だという。
山と言っても岳とか言われるような、そういう山ではないらしい。
探す薬草については「図鑑__あります」と返された。まぁ、そういうなら薬草については一任しようか。
「……でもさ。なんで虫取り網と籠をなんか持ってきてるのさ」
隣に歩くリーシャを見ると、彼女の身長の倍はある虫取り網と、何かの木で編まれた籠を背負っている。
「何か___捕まえられるかも。……虫、とか」
「ふぅん……食べたりするのかい?」
あの家の様子を見るに、決して裕福ではあるまい。
虫は僕からすれば一般的ではないが、意外と栄養価が高いとも聞く。
「いえ___他の人がやっているのをみて……楽しそう、だから」
……意外と子供らしいところもあるようである。
まぁ、少し気が楽になった。
なにせ病気の母親を助けるための薬草探しなんてミッションである。ちょっと重苦しい。
そもそも、彼女は少女の割には無表情というか、無愛想なのである。
声は管楽器のように響くが、どこか硬質だ。
果たして目の前の少女は、一体どんな闇を抱えているのか……?
などと思ってしまうこと請け合いである。
だから、そんなリーシャも年相応の少女なのだと分かるのは悪い気持ちはしない。
「虫取りは初めて?」
「……やったことは、ないです」
そこで僕は、ちょっとした悪戯心が芽生えた。
「ちょっと貸して見な」
「はい___」
彼女から虫取り網を受け取る。
虫取りなんて今までやったことは数えるほどしかない。
子供の頃、住んでいたアパートがおんぼろで、裏にほぼ廃墟状態の地区があったので、
そこではよく虫を取っていたのだが。
それにしたってもう10年前のことだ。
今の僕には、恐らく彼女の虫取り遊びにアドバイスできることなどほとんどない。
そう。今の僕には。
寝起きの頭に……と。これも少しずつ慣れてきたものである。
過去の外郭を掴む。そういう感覚で行くとそこまで疲れたり、
苦労することも無くモノの過去を読み取れる。
果たして読み取ったのはそうとう昔から最近まで。
網のボロボロ加減から古いのものだとは思っていたが、朧気な記憶が三人分。
わりかしはっきりした記憶が二人分も読み取れた。
どれだけ大事に使っていたのか、と言う話である。物もちがいい、なんてものじゃない。
「これって中古?」
「家に最初から___ありました」
彼女の家は五年前に引っ越してきて、そのころからあったとか。恐らくは前の住人がいらなくなって置いていったのだろう。
「それで__なにか?」
不思議そうに……いや、そこまで感情豊かな子じゃないので本当のところは分からないが。
聞いてきた彼女に、僕は極めて得意げな。いわゆるドヤ顔で答えた。
「いや、なに。初めてと言ったろう?少し虫取りのなんたるかを、教えてあげようと思ってね」
ちょっとしたチート。借りものの知識だが。まぁ、これくらいなら許されるだろうと。
山に入る。優しくも色鮮やかな新緑が、土の匂いとともに目の前に広がる。
なんというか、これも慣れた。
前述の通り、僕はこの一週間をほぼ野宿で過ごしてきたのである。
寧ろ飽きたというのが適切であろう。いい加減、暖かい布団かベットで眠りたい。
まぁ、隣にいる人間が変われば、それはそれでレジャー足りうるだろう。
薬草は?と問うと、「奥に___入らなきゃ、採れません」と返された。
というわけで(ここ最近の生活から考えれば)お手軽なハイキングの始まりである。
弁当は無いが……そうだ。昼ごはんの当てが全くない。
まぁ、それもなんとかなるんじゃないだろうか、うん。
あるのはのど飴だけだが、それでものど飴はあるのである。なんとかなるさ。
さっと見る限り、針葉樹林の木々が広がる森だ。
木の種類とか細かいところまで見ていくと僕の世界のモノとすっかり
違っていたりするのかもしれないが、そこまでは分からない。
「僕も図鑑とか持ってきていればよかったんだが」
「?一個じゃ___ダメ、ですか」
「ダメじゃない。ダメじゃないが……その、なんだ。こっちの都合」
「また___ですか?」
僕の個人的な興味の問題である。図鑑とか見て確認すれば、違いも分かるかもしれないという。分かったところでどうなるか、というとどうにもならないのだが。
「お兄さんは____」
「うん?」
「旅の人……ですか?」
「ああ。アーデンバウムには今日来たんだ」
「ひとり___で?」
「いや。相棒がひとり」
ここ一週間のインスタントなものだが。
まだ彼女の素性も聞けていないし、
用事とやらも何をしているのか教えてもらえていない。
「実は僕、異世界から来たんだ」
「_____?」
「信じて無いね」
苦笑する。そりゃそうだ。普通絶対信じない。
普通、ファンタジーだったら魔法が使えたり、
超能力が使えたりすれば異界から来たことを証明できるのだろうが。
僕は元の世界ではただの中学生でしかなく、こちらに来てからも
結局はただの子供である。
「気が付いたらここらへんにいたんだ。知らない場所に。一人きりで。頼れる人間が全然いなくてね。でも、その相棒は僕を助けてくれた。しかも仕事の手伝いをする代わりに僕の面倒も見てくれてる」
「………」
「……君にもいないのかい?そういう友達」
「あまり___。みんなは……亜人とは、なかよくできないって」
なんというか。先ほどから聞く言葉聞く言葉が地雷だな、この子の場合。
アジン、と言った。アジンとは仲良く出来ない。
もしかしたら人種差別があるのかもしれない。
そして彼女は迫害される側で……
母親の話といい、彼女に同情せずにはいられない。
そんなことを考えている自分に気が付き、はぁ、とため息をついた。
僕の手に負える問題じゃない。
僕の言葉で彼女を救うことは、多分無理だ。
メイほどの口上手じゃない。
そもそもこの世界の社会や歴史が不勉強なのだ。下手なことは言えない。
社会の変革なんて、この世界の住人じゃない僕がやれることでも、
やっていいことでもないだろう。
財力も論外だ。メイはこういう子こそを救いたいのだろうが……
この子に金銭を与えても、それはその日の食事に変わるだけだ。
それはメイの目指すものには至らないと思う。
つまり、この同情は同情でしかない。意味のあるものじゃない。
だが、目の前には苦しんでいる本人がいた。
全く、勘弁してくれ、と思う。これでは、TVの向こう側のように
無関心であることも、無視することも出来ないではないか。
はぁ、と。もう一度溜息をついた。
出来ることをやるしかない。目の前の娘が望んでいることをしよう。
彼女の母親を救う手助けをしよう。
そして、せめて。彼女が楽しめるよう、おどけてやろうではないか。
先ほどから僕が持っていた虫取り網。
それを剣舞じみた動作で弄ぶ。
「おおー」
「ダウナーな歓声ありがとう」
ロングソードの方の経験で覚えた技である。
森にいる間にカッコイイと思い練習していたのだが、
その甲斐あって経験を読み取らなくても出来るようになっていた。
「さて、タイムリミットはあるのかな?」
「?」
「お母さんのことだ。伏せっていると言っていたけど……危篤だったりするのかい?」
「___虫取りを、先にやってからでも……遅く、無いです」
「それはいいことを聞いた」
そうだ。まずは全力で楽しむ。
これこそ、人生の潤いだ。
彼女のキツイ幼年期の、せめてもの彩になれるように。
「これから君が見るのは、至高の虫取りだ。なんだったら、この森にいる昆虫、すべて取り尽してしまっても構わんのだろう____?」
どこかで聞いたような言葉で大見得を切る。
リーシャの瞳は相変わらず濁っているが、ダウナーながらも嫌がっていはいないようだ。
やってやろうじゃないか……!
自慢じゃないが、親戚の子供に対する接待スキルは得意なのだ。
多少大仰なくらいが、この年頃は喜ぶのだから……!
「ふんっ!」
バサッ、ふわり。
「はぁぁぁぁ!」
バサッ、ふわり。
「ソイヤッ!」
バサッ、ふわり。
「はぁ、はぁ……なかなかやるじゃねーか。虫けらの分際で」
あれから30分ほど。驚くほど虫は取れない。
それどころかリーシャからは
「あの___そこらへんで、いい……です。無理、しないで」
と心配される始末。
これは、駄目だ。このまま終わらせることは、たとえ演技だったとしても
あそこまで大見得きったプライドが許さない……!
「意地があるんだよ、中学生にはーーーーー!」
バサッ、ふわり。
またダメだった。
……そろそろ、何がダメだったかを考えた方がいい。
恐らく虫取りをするには、これ以前にこの虫網を使っていただろう
子供たちの経験を読み取るのが良いだろう、と思っていた。
だが、そのクソガキたちの記憶を読み取って再現しても一向に取れる気配が無い。
これは思うに。
実はその子供たち、そんなに虫取りが上手じゃなかったんじゃ……
さらに深い領域まで記憶を読み取ってみる。
『くっそー!全然とれねー!』
5人くらいの子供たちが、虫取りに興じている。
『下手くそーっ』
『うっせ!お前だって全然取れてねーじゃねーか!』
ハハハハ!という和気藹々な記憶が読み取れた。
良かったな、クソガキども。だがこちとら全然良くないのだ。
「私に_____」
「なんだっ!?」
「私に___貸して貰っても、いいですか?」
そんな僕の様子にとうとう痺れを切らしたのか、リーシャはそんなことを言ってきた。
「待ってくれ、あと一回だけだ!それだけやったら……」
ふ、と目が覚めた。……あれ?なんだかおかしいぞ。
もしかして自分の精神年齢下がってないか。
なんか小学生くらいのころ、友達とゲーム機のコントローラーを奪い合った時のような…
心当たりはひとつだけある。この虫捕り網だ。
こいつの経験を読み取って虫を取っていると、童心に帰る心地がする。
それによく考えたら自分の言葉遣いもどこか子供っぽくなってた。
もしかしたら、僕のこの絶対感覚。モノの経験だけではなく、
それを使っていた人間の性格にも引きずられたりするのだろうか……?
いやいや、大義を見失うな、僕。
本来の目的は何か、と言えばリーシャのために遊ぶことじゃないか、
ここで僕が子供みたいにムキになってどうする。
「あ、ああ。ごめんな」
リーシャに虫網を返す。
虫に関しては別にホントに採る必要があるわけじゃない。
記憶の中の子供たちは、全く虫が捕れない下手くそどもだったが、
笑顔に溢れていたではないか。楽しそうだったではないか。
重要なのは結果ではない。過程だ。
うん、そうだ。結果はどうあれ、
僕は彼女を微笑ましい眼で見ていればいいのだ。
バサッ、パッ。
ひらひら。
「あっ」
「___捕れました」
……あれ?これ彼女の方が普通に虫取りうまいんじゃね?