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第六話 スラム街の褐色少女

川の香りは、独特のものがある。

生臭いとか土臭いとか、言い方は色々あるだろう。

これはプランクトンとか藻とかの匂いが関係しているらしい。

適当に聞いた雑学なので細かいことは知らない。

これらの匂いは、プラスのイメージで語られることは決して多くないが、

僕はこれはこれで風情があるものなのかもしれない、と思う。


腕時計を見れば僕たちが船に乗って三時間ほどが経っている。

朝日が昇ったばかりの早朝から乗っているのである。

僕もメイも二時間ほどは眠っていたが、僕は流石に眠りつかれた。

なのでこうして水面を見つめている、というわけだ。

そうこうしているうちにメイも目を覚ましたようだった。

こんな時はコーヒーでも飲みたいなぁ……と思うが、

荷を載せた小舟のなかでそんなサービスを受けられる道理も無い。


「ふぅん。結構きたみたいじゃない」

「そうなのかい?」

「この分なら今日は普通のベッドで眠れそうよ」

「本当かい、それ?」

「ええ。取りあえず、安宿でも探して……ってなるけど」

「それは良かった……」


最近、自分の慣れが怖く感じる。前はベッドで眠るのが当たり前だった。

が、こちらに来てから野宿やらなんやらが当たり前になっていた。

雨風がしのげるなら御の字である。

おおよそ文化的な生活とはほど遠い。


「あ、そうだ。落ち着いたみたいだし、一度整理しといた方がいいかもね」

「ん?何を?」

「絶対能力の話よ。アンタ、魔導機に乗った時に『分かったかもしれない』とか言ってたじゃない」


やれやれ、と出来の悪い子を叱る母親のような顔で聞いてくる。

この尊大な感じにムッとすることも無くなった。これも慣れだ、と苦笑する。


「あー……そっか。そうだよな。マティスさんにも教えないといけないんだった」

「そうよ。それで?どんなものなの?」

「どんなもの……と言われてもなぁ」


正直、良い説明が思いつかない。

それでも何とか、あの時の体験を思い返して一生懸命言葉にすると……

分からないけど分かる、ということが度々起こる、というところか。


「知らないけど、分かる……ねぇ」

「ああ。こう、触って、集中すると……なんでか分かるとしか言いようがないんだけど」


羽根つき帽の男を撃退し、飛行魔導機をも倒したあの感覚……だが、感覚なだけに、説明が難しい。どうしてもどこかフワフワとしたものになってしまうのである。


「あとは……そうだな。モノの記憶、っていえばいいのかな?それを追体験するというか、たどってきた道筋をなぞるというか」

「んー……なるほどねぇ」

「なんか分かった?」

「分かるわけないでしょ。マティスじゃあるまいし」

「……じゃあなんで聞いたんだよ」

「私はアンタの上司よ?マティスに対しても説明責任があるの。それに、雇用相手の出来ることを確認するのは当たり前のことでしょ?」

「せめて相棒と言ってほしいものだけど」


メイのドライな言い回しに辟易しながら、水面を眺める。

こんな雑談じみた会話だが、一息ついて話せることにちょっとした感動を覚えていた。

僕がこの世界にきてから、もう一週間は経っている。その間に色々なことが起こり過ぎた。

僕たちは巨鳥を撃退したあと、あの魔導機を放置してさっさと逃げ出してしまった。

あれ以上あそこにいても、捕まる可能性が高まるだけだという。

魔導機の一般的な相場は分からないが……もし請求されたら、偉いことになるんじゃないだろうか。

そうなると商売を始める前に借金、なんて心配もあるわけで……。

これについてメイは「今更そんなこと気にしてどうするってのよ」と、

胸をはって剛毅なセリフを吐いていた。

その口元がどこか歪み、口調も震えていたように聞こえたのは多分間違いだと思いたい。


閑話休題。

なんとかあの魔導機の傍から逃げ出したのだが、周囲は森。

ここを抜けるのに、二日を要してしまった。

途中で幻獣なるものと遭遇したり、使われていない小屋で一晩を明かしたり

サバイバルな展開がてんこ盛りである。

紆余曲折の末になんとか人里にたどり着いた僕たちだったが、さてそれからどうするか。

地図を借りて場所を確認すると、王都はまだまだ先である。

歩きなんてのは自殺行為だろうし、列車に再び戻るのは論外だろう。

果たしてメイが決定した方針は、河川を辿っていく、という第三の案だった。


『カルドレスには運河も大きな川も通ってなかったし、最初から船という展開は考えていなかったんだけどね』


とはメイの談。普段は貨客はやっていないという舟渡を手八丁口八丁で口説き落とし今に至る。

なんとも、僕の雇主様は非常に頼りになると感心するものだ。


「ま、無理に分かろうとしたって分からないもんでしょ」

「……分からないと言えば、もう一つ。なんで僕たち、会話が成立してるんだろ」

「どういうこと?」

「いやさ、マティスさんの雑貨屋でのことを考えると、僕はこの国の文字は分からないはずなんだ。文化圏も……まぁ、似ているものは知っているけど、そのものじゃないし。僕はそれとも別の言語圏で生まれ育ってる。だったらこっちの言葉なんて分からなくて当然なのに……みんな、流暢な日本語で喋ってるように聞こえる」

「……ニホン語?ちょっとまって。アンタ、もしかしてアルトニア語を喋ってたわけじゃないの?」

「そんな言葉を習った覚えは無いし、そもそもアルトニアって国を知ったのもここ一週間の話だよ」

「嘘!?普通に喋ってるから全然違和感なかったわ!」


これもその「絶対感覚」とやらのお蔭なのだろうか。

ごく自然に日本語に変換されて聞こえている。

だが、列車での逃走劇の中、メイが発動させた魔導紋章の詠唱は、僕には聞きなじみのないものだった。


「僕には魔導紋章って使えないのかな」

「どういうこと?」

「いや、列車で使って見せただろう?あの時の呪文は、僕には聞き取れなかった」

「起動詠唱は基本的には何でもいいから、特に関係は無いはずよ?魔導紋章は魔力を通すだけで良いからね。まぁ、私は魔力に方向性を与えるために詠唱してるんだけど」


そうすると気持ち効果が上がって紋章が発動するのだという。

……となると、僕でも普通に使える、ということなのだろうか。

詠唱も日本語でやったり出来るのだろうか。

多分、ほとんどの人が体験できないようなことを体験しているのだ。

少しくらい魔術とかを使った気分に浸ってみたい、と思う。


「僕も使ってみたいなぁ。沢山あるんだから、ひとつぐらいいいだろ?」

「駄目に決まってんでしょ。売り物よ、これ。まぁ料金払うんなら別だけど」


中々手厳しい。ちょっとくらい夢を見たいと思ってもばちは当たらないと思うのだが。

なんてやり取りをしていると、不意に船がとまった。


「そろそろ宿のあるところに到着みたいね」


船着き場についたようだ。よっ、と手元のトランクを持ち上げる。

まぁ、いつか魔導紋章も使う機会が来てくれるだろう、と思い直して。







この町、アーデンバウムは王都につながる運河沿いに作られた、重要な貿易拠点……らしい。

ここに小麦や酒、塩、また魔導紋章といった必需品から、

宝石や書籍などにいたる品々が一度集められ、運河を経由して各地に運ばれていくという。


多分、メイはこれとは真逆のことをやりたいのだろう。

『こういった、多数のための商売ではなく、少数の利便のために商売をしたい』

……といったところか。


多くの樽や木箱が立ち並ぶ倉庫街を抜けて、宿のある居住地まで向かう。

ここに来るまでに、非常に多くの人だかりにもまれる。


さて、そんな進むのにも困る状況も、居住地の前までくれば多少は収まる。

そうするや、メイは急に


「ちょっと宿に行く前にやっておきたいことがあるのよね。えっと……取りあえずこれが止まる予定の宿の住所だから。ここで落ちあいましょう。分からなかったら人に聞きなさい」


などという投げやりなことを言い始めた。


「……まぁ、いいけど」


住所が書かれているのだろうが、何が書いているのかさっぱり分からない。

隣には一応地図のようなものが描かれていた。

ぐちゃぐちゃで読みづらい。メイには恐らく絵心は無いのだろう。



そんなこんなで一人置き去りである。

手元には商売道具やらなんやらが詰まったトランクがひとつ。

彼女もなかなか抜けていると言わざるを得ない。


「いくらなんでも、信頼し過ぎだよなぁ……」










煉瓦作りの町並みが広がっていた。

……というのをまたやる羽目になっている。

有体に言えば、迷子になった。

途中までは地図に従っていたのだが、

いかんせん内容が幾何学一歩手前に踏み込んだ代物である。

そもそも地図のどこらへんかすら把握できなくなってしまった。

周りを見渡せば、いつのまにか浮浪者というか、

そういう人たちが多くいるところに入ってしまったようだった。

いわゆるスラム街、というところか。


先ほどまでの賑わいはどこへやら。

そこは異臭と淀んだ空気が満ちた空間である。

街行く人に尋ねようにも、胡乱な目で返されたり、

そもそも無視、という人すらいる。


「……まずったなぁ」


本当に不味った。下手を打った。

どうすればいいのだろうか。

もしひったくりとか泥棒の類に現れられると、困ったことになる。

恐らくメイはお冠となるだろう。

気が滅入って、つい座り込む。


僕の安否は……ちら、と腰にぶら下げた剣を見る。

あの『知らない経験』を使えば切り抜けるには切り抜けられる。

ちょっとしたドーピングのようなものだ。

身体能力も一時的にブーストがかかっているから、走って逃げるのにも使えるだろう。


この間の列車の戦いのあと、

実は酷い筋肉痛に苛まれたので無分別に使うことは出来ないだろうが、

非常に便利な能力であることは間違いない。

しかしそんな乱暴な解決方法は基本的にはしたくない。

僕一人の問題ならあきらめることも出来る。

だが僕には相棒であるメイがいるわけで、

彼女に迷惑を掛けそうな状況はなるだけ避けたいのだ。

もっともすでに迷子になっている身としては説得力も無いだろうが。


「もし____」


うーん、うーんとうなっていた僕に、甲高い、しかし落ち着いた声がかかる。

うん?と前を向くと、いつの間にか小さい人影があった。


その子は不思議な容貌であった。

僕の常識、日本人としての常識で考えればである。


浅黒い肌とオリーブ色の瞳。


……まぁ、これくらいなら元の世界にもいただろう。

が、特徴的なのは髪の色である。

乳白色、と言えばいいのか。

僕の髪色も一般的に言えば若白髪らしいが、

目の前の子はより綺麗な銀髪であった。


「どう、しました___?」


急な質問である。

いや、恍けた雰囲気を醸しているとはよく言われるので、

自分は多分話かけられやすい人間なのだろうが。

それにしても困っている時にそんなことを聞いてくれるなんて、

都合が良すぎやしないだろうか。


「また漠然とした質問だけど……どうしてだい?」


多少の疑りをもって聞いてみる。

僕の手元にはメイの今後がかかった商品があるのである。

いや、あんなに「大事な商品よ」と言う割に僕に預けてしまうようなものだが……

ともかく、これを盗まれるようなことはあってはならないのだ、と警戒しながら。


「どうしても、なにも____ここ、わたしの、家の前__です」

「……へっ」


なんということだろう。これは恥ずかしいぞ……!

当然のことだ。

家の前に座り込んで溜息をついている人間がいたら、僕だったらまず警察を呼んでいる。


「あ、いや、ごめん!決して怪しい人間じゃないんだ!いや、君から見たら怪しい人間だろうが……そうじゃなくて!ちょっと道に迷って座り込んでただけで……ごめん、すぐに離れるから……」

「あの___」

「はいっ!?」

「道に迷っているなら___案内、します」

「……え?」


今度こそ都合が良すぎやしないだろうか。

迷惑を掛けた人間なのに、そんな簡単に手助けをするなんて、

よほどの暇人かお人好しか、さもなければ下心からである。

が、目の前の子は……幼い少女だからか、そんなに抜け目のない感じも、

下心もあるようには思えない。

僕の服装が裕福に見えるから……?

いや、このどう見ても安っぽいくたびれたシャツとコートにそんな雰囲気は無いはずだ。


「あー……気持ちは嬉しいんだけど……どうしてだい?いや、どう考えても僕は君の家の前に居座っていた不審者なんだけど……」

「交換条件が、あります……」

「交換条件?」

「はい__」


玄関の前に居座っていたことを許してくれて、道案内もしてくれる代わりに、

交換条件がある、ということだろうか。そう聞くと、彼女はうなずく。


……なんだろう。金を出せとか、遊びに付き合うとか?

我ながら貧弱な発想だが、それくらいしか思いつかない。


「代わりに、私を___手伝って、くれませんか___?」


そんなことを言った。

ふぅ、とため息をつく。

何を手伝うのか、正直見当もつかないが……

ここでうんうん唸っているよりかマシな展開かもしれない。

寄り道になるのでメイには怒られるかもしれないが、それはそれ。

あんな地図を書いたあいつが悪いのだ、と思っておくことにしよう。


「分かった。僕で良ければ……それで、何を手伝えば?」

「家のなかで、説明します__どうぞ」


彼女の言葉に従って家の中に入る。

さて、蛇が出るか何が出るか。

出来れば僕に出来ることであって欲しいなぁ……と思いながら。


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