二話
今回は割と早く書けた。
今回で日常パートは一区切りです。次回は戦闘パート。話も本格的に動き出しますし頑張りたいと思います。
いい月夜だった。
中天には月が浮かんでいる。空は晴れ渡っており月光を遮るものはない。
教会の礼拝堂にはステンドグラスを通して月光が差し込んでいた。光源のない礼拝堂を月光が幻想的に浮かび上がらせている。見入ってしまいそうになるほどにその景色は美しい。
礼拝堂には二人の人影があった。
一人は司祭だろう僧服に身を包んだ初老の男。その眼光は鋭い。心の弱い者はその視線に射られれば確実に委縮する。下手をすれば恐慌に陥るだろう。そう確信できるほどにその威圧感は凄まじい。
もう一人は少女だった。教会と言う雰囲気にそぐわない、非常にラフな服装で男の前に立っている。その右手には布に包まれた長い筒のようなものを携えている。
男が口を開いた。
「ヴィルヘルム・エーベルヴァイン」
それは名前だった。響きからして恐らくはドイツ系。
その名前は男の名前ではなかった。当然、少女の名前でもない。この名前はこれから狩らねばならない獣の名前であり、少女たちの仲間を殺し続けてきた仇の名前であった。
「やはり、本物のようだ。三日前、私の部下たちが彼と交戦したが一蹴されたよ。死亡二十三。負傷三十五。やれやれ、手も足も出ないとはああいう事を言うのだろうな」
何でもないような風を装って男は言う。しかし、その声音に悲しみがこもっていることを少女は感じ取っていた。何も言わない。下手な慰めは男の部下たちへの侮辱となる。
「奴が何の目的でこの街に来たのかは知らん。明確な目的があるのか、それともただの気まぐれか、あるいはありえぬと思うがただの通過地点であるのか。最後であるのならば幾分か気持ちは楽なのだが、そうも言ってられんな」
「ええ」
そこで初めて少女が口を開く。
少女の双眸には爛々とした輝きが見て取れた。それは例えるなら得物を前にした狩人。
つまりこれは狩りなのだ。敵を殺すための。己たちに害をなすものを駆逐するための。恐ろしいほど明朗な目的を持つ殺し合い。
殺すか。それとも殺されるか。
衝突は必至。至る結末は二つに一つ。無論男たちは敗北するなど僅かたりとも思っていない。必ず殺す。彼らが信仰する者へとそう誓う。
「彼がそんな無駄をするはずがない。彼は闘争を百年近く続けているのよ。絶対に何かある。彼が目的とする何かが」
それが何かは少女にも見出せないが、余程大切なのであろう。そうでなければ彼が来るはずがないのだから。
ヴィルヘルム・エーベルヴァイン。
少女たちが狙う獣は決して一人ではない。その総数は計り知れないが数千、数万、あるいはもっと多くかもしれない。そんな獣の中で特に危険な六人。彼はその一人に数えられる者であり、その中でも最強とされる者だ。
単純な力量で言えばこの街を地図から消すことなど片手間でやってのけるだろう。ただの人間に彼を止める術などない。何も出来ずに、嬲られるように、一方的に蹂躙されて殺されるだろう。
ああ、駄目だ。許せない。虫唾が走る。気持ちが悪い。そんな獣が人の街に紛れ込んでいるということに少女は嫌悪感と怒りが沸いてくるのを自覚した。
「やらせはしないわ」
少女は殺意を滾らせながら言う。
「何が目的であるかなど関係ない。全て叩き伏せてあげる。あんな奴の好きなようにはさせはしない」
「頼もしい限りだ」
少女の宣誓に男は微笑みを浮かべて頷いた。
「では、私は私が出来ることをしよう。使徒殿。奴の討伐、頼んだぞ」
「ええ。任せて頂戴」
男と少女は互いに誓いを交わした。
詳しくは語らない。互いに詳しく相手のことを知っているわけではないが、それでも互いにやらねばならないことは理解しているのだ。
そうして少女は踵を返して礼拝堂の出口へと向かった。まるでここでやることはもうない、とでも言いたげに。
少女の背中に男が声をかけた。
「祈りはしていかないのかね?」
「残念だけど、そういうのに頼るのは趣味じゃないの」
司祭に言えば激怒されてもおかしくない言葉を置いて、少女は礼拝堂から立ち去った。男はそんな少女に怒りを露わにすることもなく仕方がない、とでも言いたげに首を振るだけだった。
◇
「ちくしょう」
正樹と佳代と美保子とともに、四人でパラディソへと遊びに行った翌日の二時間目の休み時間、圭は頭痛を抑えるように手で頭を押さえつつ、とても悔しそうに唸っていた。
別に体調不良というわけではない。昨日少女とぶつかった直後に起きた変調はあの後しばらくしたら完全に治った。それ以降そういうのは起こっていないし、現に今だったどこかしんどいというわけではない。
率直に、信じられなかったのだ。あとは賭けに負けたことへの悔しさ。負けることなどありえないと断じて勝負に乗ってしまった昨日の自分を出来るならば殴り飛ばしたい。
「大変だね、圭も」
「うるせぇ正樹。他人事みたいに言いやがって」
「まあ、実際他人事だしね」
普段弄られる立場だからか、今の正樹の目には嗜虐的な感情が浮かんでいる。こちらを弄り倒そうと考えていることがまるわかりだった。
チラリ、と圭は目線だけを動かし、今の圭の悩みの種へと視線を向ける。
人垣に囲まれた一人の女子生徒。それなりに愛嬌のある顔立ちをしており、抜群のプロポーションを誇る肉体をしている。あと滅茶苦茶な巨乳だ。推定ではFカップくらいか。周りの男子の彼女を見る目が若干いやらしい。
正直凄く見たことがある顔だった。昨日だ。言葉も交わしたし間違えるはずがない。
転校生。一言で表現すれば彼女はそうだった。昨日話していた漫画みたいな展開が現実になってしまったということである。
「ありえねぇだろ、クソがっ」
ぼやいて、圭は溜め息をついた。
圭は朝のことを回想する。
「雪野純花です。よろしくお願いします」
朝のホームルームの時間、担任に紹介されて彼女は自己紹介をした。
朝から転校生が来た、という噂は耳に入ってきていた。それがどうも女子だということも。けれど実際のところそんなに都合よく転校生が入ってくるとも圭には考えられなくて、適当に聞き流していた。
「は?」
だからその事態に圭が受けた衝撃はそれは凄まじい物であった。
漫画みたいな展開。空想上だからこそ成り立つはずのことが現実として目の前で起こっている。雪野純花と名乗った少女はどう考えても、昨日圭がパラディソへと向かう途中にぶつかってしまった少女だ。
「冗談だろ」
信じられない、と圭の口から言葉が漏れる。
教師の紹介も耳に入ってこない。正直下らないことではあるが、それでもそれだけ驚いたということだ。純花自身の軽い自己紹介・質問タイムも終わり、今では教師に指定された席に着席している。
無意識下で彼女のことを追っていたのだろう。圭が我に返ったのは席に着いた彼女が圭へと軽く微笑みながら手を振ったからだった。と言うことは彼女も圭のことを覚えているのであろう。
そういった事態のためか、教室中の男子の視線が凄まじいことになっていたが圭はそれさえ気づかなかった。
気づけばホームルームが終わっていた。
「けど、実際あったじゃないか。今更そんなことを言っても仕方ないと思うよ。そんなことより佳代のことをどうにかする方が実に建設的だ」
正樹は実に冷静に(表情はまあアレだが)圭に言った。今日はまだ来ていないが佳代がここに来たら絶対ドヤ顔を曝してくるだろう。
別に昼飯を奢ることが嫌なわけではない。これが賭けごとであった以上圭も潔く昼飯を奢る。ただなんと言うか、納得がいかないだけだ。
「くっそ、あいつの笑い声が聞こえてきそうだ」
いっそ正樹経由で金だけ置いて逃げるか、と言う思考も出てくるがそれはそれで格好悪いだろう。と言うことは結局佳代と相対しなければならないということではあるが、それを考えると圭はただでさえ憂鬱であった気持ちがさらに沈んでいくように感じた。
「その顔は逃げはしないって顔かな?」
「そうだよ」
「そうかい」
割と投げやりに、どうでもよさそうに圭は言う。けど正樹のニヤニヤが気持ち悪かったので一発拳を入れておいた。正樹は「ぐほぁ!!」と声を上げながら吹き飛んでいく。そんなに力は入れていなかったし、顔にやったにも関わらず腹を殴られたような声を発していたのでたぶん大丈夫だろう。十中八九ノリだ。
気楽なもんだな。羨ましいよ。
「柊木君」
そこでかけられる声。圭の周囲の視線がヤバくなる。どうしたお前ら、喧嘩なら買うぞ。
「なんか用か、転校生」
「あはは、随分どうでもよさそうね」
いつの間に近づいてきていたのだろうか、純花が圭のすぐそばまで来ていた。あまりそういう気分ではなかったので適当に返事を返した圭に純花は笑顔を見せる。
「いや、俺の質問に答えろよ。あと周りの奴らどうにかしろ。被害が増える」
「あら、随分と面白い表現するわね。それは一体どういう意味かしら」
「俺に嫉妬して喧嘩売ってボコボコにされる奴らが急増するだろって意味だ」
圭は分かってねぇなぁ、と肩を竦める。
「ただでさえ転校生ってだけで話題性は十分なのに、来たのはそれなりに愛嬌がある可愛らしい女の子。そんな奴に一人話しかけられる男子。嫉妬するだろ普通。ついでに言うとこの学校馬鹿が多いからな。闇討ちとか平気でしかねん」
なるほど、と純花は頷いた。
「けど嬉しいこと言ってくれるわね。可愛らしいなんて」
「事実は事実だからな。とは言っても、彼女にしたいとは正直言って思わないが」
「あら、どうして?」
「お前みたいな小悪魔系っぽい奴は付き合うと面倒くさいことが分かってるんでね」
向こうでは割といい人ぶっていたみたいだが話してみた感じそういう性格っぽい。圭としては正直友達としてはともかく付き合う気にはなれない人種だ。まあ要するに好みの問題だが付き合うとなれば一番重要な要素であると圭本人は思っている。
「割と見てくれてるんだ」
「どうでもよさそうな態度取ってるのに、か?」
「ええ」
そりゃ当然、と圭は言う。
「お前のせいで今日は昼飯を奢らされるんでね」
「? どういうことかしら?」
純花は圭の言葉に首をひねった。まあこんなことをいきなり言われてもそりゃ意味分からないだろうとは思う。
「まあ、自業自得っちゃ自業自得な話だよ。詳しくはそのうち来るだろう三枝佳代って女に聞け」
「ん、分かったわ」
はぐらかすような圭の態度に、しかし純花は疑問を挟まず、追及もせずにあっさりと引いた。
今度は圭が純花へと問いかける。
「で、話は戻るがマジでいったい何の用だ? 用もなく話しかけたってわけじゃないんだろ?」
「ええ、まあ。大したことではないけれどね」
「なんだよ」
「貴方にこの学校案内してって頼もうかと思ってね」
ウインクをしながら純花は言った。周りでは男子たちが雄叫びを上げる。うるせぇよお前ら。少しは自重しやがれ。
「そりゃ、素敵なお誘いだな」
「頼めるかしら」
「いいぜ。今日はバイトも入ってんないし、他にこれといった用事もねぇしな」
「じゃあ、お願いね」
「はいよ」
ありがと、と純花は言って自分の席に帰って行った。
「なんと言うか、お約束だねぇ」
「なにしみじみと言ってんだよ」
いつの間にか復活していた正樹が圭のすぐそばでしみじみとそう言った。圭は呆れた様に正樹へとそう言う。
「いや、昨日の時もそうだったけど漫画とかだったらかなりお約束な展開だよ、これ。下手をすればこのままラブコメに突入して最終的に付き合っちゃうパターン」
「ありえるかよ。お前俺の話聞いてなかったのか? ああいうタイプは友達としてならともかく彼氏・彼女として付き合うのはパスだってよ」
「いや聞いたけどね。けどそういうのから気づいたら恋に落ちてるパターンだってあるんだよ。もしかしたら付き合うかもしれないじゃないか」
「ねぇよ」
圭はないない、と手を横に振った。
それだけは自信を持って圭は断言できる。なんだかんだで仲は良くなりそうだとは圭自身思えるが、そういうのは本当になしだ。性格とかは大分違うが、傾向としては佳代と同じ人種である。
だいたいそうじゃなかったとしてもそんな簡単に恋に落ちるのなんてそれこそ漫画の中だけだ。昨日盛大に外してしまったので説得力はないかもしれないが、展開だけならともかく感情の動きまで漫画みたいになるのなら今頃世界中の男性・女性は意中の相手と恋仲になっていることだろう。
「んな下んねぇこと言ってないでさっさと次の授業の用意しろよ。もう始まっちまうぞ」
圭は時計を指し示す。もう後一分程で三時間目が始まる。
「ああ、ほんとだ。じゃあこの話はまた後で」
いやしねぇよ、という言葉は自分の席に帰っていく正樹へと心の内でだけ呟いた。
◇
「どうだ圭。賭けは私の勝ちだぞ」
「ドヤ顔曝してんじゃねぇよ、鬱陶しい」
昼休み。賭けに勝ったということで約束通り圭に昼飯を奢らせてご満悦な佳代が圭へと言う。
俗にドヤ顔と言われる表情でカツ丼が乗ったトレイを両手で持ち、足どりは下手をすれば今にも軽やかにステップを踏みそうだ。彼女にしては珍しく他人にも分かる感情表現。今まで佳代のそういう表情を見たことのなかった同級生たちが何か見てはいけないものを見てしまったかのような表情で佳代のことを見ている。
今回正樹と美保子は同席していない。美保子が弁当を作ってきたということなので二人っきりで屋上で昼食を食べているとのことだ。家の弁当の不味さが凄まじすぎて大体食堂で昼食を食べている圭にとっては色恋とは別の意味で羨ましいと思う。
そういった事情のために本来なら昼食は圭と佳代の二人で食べるはずだったのだが、今日はもう一人同席者がいた。
「なんて言うか、貴方たちって本当に面白いわね」
クスクスと上品に笑いながら純花は言う。今回の同席者は彼女であった。
佳代が現れた三時間目の後の昼休み、その前の昼休みに言った圭の言葉通りに行動して圭と佳代の間の賭けの内容を聞きだした純花は、何故かそのまま佳代と意気投合してそのままの流れで昼食を一緒に食べることになったのだ。ちなみに彼女の持つトレイに乗せられたおろしぶっかけうどんはこの食堂の看板メニューであり、佳代のどうせなら、という言葉の元に圭が出した金で買われている。遠慮なんて一切せずに笑顔で受け取りメニューを頼んだ彼女を見て圭は佳代が二人いるような気がした。こいつらは多分本質的なところで似ている、と本能的に察する。
「まあ、これでも一応友人なのでね。相手のことは多少なりとも知っているさ」
「非っ常に不本意ながらその通りでな。正直今日はこいつとは会いたくなかったよ。こういう態度取られるのが目に見えてるんでな。恨むぜ、雪野」
「そんなこと言われてもねぇ。私にだって転校してきた事情っていうものはあるから。て言うか貴方二時間目が終わった後の休み時間にほとんど自分の自業自得が云々って言ってたじゃない」
「まあ、そうだけどよ」
話しながら、ちょうど空いていた席があったので圭たちは座る。窓際の席であるために太陽の光が入ってきて暖かい。今回食堂は最優先で直されたらしく、本来ならもう少し時間がかかるはずであったエアコンの修理が既に完了していた。涼しさと、適度な温かさで圭としては非常に過ごしやすい。
圭の今日の昼食はラーメンだ。上手くもないが不味くもない、それなりの味であるため取り立てて人気と言うほどのものではないが、それでもそれなりに売れる一品である。何より安いために金銭的にちょっと辛い生徒たちに人気だった。
いただきます、と手を合わせて三人は昼食を食べ始める。
「そういやお前何で転校してきたんだ? 親の転勤か何かか?」
「少し違うけど似たような物ね。私としてもこっちにはあまり来たくなかったし。ほら、住み慣れた場所から他の土地に行くのってちょっと嫌だったりするじゃない?」
「あるな。私も中学の頃にこの街に転校してきたからその気持ちはすごい分かる」
「ああ、なんかそんなこと言ってたなお前」
今の今まですっかり忘れていたが、そういえばそうだったと圭は頷く。
生まれた時からずっとこの街で暮らしてきた圭としてはその気持ちは分からない。こういうのは経験してみなければ分からないものなのだろう。
「もしかしてあれか? お前らがよりにもよって意気投合したのはそういうことか?」
「まあね」
「ああ」
なるほど、と圭は思う。人間自分と同じような経験をしたことがある人間とは不思議と共感したりするものだ。全部が全部そうということはないだろうが総じてそのような傾向が強いだろう。
「それだったら放課後の学校案内佳代に任すか? 佳代の方がいいんだったら別に構いわしねぇぞ」
圭はそう提案する。どうせなら仲がいい人に案内された方がいいだろう。ほんの数言話しただけとはいえそれなりに馬は合いそうだとは思うが、それでも佳代の方が仲がいいということは明白だ。
「ん? なんだ、学校案内?」
「ああ。なんでも放課後にこの学校案内してほしいんだとよ」
「それはなんともまあお約束な」
「言うな」
ここまでよくある漫画や小説のお約束展開をなぞりすぎだ。こんなのが現実に起こりうる確率は一体どんな天文学的な数字になるのやら、考えただけでも凄まじい。そういう意味では圭は幸運であったのだろう。非常に貴重な経験が出来ているわけであったのだから。まあ、圭自身が望んでいたかは別であろうが。
「私としてもそれは思ったわよ。急いでた時に偶々ぶつかった子が転校した先のクラスにいるだなんて。思わず目を疑ったわ。顔に出したつもりはなかったけれどね」
どうやら純花自身まるで漫画みたいだという自覚はあったみたいだ。
「けどまあ実際、学校の構造は知っておきたいわけなのよ。だから頼むわ」
「だからそれはいいんだよ。ただ俺でいいのかって話だ。同性の方がいいじゃねえの? 女ってそんなもんなんだろ」
「随分な偏見ね」
「違うってのか?」
「まあ、絶対的に違うってこともないけれどね」
純花はそこで一拍置いて佳代の方に視線を向けた。少し申し訳なさそうに言う。
「ただ、今回は遠慮しておくわ。最初に頼んだのは柊木君だしね。それはそれで不義理でしょう」
「私も別に構わん。その程度でいちいち目くじらを立てるほど度量が小さいつもりもない」
「そうか」
一応気遣いという奴を見せたつもりなのだがいらないことだったらしい。ならば圭も気にしない。話を続けながら食べ続けていたラーメンを汁まで啜って空になった器を置く。
他に何も頼んでいなかったが十分満足だ。それなりに多い量もこの食堂のラーメンのいいところである。
「早いわね」
純花が少し驚いたように言った。早い、とは食事のスピードのことだろう。佳代もそうだが、純花の器に目をやればまだ半分も食せていない。
「こんなもんだろ」
絶対とは断じれないが、男子と女子では基本男子の方がよく食べるし食べる速度も速いだろう。時計を確認してみれば圭が完食にまで要した時間は十分程度だ。量にもよるだろうが高校生男子ならばこれくらいやって見せれるだろう。
「アレだ。俺が早いんじゃなくてお前が遅いんだろ」
実際純花は一度に口に含む量は少ない。佳代にしても既に全体の三分の二ほどは完食している。圭の言う通り単純に純花が遅いだけではないだろうか。
「ほら、さっさと食え昼休みがなくなる」
「何かするの?」
「ああ」
圭はささっと佳代と目配せ。佳代はその意味を理解したらしく、ああ、と頷きニヤリと笑みを浮かべた。
「折角だ。あいつらをからかいに行く」
「それは楽しそうだな」
二人とはすなわち正樹と美保子のことだ。二人の時間に乱入してかき回そうということである。ならば何故遠慮したという話になるだろうが、食事時は遠慮しようということでしかない。
えらく中途半端な気づかいだ。まあそういうところが圭らしいといえばらしいのだが。
「当然参加するだろう?」
「そうねぇ」
純花は少々思案する。行くべきか行かざるべきか。正樹はクラスメイトであるから知っているが、その恋人らしい美保子と言う少女は知らないのだ。
「来い。折角だ」
考えていた純花に、けれど佳代はそう言った。まるで有無を言わせないかのように。
その言葉を受けて純花は仕方ない、とでも言いたげな表情を作った。
「そう? ならば行きましょうか」
折角誘ってくれているんだから細かいことはまあいいか、と純花は行くことにした。美保子のことは確かに知らないが圭たちも一緒にいる以上どうにでもなるだろう。
「よし、だったら早く食え」
「仕方ないわねぇ」
純花は佳代とともに昼食を食べることに専念した。