私なら、これよりもっと上手く書ける
最初に、私はこの文章において特定の作品・作者を否定する意図はないことをご承知おき下さい。
「私なら、これよりもっと上手く書ける」
皆さんはそう思ったことがないだろうか?
正直に言おう。私はある。
今でもある。バリバリにある。
何様だ、と思うかもしれないが、きっと創作者なんてそんなものだろう(批判はもちろん受け付けます)。
小説投稿サイトのランキングを眺めながら、あれ、自分の作品の方が面白いじゃん。何で伸びないんだろう?なんて、首を傾げる日々。
評価ポイント一つすらつかず、勿論ブクマも0件。100件の壁なんて、夢のまた夢。
初投稿から数日経って、悔しい思いで胸がいっぱいだ。
当たり前のことだが、たった数日で誰かに評価して貰えるほど現実はまあ甘くない。数話しか上げていないため、当然と言われれば否定できないし、する気もない。
が、先が見えないのは想像以上に辛かった。それで今、こんな駄文を書いている訳だ。
小説のネタを考えてきて、はや10年。中学生の頃挫折した創作を今、また始めることになったのは何の因果だろうか。
ずっと、二度と人の目に触れることはないだろうネタを書き溜め続けた。
面白いと思ったもの。書きたいと思ったもの。悲しい時に、ふと頭に思い浮かんだもの。
どれも今の私を形作る大切な思い出だ。
しかし、ネタを文章化し、それを完結させるのはまた違う次元の話。
さらにそれを誰かに読んでもらって、評価してもらって、続きを読みたい!と応援してもらう。その極致に到達するには、膨大な量の努力が必要だ。
下調べは十分にした。タイトルは作品の心。キャラクターの名付けもこだわった。エピソードタイトルも、考え得る最良のモノに。物語のプロットは自画自賛するほど面白いと思う。
しかし、「ランキングに載りやすいモノ」と「自分が素晴らしいと思うモノ」はまた別だ。
「自分が面白いと思ったモノ」が「皆が面白いと思えるモノ」ではないように。
特に、この投稿サイトではその傾向が顕著。
ここではタイトルが全てを決めると言っても過言ではない。
クリックするまで表示されないあらすじ。そのワンクリックの判断材料は全て、タイトルに詰まっているからだ。
特に顕著なのがランキングに載っている短編で、「新しく仕入れる情報量が少ないワード」が勝ちやすい。
この“新しい”がポイントである。
本来新規性とは、現代社会において最も重要視される要素だ。他では手に入らない独自性があれば、当然消費者はそれを買い求めるからだ。
しかし、現実を見るとそうではない。独自性があるものには、コストが伴う。例えば手に入れやすさだとか、単純な金額の高さだとか。
情報量が多ければ、どうだろうか?
説明書を端から端までじっくりと読むなんて、それこそ面倒極まりない。特別な理由・需要がない限り、買うのを諦めてしまう。
結果的に私たちが日々取り上げるのは、コストの低く扱いやすい汎用品である。
この論理は小説にも取り入れることが出来る。
読者とは、いわば作品を見る消費者であり、彼らは当然出来るだけ低いコストで出来るだけ高い報酬を手に入れようとする。
しかも、ランキング等の窓とは良い作品を発掘する時間(=コスト)を短縮するためのもの。
さらに、ここで新しく仕入れる情報量が少なければ少ないほど、より多くの作品を見ることができる。手間がかからないからだ。
つまりなろうで俗に言う“ありがち”が強力なのは、その文章を読んだときに脳の処理速度を落とさないで済む(=低コスト)し、それを読者が求めているからである。
しかし中には多大なコストを支払ってでも、本当に面白いものを読みたい勢だっているだろう。
この二つの層にどうアプローチするか。
それがなろう攻略の鍵となるだろう。
ここで、私の作品のタイトルを紹介しよう。
1、五度目の鐘の音は復讐の讃歌を(長編・初投稿)
2、婚約者は知らない人どころか不審者でした。(短編)
1の特徴は二つのフックを設けており、情緒的であること。
五度目の鐘の音=五度目の結婚
「を」の続き=奏でる
どちらも少し立ち止まらないと思い付かないだろう。(読者層にもよるだろうが)
結果、まる二日かけてたったの67PVだ。すでに四話分投稿しているにも関わらず。
ちなみに読者は9割型PCを使っている。
余談だが、同時連載しているカクヨミだと現状わずか3PVと絶望的な数である。向こうは男主人公が主流層なのは間違いないが、コメントしづらい結果だ。
一方、2はとんでもなくシンプル。ありがちの中の意外性。
案の定、公開から12時間で254PVを達成することができた。
これは1があまりにも伸びないことに痺れを切らして、徹底的にコストの低く扱いやすい汎用品を仕立てた、いわば実験的作品であることに起因すると言って良いだろう。
こちらの方は三分の二がスマホ読者である。
どちらの方のタイトルを求めるかは、読者層に大きく依存すると言っても良い。
このなろうにおいて圧倒的に読者層が厚いのはスマホ勢であり、その層にアプローチできる2がPVを勝ち取れたということだろう。
これは作者からすると非常に辛い状況だ。
1は登場人物の名前、苗字だけでなく地名まで全てこだわり、愛着を持って育てた上げた逸品。
しかし箱を開けてみれば、なんのことはない。推敲に一時間半程度しかかけていない2に追い抜かれてしまう。
ともかくこの状況が指し示すのは、どれほど文学的なタイトルをつけようとあまり意味がないということ(あくまで個人的な所感です)。
その意味の真価が伝わらなければ。流れてゆく情報の渦の中で許された、たった1秒の隙間で、スクロールする指を止めれなければ。
作中でのドンデン返しのためにタイトルに込める情報量をケチれば、そのプロットは日の目を見ることすら叶わない。
いくら発音しやすく、馴染みやすいタイトルであっても。伏線が何重にもかけられていたとして。
最初から読者に読んでもらえる事が前提の、週刊誌の連載作品とは違うのだ。
ここまで読んで下さった方にお聞きしたい。
――私のタイトルは、クリックするに値するモノだっただろうか?




