第6話 無欲な聖女(ただの面倒くさがり)
離れでの奇妙な同居生活は、思いのほか快適だった。
ジークハルトは、私がこたつから出ない限り、基本的におとなしい。
時折、帝国の部下が報告に来たりするが、玄関先で追い返しているようだ。
ある日の午後。
こたつでミカンを剥いていたジークハルトが、真剣な顔で切り出した。
「アリス。そろそろ私の提案を受けてはどうだ?」
「提案?」
「帝国へ来い。私の后として迎える」
またその話か。
彼はこの数日、ことあるごとに私をスカウトしてくる。
皇帝の妃。
普通なら、諸手を挙げて喜ぶオファーだろう。
だが、私にとっては「No」一択だ。
「嫌よ」
「なぜだ? 富も名誉も、何もかも手に入るぞ。私の国ならば、貴様のその技術を高く評価し、最高の研究環境を用意できる」
「帝国の王都まで馬車で一ヶ月もかかるじゃない。そんな長距離移動、お尻が痛くなるから無理」
「……移動の不快感が理由か? ならば転移魔法を使える宮廷魔術師を手配しよう」
「それに、向こうに行ったら公務とかパーティーとかあるでしょ? 面倒くさい」
「……」
ジークハルトは頭を抱えた。
理解不能、という顔だ。
「貴様は……本当に欲がないな。これほどの好条件を、ただ『面倒』という理由で断るとは」
いや、私にとっては「面倒じゃないこと」こそが最優先の欲求なのだが。
彼は深く溜め息をついた後、懐から小さな革袋を取り出した。
ジャラッ、と重たい音がする。
中から出てきたのは、拳ほどの大きさがある大粒のダイヤモンド――のような魔石だった。
「ならば、これを受け取れ。帝国の国宝級の魔石『星の涙』だ。これ一つで城が建つ」
「うわ、綺麗」
私は魔石を手に取って眺めた。
内包された魔力も桁違いだ。
これがあれば、永久機関に近い魔導具が作れるかもしれない。
……でも。
「いらない」
「な、なぜだ!?」
「だってこれ、管理が大変そうだし。盗まれたら面倒だし、置いておくだけでも掃除の邪魔になりそう」
私は魔石をポイッと彼に返した。
高価なものは、持っているだけでリスクになる。
防犯システムを構築する手間を考えたら、割に合わない。
ジークハルトは、返された魔石を呆然と見つめていた。
そして、震える声で呟いた。
「……これほどの富を前にして、心が揺らぎもしないとは……」
「邪魔なだけよ」
「なんと……なんと清廉潔白な魂か……!」
あ、まただ。
彼の瞳がキラキラと輝き始めた。
「私は今まで、金や宝石に群がる醜い人間ばかりを見てきた。だが貴様は違う。真に価値あるものを知っているのだな」
「いや、だから掃除が」
「アリス。貴様こそ、私が生涯をかけて守るべき聖女だ」
ガシッ、と手を握られた。
熱い。そして重い。
違うんです。聖女じゃなくて、ただのズボラなんです。
訂正しようとしたが、彼の熱量に圧倒されて言葉が出てこない。
もういいや。
面倒くさいから、聖女ってことにしておこう。
ジークハルトは満足げに頷くと、私の手を丁寧に布団の中に戻した。
「焦ることはない。私が貴様のその『平穏』を保障する準備ができたら、また迎えに来よう」
「……え、まだ諦めてないの?」
「当然だ。貴様ほどの逸材、他国に渡すわけにはいかん」
彼はニヤリと笑った。
その笑顔は、もはや獲物を狙う捕食者のそれだった。
私は背筋に冷たいものを感じながら、ミカンの皮を剥く手に力を込めた。
……早く帰ってくれないかな、この皇帝。




