第4話 勘違いの幕開け「命より風呂か」
お風呂から上がり、私はバスタオルで体を拭きながらリビングへと戻った。
極楽だった。
やはり自動給湯機能は素晴らしい。
この世界にはまだ存在しない「追い炊き」機能のおかげで、いつでも温かいお湯に浸かれる。
これさえあれば、王子の婚約者とか、処刑とか、どうでもよくなってくる。
……さて、問題はあの不審者だ。
まだ寝ているだろうか?
それとも、勝手に帰ってくれただろうか?
後者であることを祈りつつ、私はソファの方を見た。
目が合った。
「…………」
「…………」
ソファの上で、男が身を起こしていた。
金色の猛禽類のような瞳が、じっと私を見据えている。
起きてた。
「……誰だ」
低い声。
その一言だけで、部屋の空気が凍りつくような威厳がある。
さすが皇帝。寝起きでも覇気がすごい。
普通の令嬢なら、この威圧感だけで腰を抜かして泣き出しているだろう。
だが、私は違う。
10回も死ねば、殺気になんて慣れっこだ。
処刑台の上の空気のほうが、よっぽど冷たくて絶望的だ。
「……あんた、生命力ゴキブリ並みね。あんな状態でよく動けるわ」
私は開口一番、暴言を吐いた。
相手が皇帝だろうが関係ない。ここは私の城で、彼は不法侵入者だ。
敬語なんて使ってやる義理はない。
男――ジークハルトは、自分の腹部をさすりながら、不思議そうな顔をした。
「……傷がない」
「私が治したのよ。感謝してよね」
「貴様が……?」
ジークハルトの目が、鋭く細められた。
その視線には、明らかな警戒心と殺気が混じっている。
まあ、当然だろう。見知らぬ場所で目が覚めて、傷が治っていたら、罠を疑うのが普通だ。
「貴様、何者だ? 帝国の密偵か? それとも王国の刺客か?」
「ただの通りすがりの美少女よ。あと、ここは私の家」
私は冷蔵庫を開けながら、適当に答えた。
喉が渇いた。冷たい牛乳が飲みたい。
「答えろ。なぜ私を助けた?」
さらに空気が冷たくなる。
面倒くさい。
私は牛乳をグラスに注ぎ、一気に飲み干してから彼を振り返った。
そして、正直に答えた。
「お風呂に入りたかったから」
「……は?」
ジークハルトが、間の抜けた声を出した。
皇帝の威厳が台無しだ。
「だから、お風呂。あんたが庭の入り口で倒れてたから、お風呂に行くのに邪魔だったの。どかそうとしたら服が汚れるし、死なれたら庭が血で汚れるし、仕方なく拾ったのよ」
「……風呂? それだけのために、貴重な秘薬を使ったというのか?」
「そうよ。私にとってはお風呂タイムは何よりも神聖なものなの。それを邪魔するものは、たとえ皇帝だろうが排除するわ」
言い切ってやると、ジークハルトはポカンと口を開けて固まってしまった。
どうだ、まいったか。
理解不能な動機だろう。
これで「こいつはヤバい奴だ」と思って、さっさと出て行ってくれれば万々歳だ。
しかし。
彼の反応は、予想の斜め上を行っていた。
「……風呂か」
ジークハルトは呆れたように呟いた。
そして、少しだけ……本当に少しだけ、口元が緩んだ。
「貴様のような女は初めてだ……」
なんか呆れられた。
なんで?
私は怪訝な顔で彼を見つめた。
ジークハルトは、先ほどまでの警戒心を少しだけ解き、興味深げな瞳で私を見ていた。
「面白い。名はなんと言う?」
「教えないわよ。さっさと帰って」
「まあそう言うな。……ぐぅ」
その時、彼の腹が盛大な音を立てた。
空気が凍る。いや、緩む。
「……すまない。数日間、まともな食事をとっていなくてな」
少し顔を赤くして、皇帝がそっぽを向いた。
意外と可愛いところがあるじゃないか。
……いやいや、絆されないぞ。
私は「はあ」と、本日三度目のため息をついた。
「分かったわよ。なんか食べるもの出してあげるから、それ食べたら帰ってね」
私はキッチンへ向かい、棚から「とっておきの保存食」を取り出した。
お湯を注ぎ、3分待つ。
漂ってくる、食欲をそそるスパイスの香り。
「それは……なんだ? 見たことのない料理だが」
「庶民の味方、『カップ麺』よ――もちろん自作だけど」
私はフォークを添えて、それを彼に渡した。
ジークハルトは恐る恐る麺をすくい上げ、口に運ぶ。
「……!!」
その瞬間、彼の目がカッと見開かれた。
「……うまい! なんだこれは! 複雑な香辛料の風味と、絶妙な塩加減……宮廷料理人が作るスープよりも濃厚で、魂を揺さぶる味がする!」
そりゃそうだ。
化学調味料(みたいな錬金術の粉)をたっぷり使ってるからな。
ジャンクフードを知らない箱入り皇帝には、刺激が強すぎたかもしれない。
彼は夢中で麺をすすり、スープまで飲み干した。
「……ふぅ。生き返った心地だ」
満足げに息をつくジークハルト。
さて、餌付けも済んだことだし、そろそろお引き取り願おうか。
「満足した? じゃあ出口はあっちよ」
「いや、待て」
彼が真剣な顔で私を見た。
「借りを返さずに帰るわけにはいかん。私はジークハルト。ガ――」
「知ってる。ガルディア皇帝でしょ。顔が有名すぎるのよ」
「ならば話が早い。私の命を救った礼をしたい。望みのものを言え。金か? 地位か? それとも領地か?」
私は首を横に振った。
「いらない」
「……何?」
「お金はあるし、地位はいらない。領地なんて貰っても管理が面倒なだけ」
「そんなことより、今すぐ帰ってくれるのが一番の報酬よ。あんたがここにいると、私の平穏が脅かされるの」
「……」
ジークハルトは黙り込み、私をじっと見つめた。
その瞳に、奇妙な熱が宿り始めていることに、私は気づかなかった。
「……分かった。今日は帰ろう」
意外にも、彼はすんなりと立ち上がった。
窓を開け、夜風を招き入れる。
「だが、これで終わりではない。私は必ずまた来る。この借りは、必ず返すぞ」
そう言い残し、彼は窓から夜の闇へと消えていった。
……ドアから帰ってよ。
「はあ……やっと帰った」
私はどっと疲れが出て、ソファに倒れ込んだ。
あんな大物と関わってしまったが、まあ、二度と会うこともないだろう。
そう思っていた。




