第3話 庭に落ちていたのは野良の皇帝でした
茂みをかき分けると、そこに「それ」はいた。
庭の片隅、誰も近づかない木陰に、一人の男が倒れていたのだ。
「……うわ」
思わず声が出た。
男は黒い軍服のような服を着ていたが、ボロボロに引き裂かれ、あちこちから血が流れている。
さらに周囲の草は黒く焦げ、地面が所々えぐれていた。
これはただの怪我じゃない。
明らかに、高位の攻撃魔法を受けた痕跡だ。
魔法の暴発? いや、これは……戦闘の痕跡だ。
過去のループで、革命を起こそうとした8回目の人生。あの時の戦場で見た光景と似ている。
(……見なかったことにしよう)
私は0.1秒で決断し、回れ右をした。
これは関わってはいけない案件だ。
どう見ても訳ありだ。
こんな重傷者が庭にいるなんて、トラブルの予感しかしない。
私の平穏な引きこもりライフを脅かす、最大の敵だ。
私は静かに、忍び足でその場を離れようとした。
しかし。
ズズッ、と男の手が動き、私の足首を掴んだ。
「……水……」
うわあ、生きてた。
しかも意識がある。
男の顔が月明かりに照らされた瞬間、私は息を呑んだ。
泥と血にまみれてはいるが、隠しきれないほどの美貌。
そして、鋭い、獣のような威圧感。
見間違えるはずがない。
隣国ガルディア帝国の皇帝――ジークハルト・ヴォルフ帝だ。
「……げ」
私の口から、令嬢にあるまじき声が漏れた。
なんでこんな超大物が、私の家の庭に落ちているんだ。
帝国の皇帝といえば、冷酷無比で有名な戦争マニアだ。
まさか、お忍びで視察中に襲撃されたのか?
だとしたら、これに関わったら国際問題待ったなしだ。
「……放して。私は何も見てない」
私は必死に足を振りほどこうとした。
だが、瀕死とは思えない力で掴まれている。痛い。
「……頼む……」
男の瞳が、少しだけ開いた。
金色の、燃えるような瞳。
そこには懇願よりも、もっと強い、生きることへの渇望があった。
(……あーもう!)
私は天を仰いで、本日最大のため息をついた。
これを見捨てたら、夢見が悪すぎる。
それに、もしここで彼が死んだら?
死体はどうする?
庭に埋める? そんな重労働やりたくない。
役人に通報する? 事情聴取で何日も拘束されるに決まっている。
「……分かったわよ! 助ければいいんでしょ助ければ!」
結論。
助けて、治して、自力で帰ってもらうのが一番「手間がかからない」。
私は乱暴に彼の襟首を掴むと、ズルズルと部屋の中へ引きずっていった。
重い。
軍人だからか、筋肉が詰まっている感じがする。
なんとかリビングまで運び込み、ソファの上にドスンと放り投げた。
低反発スライムクッション素材なので、乱暴に扱ってもダメージは吸収してくれるはずだ。
「まったく……。これ、誘拐とか暗殺に関わったと思われたらどうすんのよ」
私はぶつぶつ文句を言いながら、彼の傷の状態を確認する。
酷い出血だ。腹部に深い切り傷がある。
さらに、微弱だが毒の反応もある。
普通の医者なら匙を投げるレベルだろうが、あいにくここは私の実験室だ。
治せない傷はない。
「イチゴ、例のアレ持ってきて」
「かしこまりました。試作品番号108号『超回復ポーション・改』ですね」
イチゴがウィーンと駆動音を立てて、緑色の液体が入った怪しい小瓶を持ってきた。
これは私が古代文献を解読して再現した秘薬で、即効性は抜群だ。
ただし、一つだけ欠点がある。
死ぬほど不味いのだ。
腐った雑巾とドリアンを混ぜて煮込んだような、地獄の味がする。
まだ味の調整までは手が回っていない。
「悪いけど、良薬口に苦しってね。我慢して」
私は男の顎を強引にこじ開けると、小瓶の中身を一気に流し込んだ。
「ごふっ……!? ――――っ!!!」
意識が朦朧としていたはずの男が、カッと目を見開き、苦悶の表情で身をよじった。
あまりの不味さに、魂が一瞬三途の川から戻ってきたらしい。
だが、効果は劇的だ。
腹部の傷がシュワシュワと泡を立てて塞がっていく。毒素も中和され、顔色がみるみるうちに良くなっていく。
「よし、治療完了。あとは寝てれば治るでしょ」
私は満足げに頷くと、ソファの近くに自動温度調整ブランケットを掛けてやった。
これで私の義務は果たした。
一晩寝れば動けるようになるはずだ。そうしたら、夜明け前に叩き出してやろう。
「……ふあ。疲れた」
大仕事をしたせいで、すっかり体が冷えてしまった。
お風呂だ。
お湯はまだ温かいはずだ。
私はタオルを手に取ると、再び浴室へと向かった。
これから始まるドタバタ劇など知る由もなく、私は呑気に鼻歌交じりでお風呂に浸かるのだった。




