第1話 処刑されるのは10回目で飽きました
首筋に刃が触れる冷たい感触。
群衆の罵声。冷ややかな視線。
そして、私の婚約者――だったはずの男の、勝ち誇ったような声。
「悪役令嬢アリス! その罪を償い、死して詫びるがいい!」
はいはい、分かりましたよ。
私は心の中で大きくため息をついた。
これで10回目だ。
最初は泣いた。二回目は怒った。三回目は絶望した。
四回目は本気で無実を訴えたし、五回目は逆に悪役らしく振る舞ってみた。
六回目は善行を積み重ねて聖女を目指したし、七回目は国外逃亡を図った。
八回目は王家に媚びを売り、九回目は革命を起こそうとして失敗した。
そして記念すべき十回目。
結局、どうあがいても私はここで死ぬ運命らしい。
(あーあ。また死ぬのか。……めんどくさ)
ガコン、と重々しい音が響き、視界が回転する。
薄れゆく意識の中で、私は固く決意した。
次があったら、もう絶対に頑張らない。
愛されようとも、立派な公爵令嬢になろうともしない。
ただひたすらに、楽をして、ダラダラして、好きなことだけして生きてやる。
もう、努力なんてこりごりだ。
……おやすみなさい。
◇
「アリスお嬢様! アリスお嬢様! もう、いつまで寝てらっしゃるんですか!」
けたたましい声と、体を揺すられる感覚。
天国にしては騒がしいなと思いながら、私は重たい瞼をゆっくりと開けた。
目の前には、見慣れた侍女・マリーの顔。
そして視界を下にやれば、そこにあるのは幼い私の小さな手。
「…………あ、戻った」
また5歳だ。
鏡を見なくても分かる。この視線の低さ、体の軽さ。
そして何より、この圧倒的な眠気。ああ、幼児の体ってなんて眠りやすいんだろう。
またここからやり直しかと思うと、正直うんざりするけれど。
でも、今回は違う。
「……お嬢様? どうなさいました? まだお眠いのですか?」
心配そうに覗き込んでくるマリーに、私はニッコリと微笑んでみせた。
10回の人生で培った、王妃すら騙せる最高の営業スマイルで、今後の人生方針を高らかに宣言する。
「ううん、違うの。ただ……これからの人生、全力で手を抜こうって決心していただけよ」
「は、はい……?」
マリーが呆気にとられているのを無視して、私はベッドにごろりと横になり直した。
二度寝最高。
フカフカの羽毛布団に顔を埋める。これから始まる過酷な公爵令嬢としての教育も、社交界の荒波も、全部適当にやり過ごしてやる。
さあ、私の優雅なる引きこもりライフ――記念すべき11周目が、今始まったのだ。
◇
それから数年。
8歳になった私は、本格的な令嬢教育を受け始めていた。
その生活は、周囲から見れば奇妙なものだったらしい。
まず、勉強。
家庭教師の先生が来る時間になると、私はすでに席について教本を開いている。
先生が「ではここを読んでください」と言うと、スラスラと読み上げる。
計算問題も、歴史の年号も、魔法の基礎理論も、全て即答だ。
当たり前だ。これやるの11回目だぞ? 中身はアラサー相当の精神年齢だぞ?
5歳児向けの教材なんて、目をつぶっていても解ける。
「す、素晴らしいですアリス様! まさに神童!」
先生が大袈裟に褒めてくれるが、私は「あ、はい。どうも」と無表情で流す。
褒められて喜ぶ時期は3周目で終わった。
私が求めているのは称賛ではない。自由時間だ。
「課題は終わりましたね。では、休憩にしますか?」
「はい。部屋に戻ります」
私は即座に退室する。
優秀な成績を収めれば、無駄な補習も受けなくて済むし、先生も機嫌よく帰ってくれる。
この「省エネのための努力」こそが、今世の私のテーマだ。
次に、魔法。
この世界には魔法が存在するが、それを使えるのは貴族の中でも魔力を持つ「特権階級」だけだ。
ローゼンバーグ公爵家は代々強力な魔術師を輩出する家系であり、私も例に漏れず高い魔力を持っている。
……はずなのだが。
「アリス様、魔力測定を行います」
王宮から派遣された魔術師が水晶玉を差し出す。
私はそこに手をかざす。
普通なら、水晶が眩い光を放ち、私の属性――火とか風とか――を示すはずだ。
しかし。
ぼんやりと、豆電球のような弱々しい光が灯っただけだった。
「……むむ。これは……魔力欠乏症、でしょうか」
魔術師が首をかしげる。
当然だ。私が全力で抑え込んでいるからだ。
過去のループでは、ここで全力を出して「無属性の天才」ともてはやされ、そのせいで王太子の婚約者に選ばれ、激務の未来王妃教育コースに放り込まれた。
あるいは、力を隠しすぎて「魔力なしの能無し」と蔑まれ、実家で酷い扱いを受けたこともあった。
だから今回は、中間を狙う。
「生活に困らない程度には使えるが、国を背負うほどではない」
これがベストだ。
「まあ、日常生活には支障ないでしょう。公爵令嬢としては少し物足りないですが……」
「そうですか。残念ですが、仕方ありませんね」
私は心の中でガッツポーズをした。
これで「王太子の婚約者候補」からは外れるはずだ。
あとは適当に、金持ちの三男坊あたりを見つけて、平穏な結婚生活を送ればいい。
……そう思っていたのだが。
運命は、またしても私を嘲笑うかのように動き出した。
数日後、王宮からの呼び出しを受けた私は、王妃様と面会することになった。
きらびやかな謁見の間。
王座に座る王妃様は、鋭い眼光で私を見下ろしていた。
「アリス・フォン・ローゼンバーグ。そなた、勉強はそこそこできるそうだが、魔力が少ないと聞いたぞ」
「はい、王妃様。お恥ずかしい限りです」
私は深く頭を下げた。
内心では「よし、これで落選だ」と勝利を確信していた。
次期王妃には、高い魔力が求められる。魔力欠乏症の私など、選ばれるはずがない。
「……ふむ」
王妃様は私の顔をじっと見つめた。
そして、隣に控えていた側近に何かを耳打ちし、再び私に向き直った。
「そなた、もし王太子の婚約者になれと言われたらどうする?」
「恐れ多いことでございます。私のような不肖の身には、到底務まりません」
私は即答した。
0.1秒の迷いもない。
権力? 名誉? いらないいらない。私が欲しいのは布団と枕だけ。
「……本当か? 王家に入れば、栄華を極められるのだぞ?」
「栄華よりも、平穏な日常こそが至上の幸福と存じます」
これも本音だ。
嘘は一つも言っていない。ただ、その「平穏」の定義が「一日20時間睡眠」だということを黙っているだけで。
王妃様が想像している「質素だが心豊かな生活」とは、根本的に違う。
すると、王妃様の厳しかった表情が、ふっと緩んだ。
「……なるほど。無欲、か」
「はい?」
「今の貴族たちは、皆一様に目をギラつかせて権力を欲しがる。我が子ですらそうだ。だが、そなたの目は違う」
王妃様は満足げに頷いた。
「そなたの瞳には、打算の色が一切ない。ただ静かに、現状を受け入れている。……これほど清廉な魂を持つ令嬢は初めて見た」
……え?
いや、打算ならありますよ?
「早く帰って寝たい」っていう強烈な打算が。
「気に入った。アリス、そなたをカイルの婚約者に指名する」
「……はい?」
「魔力などどうでもよい。その『欲のない淑やかな態度』こそが、次期王妃に必要な資質だ。そなたなら、派閥争いにも惑わされず、カイルを支えられるだろう」
……は?
ただ単に「めんどくさいなー」と思って無表情だっただけなんですが?
褒められても「あ、そう」としか思わなかったのが、「謙虚」と受け取られたらしい。
なんてことだ。
私の「やる気なさ」が、逆にプラス評価になってしまうとは。
「うう……私のスローライフ計画が……」
屋敷に帰る馬車の中で、私は膝から崩れ落ちた。
父は「嬉しくて泣いているのか? 愛い奴め」と勘違いして頭を撫でてくるが、違う。これは絶望の涙だ。
だが、決まってしまったものは仕方ない。
まだ婚約破棄イベントまで10年ある。
どうせ最後は婚約破棄されて処刑されるのだ。過去10回の統計データがそう物語っている。
「……見てらっしゃい。絶対に快適な『終わりの地』を作ってやるんだから」
私は涙を拭い、拳を握りしめた。
ここから10年かけて、公爵令嬢という地位と財力をフル活用して、快適な環境を整えることに全力を注ごう。
死ぬ時に「ああ、いい人生だった、主に住環境が」と思って死ねるように。
そうして、私の――いや、私たちの、奇妙な10年間が幕を開けたのだった。




