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第十一話 探してきた

 リナが最初に気づいたのは、

 名前を呼ばれない時間が、以前より長くなったことだった。


 ほんの数拍。

 呼ばれるまでの、わずかな間。


 それまでは、医務室に入れば、

 視線を向けられ、名を呼ばれる。

 それが当たり前だった。


 いつからか、

 視線が先に来て、

 名は後になった。


 それだけの違いだった。


 宮廷の医務室は、いつも同じ匂いがした。

 薬草と、乾いた布と、わずかな鉄。


 血の匂いは消されている。

 丁寧に、何度も。

 消されすぎていて、

 どこか現実感がない。


 ここは、治す場所だ。

 だが、傷ついた場所ではない。


 彼女は戦えた。

 剣も握れた。

 致命傷はなかった。


 それでも、医務室に通う理由はいくらでもあった。


 今日は腕。

 明日は脚。

 その次は、検査。


 痛みは誇張できたし、

 違和感はいくらでも作れた。


 理由を作るのは、難しくなかった。


 彼は、いつも同じだった。


 声を荒げない。

 表情を変えない。

 必要な言葉だけを、必要な順で口にする。


「痛むか」

「動かせるか」

「異常はない」


 それだけ。


 褒めない。

 労わらない。

 戦果を聞かない。


 最初は、それが不思議だった。


 周囲の大人は、彼女を見ると、決まって同じ言葉を使った。


 若い。

 よくやっている。

 期待している。


 どの言葉も、間違ってはいなかった。

 だが、どれも彼女そのものではなかった。


 彼は、何も言わなかった。


 評価もしない。

 意味づけもしない。


 彼女を、

 何者でもないものとして扱った。


 その時間が、

 こんなにも静かだとは、知らなかった。


 話す内容は、取るに足らないことだった。


 天気。

 棚の位置。

 廊下の足音。


 意味のある話はしなかった。

 しようとも思わなかった。


 それでも、彼女は毎日来た。


 理由を問われなかったから。

 意味を与えられなかったから。


 そこにいる間だけ、

 何者にもならずに済んだ。


 ある日、来なかった。


 戦場に出ていた。

 戻ったのは、数日後だった。


 医務室に行くと、彼はいなかった。


 最初は、気にしなかった。


 医者だ。

 用があるのだろう。


 そう思えた。


 次の日も、いなかった。

 その次も。


 棚は整理されたまま。

 器具も揃っている。


 誰かが、使った形跡はある。

 だが、彼はいなかった。


 胸の奥に、

 小さな違和感が生まれた。


 誰に聞いても、

 はっきりした答えは返ってこなかった。


「移ったらしい」

「もういない」

「詳しくは知らない」


 それだけ。


 噂は繋がらない。

 理由も見えない。


 彼女は、初めて、

 胸の奥が空になる感覚を知った。


 穴が開いたわけではない。

 崩れたわけでもない。


 ただ、

 そこにあったものが、なくなった。


 理由が分からなかった。


 怒りでも、悲しみでもない。

 喪失と呼ぶには、静かすぎた。


 ただ、

 話せる場所が消えた。


 彼女は、探し始めた。


 最初は、近くから。


 宮廷。

 街。


 いそうな場所を、順に回った。


 次に、遠くへ。


 戦場。

 野営地。


 彼を知っている人間を探した。

 彼の名前を知っている人間を探した。


「医者だ」

「戻さない人だ」

「冷たいが、間違えない」


 断片的な言葉だけが集まった。


 像にはならなかった。

 それでも、足は止まらなかった。


 彼女は戦えた。

 だから、探せた。


 歩いた。

 聞いた。

 待った。


 待つ理由がなくなっても、待った。


 時間が過ぎた。


 季節が変わり、

 剣が手に馴染み、

 身体が少しずつ変わっていった。


 気づけば、二十になっていた。


 探すことは、

 目的ではなくなっていた。


 習慣に近かった。


 どこにいるか分からない。

 会えるかも分からない。


 それでも、

 探さないという選択だけは、できなかった。


 村の名前を聞いたのは、偶然だった。


 医者がいる。

 静かな村だ。


 それだけ。


 彼女は向かった。


 期待しないようにしながら。

 失望しないために。


 医務室の前で、足が止まった。


 胸の奥が、わずかに重くなる。


 名前を呼ぶ。

 声が震えないように、息を整える。


 扉が開く。


「……リナか」


 その一言で、

 長い時間が、音もなく終わった。


 探してきた時間は、報われなかった。

 だが、無駄でもなかった。


 彼女は、もう探さなくていい。


 それだけで、

 胸の奥にあった空白は、

 静かに形を失っていった。




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