三沢野樽のヒトサラ。
注:
この作品には“湊花レモンサイダー”が小物で登場しますが、しいなここみ様の企画として投稿しましたので、湊花町シリーズには入れていません。(20250729 - 1233)
【プロローグ】
倉庫の奥に置かれた、ふたのずれた木樽。
埃っぽい空気の中で、ふと鼻をくすぐる香りがあった。
それは……カレーだった。
「……は?」
思わず声が出た。
さっきまで古い木材とカビ臭さしか感じなかった空間に、
急に、あたたかい香辛料の風が吹き込んできた気がしたのだ。
三沢野樽は、しゃがみこんだまま、樽の中をのぞきこんだ。
そしてそこで見つけたのは、一冊の本だった。
古びた黄色い布張りの表紙。
文字は書かれていない。タイトルも、著者名も、何も。
けれど、ページの隙間からは確かに、
“ぽふっ”と漂うような、カレーの匂いがした。
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【第1章:レシピに足りないもの】
三沢くんは料理が苦手というほどではない。
だが、黄色い本に挟まっていたレシピ――それは、なんとも不思議なものだった。
「玉ねぎ、にんじん、じゃがいも……スパイス……“しゅわの一滴”?」
最後の一文だけが、なんとも意味深だった。
一度、レシピ通りに作ってみた。
だが――うまい。でも、なにかが足りない。
「近いのに……これじゃない」
彼は窓辺に座り、サイダーの空き瓶を転がした。
炭酸は抜けて、もう音も立たない。
あのページに書かれていた「一滴」とは、いったい何だったのか。
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【第2章:クマちゃんカレーの昼下がり】
「いらっしゃ〜い。ぽふっとカレーのクマちゃんへようこそ〜」
駅前のクマちゃんカレーは、町のマスコット感満載の店だった。
入り口では、ナンをかぶったクマのぬいぐるみが、両手でスプーンとフォークを持って待っている。
そして壁には、黄色い表紙の紙で作られた装飾ポスター。
「それ、レシピ本ですか?」と三沢くんが聞くと、
店主の樽乃さんは、にこにこしながら首をかしげた。
「さあてねえ。昔うちで出してた記念メニューのなごりかな。忘れちゃったよ〜」
そう言って出してくれた「黄色い本セット」は、
まさかの本型の器に盛られたカレーライス、
そして――具がなぜかピンク色のうずら卵が入った味噌汁だった。
「……味噌汁、なにこれ」
「今日の“ズレ”はアタリですよ。ふふふ」
そう言って笑う樽乃さんに、三沢くんは苦笑いした。
だが、心の奥が、すこしだけざわめいた。
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【第3章:夢の中、寿司は流れず】
三沢くんは、回転寿司にいた。
目の前を、ぐるぐると皿が流れている。
だが、
どれも味噌汁だった。
「あれ……?」
湯気を立てて通り過ぎる味噌汁。
わかめ。豆腐。大根。ナス。
どんぶりに乗っているのは、どれも味噌汁だけだった。
「寿司は……?」
周囲の客は平然と食べている。
「今日の赤だし、いいわね〜」
「ナス入り当たりだな!」
そんな会話が聞こえる。
「いやいやいやいや、そうじゃないだろ……!」
思わず立ち上がりかけたそのとき、
目の前に、とんでもなく大きなどんぶりが流れてきた。
中には――
伊勢海老の赤だし味噌汁(特大)。
どんぶりのふちに旗が挿さっている。
赤い文字でこう書かれていた。
【ハズレ】
「えぇ……?」
「おう坊主、それが出たか」
隣に、いつのまにか座っていたのは――
ハズレ味噌汁マスターだった。
割烹着に軍手、ピカピカのおたまを握りしめ、
頭には「ハズレ」の刺繍入り手ぬぐい。
堂々と味噌汁をすすっている。
「それ、当たりに近すぎて逆にハズレってやつだな」
「……意味がわかりません」
「うん。わかんなくていい」
「ズレになれろ。違和感に舌を慣らせ。じゃないと、本当の味に出会えねえ」
マスターはそう言いながら、
次に流れてきたコーヒー色の味噌汁(?)を飲んだ。
「うーん、ズレてんな。うまい。」
「……いやだから、寿司どこ行ったの!?」
そう叫んだ瞬間、
どんぶりの中の伊勢海老が、小さくチリンと鳴った気がして――
三沢くんは、目を覚ました。
枕元には、
空になった湊花レモンサイダーの瓶が、しゅわ……と鳴っていた。
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【第4章:湊花レモンサイダー自販機】
その日も三沢くんは、坂道の途中で立ち止まっていた。
目の前には、古びた黄色い自販機。
「湊花レモンサイダー」だけが売っている、町でも少し変わった存在だ。
レモンのゆるキャラ“レモんぬ”の顔が、色あせている。
ボタンの色が、じんわりと赤く光っていた。
「……違うのか」
夢の中のハズレ旗が、なぜか脳裏をかすめる。
味噌汁マスターの言葉が、変な響きで残っていた。
“ズレになれろ。じゃないと、本当の味に出会えねえ”
それって……このことか?
いや、わからない。わからないけど……
彼は数歩引いて、自販機の前を通りすぎようとした。
でも、ふと――思考がくるりとひっくり返った。
「違う。ズレてるってことは、近いってことだ」
振り返ると、
今度はボタンが緑色に光っていた。
そっと小銭を入れて、ボタンを押す。
しゅわっ。
サイダーが、心地よい音を立てて出てきた。
栓を抜くと、黄色い本のページが、風もないのにふわりと開いた。
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【第5章:カレーの香りと、ぽふっとした記憶】
湯気の向こう、鍋の中でカレーがぽこぽこと音を立てていた。
今日はいつもと、どこか違う。
「このタイミングで、“一滴”」
湊花レモンサイダーのしゅわっを、ほんの少しだけ加える。
シュガーと酸味と、香りの広がり。
それは、ただの味の変化ではなかった。
――ふわっ、と記憶が広がった。
昔、小さな公園。
誰かと一緒にベンチに座って、
カレー味のコロッケを分け合った。
風が吹いて、笑って、
「また来年も、この味にしよ」って、誰かが言った。
思い出せないのに、
泣きたくなるほど、懐かしかった。
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【最終章:黄色い本の最後のページ】
カレーの香りが部屋に満ちていく。
黄色い本は、最後のページをゆっくりとめくった。
そこには、手書きのやわらかい文字で、こう書かれていた。
「また来年、香りと一緒に思い出せますように。」
三沢くんは、そっと目を閉じた。
次の一滴は、誰と分け合おうか。
【完】
AIの「クマちゃん」と、テンション上げ上げで冗談を交えつつ、執筆して貰ったのがこちら。
主人公の名前も【沢田 実】(ぽぷ物語の主人公)のアナグラムになってたりします。