1-5 どんな顔を
人殺しというものは、一体どこまで許容されるのだろうか。
人に襲われて、正当防衛で誤って殺してしまった場合は、ある程度許容されて、情状酌量の余地はあるだろう。
しかし、正当防衛での殺害であっても、そこに明確な悪意があった場合は許容されるのだろうか。
現実逃避をするように、そんな哲学的思考が廻り廻る。だって現実は、そんな哲学を嘲笑うかのような異常で満ちている。
「あー最悪最悪最悪……なんでこんなことになっちゃったんだろ……」
零奈は黒い鎌を降ろし、左手で頭を抱える。
黒い鎌は零奈の身長の約2倍以上の大きさをしており、刃の部分からはトカゲ人間を斬った時の緑色の血が滴り落ちている。
そんな零奈を見て、俺は情け無く腰を抜かしてしまう。
地面に座り込んだ俺は、ただただ呆然と零奈を見つめる事しかできなかった。
「……大丈夫?」
数秒後、零奈はゆっくりと振り返りながら口を開く。
人は鏡やスマホでも無い限り、自分の顔を見ることは出来ない。しかし、それでも分かる。
俺は今、驚愕や困惑……様々な感情を混ぜた滑稽な顔をしている事だろう。
起きた現実の処理が追いついていない。脳みそが完全にフリーズしている。商業施設のフリーWi-Fiを拾った時みたいな処理速度の遅さだ。
しかし、無理矢理にでも「俺は大丈夫」だと、しっかり伝えなければ。
声帯に力を込め、全霊をかけて応答を捻り出す。
「……ぅん」
声裏返った。しかもクソ声量小さく弱々しい。恥ずかしい……
「……本当に?」
「う、うん、大丈夫大丈夫」
「絶対混乱してるよね……ごめんね」
零奈はそう言いながら俺の前まで歩み寄る。そして腰を少し屈めて、俺の頭をポンポンと叩く。
「でも、間に合って良かった」
その零奈の優しい笑顔は、血と瓦礫の匂いが充満するここでは場違いな程に穏やかだった。
「……ガキ扱いかよ」
「いいじゃん、昔みたい。それに私の方がお姉さんなんだし」
「一歳差だろ。あと昔もこんな事してないだろ」
「えー?してたじゃん?」
零奈はそう笑いながら首をかしげる。
「にしても……思ってたよりやばいなぁ……」
零奈は俺の頭から手を離し、窓の向こうにある『人の顔』に目を運ぶ。
つられるように、俺は零奈と同じ『人の顔』へ目を運ぶ。
「なっ……!?」
そこには、更に受容し難い現実がそこにはあった。
空に浮かんだ巨大な『人の顔』は、黒い口を大きく開いていた。
そして、そこからは人型の異形が吐き出されていた。
「なんだよ、あれ!?」
この数分で散々な程、異常な現実を目の当たりにしているが、それでも窓の向こうの現実は予想を遥かに超えた異常だった。
頭に光り輝く黄金の輪を浮かべ白い羽を生やした人間。
不恰好な黒い角と羽を生やした人間。
赤い肌に大きな角を生やした人間。
羽毛と嘴と爪と羽を纏った人間。
それらは、人の形をしているだけの化け物が、黒い口から豪雨のように地面に降り注いでいた。
「龍人だけじゃなく、天使に悪魔……鬼人に鳥人までいるのかー……」
零奈は意味のわからない単語を羅列しながら、面倒を顔に浮かべ、頭をポリポリとかく。
それはまるで、子供の喧嘩を見る親のように、散歩中に歩かなくなった犬を見る飼い主のように、目の前に起きている異常をまるで『日常』のように受け止めていた。
「えっと……零奈?」
零奈は俺の呼びかけを聞いてはいただろう。しかし、こちらを振り返る事なく、無機質に黒鎌を持ち上げる。
「とりあえず、ここにいて」
淡々と言葉を言い放つ。
「絶対、私が護るから」
零奈の言葉の意味を脳が処理するよりも速く、零奈は壁を鎌で斬り裂き、外へ飛び出した。
「れっ……!?」
無意識に、反射的に零奈の名を呼ぼうとした。
しかし、それはあまりにも遅すぎた。
瞬間、赫い一閃が化け物の雨を斬り裂いた。
「は───」
その赤い一閃の正体が、黒い鎌に纏われた『赫い焔』だと俺が気がつくよりも速く、斬り裂いた異形の雨から赤黒い血雨が流れ落ちるよりも速く、次の一閃が放たれた。
赫い焔を纏った黒鎌は、音よりも速く、何度も何度も異形の雨を斬り裂く。
肉が裂かれる音が聞こえる。
空が血で満たされていく。
悲鳴が悲鳴でかき消される。
それは誰がどう見ても虐殺だった。
「あ」
グチャドチャと肉が落ちる音が大量に聞こえる。
無意識に耳を塞ぎ、視線を地面に落とす。
今、この瞬間、命が失われている。
奪われている。殺されている。
その現実は、俺をその思考にさせるには十分すぎた。
零奈は俺を殺そうとしたトカゲ人間を殺した。
そして今、零奈は目の前の化け物達を殺している。
それはきっと、俺を救ける為。護る為。
しかし、それはつまり、零奈は俺を助ける為に人を殺した。
あのトカゲ人間や目の前にいる人型の化け物は人間じゃないかもしれない。
けれど、もしあのトカゲ人間や目の前の化け物が本当に人間なら?
それは人殺しなのではないか?
零奈は俺を救ける為、護る為、俺の為。
ただそれだけの為に零奈は人殺しをした?
俺のために罪を犯したのではないか?
そんな思考で脳は埋め尽くされていた。
「暁理……?」
その声に反応して、ゆっくりと顔を上げる。
そこにいた零奈の顔にも髪にも服にも、染められたように赤黒い液体や緑の液体、青紫の液体がついていた。
それは、間違い無く返り血。
間違い無く、人を殺した証拠。
その事実は、俺にある感情を与えてしまった。
「……そうだよね」
零奈は俺の顔を見て、少しだけ哀しそうな顔をした。
何かを諦めたかのような、何かを納得したような。
10年以上の付き合いで、初めて見る顔。
そんな幼馴染の前で俺は今、どんな顔をしていた?
初めてできた友達で、唯一の親友で、大切な幼馴染に向かって。
……俺は今、どんな顔をしていた?
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