4-11 寿司
「お寿司が食べたい」
春のさざめきが肌にくすぐったくて、夏の匂いが見え始めた、季節の境目。
まだ俺が高校生になってすぐの頃だったはず。
暇を持て余し、貴重な休日を無駄に消費していた時、ふと零奈が思いついたかのように呟いた。
「寿司?」
「うん。お寿司。食べたい」
「いいけど、急すぎない?」
「お寿司ってさ、急に食べたくならない?お寿司欲の衝動みたいな」
「分かるけどお寿司欲ってなんだよ」
「いいじゃん。もうお昼だし、いこ?」
零奈は爽やかに笑いながら、いつものように俺の手を掴み、引く。
その日の零奈は、光が吸い込まれそうな黒髪を低い位置で束ね、白黒のキャミワンピと濃い茶色ローファーという、持ち前の明るさを主張しながらも、どこか落ち着いた雰囲気を纏っていた。
その大人びた可憐さは、多くの人の目を引くのだろう。街行く人々は皆、零奈とすれ違う度にまるで条件反射のように振り返る。やっぱ顔が良いって凄いな。
そんな零奈に手を引かれている俺の顔は甘く見積もって、下の上。月とスッポンどころの騒ぎではない。目◯蓮とゴキブリぐらいの差がある。嗚呼、死にたい。
「あ、見えたよ」
零奈が意気揚々と指をさす。そこには、全国どこにでもある回転寿司のチェーン店だ。自己嫌悪が佳境に入る前に、なんとか目的地についてよかった。
店内に入ると家族連れや学生達、カップルなど、様々な客層で埋め尽くされていた。そして、俺達は店内で一番奥の席に案内される。
「なんか、久々に来たね」
零奈はほんのり緊張した様子で零す。
確かに、あまり回転寿司は行かない。というのも、学生の身分で、回転寿司は気軽に足を運べる場所ではない。
しかし、俺は最近バイトを始めた。そして、つい先日、初のバイト代が入った! つまり、俺は無敵だ! 天上天下唯我独尊! 今日なら、零奈に奢ることもできる!
そんな内心テンションが上がっている俺を他所に、零奈は熱心にタッチパネルを操作する。
「何食べる?」
「ん〜……アボカドサーモンで」
「おっけー! 私も頼も……あれ? アボカドサーモンってこんなに高かったっけ?」
「何円?」
「160円」
「たっか!? そんな高いのか今……」
「どうする? 頼む?」
「頼む。お願い」
「はーい」
零奈はおもちゃ屋で誕生日プレゼントを選ぶ子供のように、楽しそうにタッチパネルを操作する。
そして、数分後。
頼んだアボカドサーモンが皿に乗ったまま、俺達の席に到着する。
生まれてからずっとこのシステムだからなんとも思ってなかったけど、寿司が乗った皿がまあまあの速度で移動するの、シュールすぎないか?
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
俺は2皿のアボカドサーモンを零奈の前と俺の前に置く。
「いただきます」
零奈は醤油を垂らして、アボカドサーモンを口の中に放り込む。そして、彼女はふわりと顔を緩ませながら咀嚼する。
「ん〜! おいし〜!」
俺もアボカドサーモンを口の中に含むと、アボカドの独特な甘みとサーモンの脂身が見事にマッチする。つまり美味。フルコースに入るレベル。
「美味すぎる。アボカドサーモン考えた人マジ神」
「わかる〜」
零奈は幸せそうに微笑みながら、話を続ける。
「やっぱり、お寿司は回転寿司だよね」
「回らない寿司を食べた事がある人の口ぶりじゃん」
「え、あるじゃん。ほら、焼肉屋とかで」
「焼肉食べ放題で食べられる寿司を『回らない寿司』にカウントするのは犯罪じゃない?」
全国の寿司職人に殴られてもおかしくない発言をした零奈は、相変わらずお気楽に寿司を咀嚼する。
そうして、俺達はタッチパネルで注文し、寿司が届けば食べる。そのサイクルを繰り返し、いつの間にか20皿を超えていた。この辺から、普通にお腹いっぱいでしんどくなってくる。
しかし、目の前に座る零奈はマグロを躊躇なく頬張り、幸せを噛み締めるように唸る。
「ん〜美味し〜!」
「一皿目の反応じゃん……」
「だって、美味しいんだもん」
「酢飯に具を乗せただけなのにな」
「お寿司職人さんに殺されちゃうよその発言」
幸せそうな顔から一転。零奈は真顔で冷徹に言い放つ。怖っ。
「ごめん」
「うそうそ。でも確かに、お寿司って酢飯に食材を乗せてるだけだよね。それなのに、食材の組み合わせや職人の技術で味が凄い変わっちゃうの、冷静に考えて凄くない?」
「……確かに。凄いかも」
米やマグロと一口に言っても、産地や育て方、個体差によって味が違う。
また、俺と職人が同じ食材で寿司を作ったとしても、間違いなく職人の寿司の方が美味しいだろう。
工程はシンプルだからこそ、食材の出来や技術の練度で、味が大きく変わってしまうのか。なるほど、深い。
……なんでこんな寿司に対して熟考してんだ俺。
「ほら、値札がないお寿司屋さんって、握りだけで8年修行するらしいよ? それだけ、技術で味が変わるんだろうね」
零奈は変わらず、軽い口調で語る。
「らしいな。値札がない寿司屋なんて行った事ないけど」
「え? あるじゃん。ほら、しゃぶしゃぶ屋とかで」
「しゃぶしゃぶ食べ放題のタッチパネルで寿司を注文する時に値段が書いてないからってそれを『値札がない寿司』にカウントするのはなにがし法に触れるだろ」
全国の寿司職人からスープレックスされてもおかしくない発言をした零奈は、そんなことを気にする様子はなく、ウキウキでデザートを注文していた。
「……」
そんな零奈を見て、無意識に頬が緩む。
そして、「また来よう」と心の中で誓った。
たかが回転寿司。いつでも来れる場所だし、ここでの時間はなんてことのないありふれたものだ。
それでも、絶対に零奈と一緒に来ようと、そう強く、強く誓った。
「暁理もケーキ頼む?」
タブレットを操作しながら、零奈は陽だまりのような無邪気さで問いかける。
俺は、胸の中に秘めたこの気持ちを発露しないよう、必死に表情を抑えながら応える。
「うん、お願い」
――――――――――――
骨が砕ける音がする。
肉が抉れる感触が伝わる。
口に彼の血液が入り込む。
楽しくない。気持ち悪い。不味い。
戦闘が始まって、何分経っただろうか。
闘いは苦痛だ。我儘を言って良いのならば、今すぐにでも辞めたい。
あの日と比べて、今の俺は幸せじゃない。全く幸せじゃない。
それでも、俺は闘い続けるしかない。
彼女を取り戻すため。たったそれだけのために。
厭でも、苦しくても、目の前の敵を倒すしかないんだ。
「ッ……! 」
槍華は折れた左腕を庇うように、苦悶と焦燥を浮かばせながら、必死に右腕のみで槍を構えようとする。
けれど、それよりも疾く、俺は槍華の腹部に、
───赫い焔に纏われた拳を叩き込む。
「ガハッ!!」
空気を割いた赫い焔は閃光となり、流星のように槍華の肉体に衝突する。
「クソッ……ガァ!!」
槍華は苦痛に顔を歪ませながら、投げやりに翡翠色の槍を振り回す。
それに反射するように、両脚から赫い焔を逆噴射させ、舞うように天井近くまで飛び、躱わす。
「クソッ! なんなんだよ、それッ!」
槍華の絶叫が工場内に響き渡る。槍華の左腕はプランと下がっており、額には汗と血が流れ落ちていた。
俺は槍華の魂からの叫びに、淡々と応える。
「これが『救焔の願望』だ」
それは、零奈から授けられた力。
『レッド・デザイア』には、3つの能力が宿っている。『レッド・デザイア』を1つの料理と例えると、3つの力は、その料理を構成する材料だ。
1つは澄んだ赫を輝かせながら燃え盛る焔。名を『救焔』。
1つは光を飲み込んでしまうほどの黒い鉄の鎧。名を『鎧軀』。
1つは稲妻のような速度と破壊力を生み出す身体強化。名を『業雷』。
それが『レッド・デザイア』であり、零奈から授けられた力。
「やっぱ『デザイア』なんじゃねぇかよ……」
槍華は憤怒を剥き出しにしながら問いかける。
両脚で救焔を逆噴射させて浮遊している俺は、槍華を見下ろしながら応える。
「ああ」
「……じゃあ死ねよ!!」
槍華は憎悪を叫びながら、地面に槍の先を向ける。
瞬間、爆風と共に槍華は地面から弾かれ、空に舞う。
「死ね!!」
槍華は片手で槍を半回転させ、弧を描く。
これを直撃すれば、間違いなく死ぬ。
だから躱わす。ついでに反撃。
俺は救焔の出力を上げると同時に、噴射の方向・噴射箇所を両脚だけでなく右手を加える。宙に浮く力はそのままに、横への推進力を追加。
「───」
翡翠色の槍が空気を割くよりも疾く、俺は槍華の後ろに回りこむ。
「なっ……!?」
槍華の驚嘆を他所に、折れた左腕を掴む。
「ッア……!」
割れたガラスのような声を吐き出す槍華を黙殺して、俺は折れた左腕を振り回し、工場の壁に叩きつける。
───ドゴオォン‼︎
「グハッッ……!!」
工場の壁は深く沈み、槍華の口から景気良く血が吐き出される。
しかし、その目はまだ死んでない。
反撃の可能性は、ある。
ならば、どうするか。
俺は右手に硬く強い鎧軀を再構築する。同時に、鎧軀から救焔を放出し、纏わせる。
そして。
「───ッ」
俺が槍華の顔面に拳を叩き込むその刹那、槍華は化け物をみる子供のような顔をしたように見えた。
───ゴッ
「ガハッ……!」
殴る。
───ゴッゴッ
「ハァッ……ガッ……!」
殴る。ただ殴る。
───ゴッゴッゴッ
「や、やめっ」
こいつの魂を殺すまで、殴る。
「あああ!!」
次の拳が叩き込まれるよりも先に、槍華は自暴自棄とも取れるような一突きが放たれる。
けれど、それは今までの攻撃の中で最も遅く、軽く、弱々しいものだった。
「───」
だから、俺は時計回りに半回転して、彼の穿ちを避ける。
そして、槍を持つ右腕を掴み、子供が虫の翅を千切るように、
───引き千切る。
「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙‼︎‼︎ 」
叫喚が廃工場に響き渡る。
右腕からは滝壺のように赤黒い液体が落ち、同時に槍華の身体も流れるように地面に堕ちていく。
「ア……」
地面に叩きつけられた槍華は、スイッチが切れた機械のように動かなくなってしまう。右手に握られた翡翠色の槍は完全に消失。命術の停止。
つまり、槍華は戦闘不能。
俺は槍華の右腕を投げ捨て、粘度を持った疲労と共に呟く。
「あー……寿司……食べたい……」
お読みいただきありがとうございます。
救焔の願望は今回から一部の状況を除いてルビを振らず、カタカナ表記のレッド・デザイアでいきます。
決してルビを振るのが面倒だからではないです。信じてください。




