4-3 ラーメン
「今思えば、『デザイア』の反応は一切ないな……」
福岡を練り歩いて一時間。そして、ラーメン屋に入った現在も、『デザイア』の反応は全くない。
ゲノムさんの講義を踏まえると、『デザイア』の反応が無いに越した事はないのだが、それはそれとしてこのままでは任務を遂行出来ない。
コップの水を飲み、ため息を吐く。
「ほんとに福岡に『デザイア』はあんのか……?」
「さあな」
その言葉に戒刃も、眉をひそませながら答える。
「……」
シロアは特に発言をしない。
シロアは普段から会話に参加することが少ない。別にそれは良い。ただ……
「シロア、大丈夫?」
「あっ……そ、その……」
福岡に来てから、シロアは調子が悪い。
顔色は悪いし、人混みのせいだがまともに歩けてない。
特に会話が酷い。元々上手い訳じゃないけど、今日は特に酷い気がする。まともな挨拶や自己紹介も出来てない。俺と話す時はそんな事ないのに。
「無理してないか?」
そう問いかけると、シロアは眼線を下に落として話し始める。
「……ごめんなさい。その……緊張で、上手く、喋れ、なく、て……」
その辿々しい言葉遣いに、あまりにも弱々しく話すその姿に、被ったフードで表情が見えなくなった瞬間に、
「……」
俺は断片的に理解していたシロアという人間を、更に少しだけ理解した気がした。
初めてくる場所、苦手な人混み、初めて喋る人。
それらは、シロアが上手く喋れなくなるには十分な材料である事。
ずっと何かに怯えており、ずっと何かに恐怖している事。
そして『謝罪だけ流暢に喋れた』という事実。
「……そうか」
そんなシロアを見るのが嫌だった。
昔の自分を見ているようで、嫌だった。
「あー……」
背もたれに寄りかかり、天井を見上げて思い出す。
遠い、遠い昔の話。
7歳になってすぐ。夕暮れに染まった放課後の教室。
俺はただ、ひたすらに泣きじゃくっていた。
あの時、俺はどんな言葉をかけて欲しかった?
「シロア」
身体を正面に戻して放つその呼びかけに、シロアは小さく肩を揺らす。目線は合っていないが、今はそれでいい。
俺はゆっくりと思い出す。
あの時、欲しかった言葉を。
あの時、貰った言葉を。
あの時、願ったことを。
「もし会話が無理な時があったら、遠慮なく俺か戒刃に回してくれ」
瞬間、シロアの落ちていた目線が一気に上がる。
「え、でも……」
俺の発言にシロアは動揺を隠せていない。
隣にいる戒刃は何も言わず、コップを持って静観している。
「適材適所。俺や戒刃はシロアが苦手な事はなんでも救ける。その代わり、俺や戒刃が苦手で、シロアが得意な事がある時は救けて欲しい」
「……」
シロアは困惑した面持ちのまま、硬直していた。
そうだよな。きっと昔の俺も、同じ反応だった筈だ。
「大丈夫だよ」
零奈はそう言いながら、涙でぐちゃぐちゃになった手を迷わず握ってくれた。
劣っている事を憐れんで欲しくない。
他人と違うというだけで腫れ物にして欲しくない。
出来ないからって見捨てないで欲しい。
そんな不出来で不格好で不相応な願いを持っていた。
「私は何があっても、暁理の友達だよ」
それは、俺が教室の隅で泣きじゃくっていた時に、零奈がかけてくれた言葉。
たった一言。けれど、それだけで良かった。
陽だまりのような優しさをくれる人が欲しい。
救けてくれる人が側にいて欲しい。
自分は一人じゃないと想わせて欲しい。
我儘で滑稽で醜悪な願い。
そんな願いを、たった一言で零奈は叶えてくれたから。
「もっと俺達を頼れ。俺も、俺達もシロアを頼るから」
零奈はあの時、俺の願いを叶えてくれた。
シロアが昔の俺と同じ願いを持ってるかは知らないし、分からない。
けれど、そんな事はどうでもいい。
これは、俺が俺の願いを叶える為にしている事。
「シロアは何があろうと、俺の仲間だ」
シロアが少しでも自然体で、笑顔で、幸せでいられる世界になるように。
ただ、その願いを叶える為の言葉だった。
「……」
シロアは数秒だけ眼線を落とし、少しだけ何かを後悔したような顔をした。
そして、ゆっくりと顔を上げ、小さく震えた声で零す。
「……ありがとう、ございます」
フードの中から見えた彼女の表情は脆く、弱く、しかし確かな自然な笑みがあった。
「……うん」
俺も自然に笑みが零れてしまう。
あの時に貰った陽だまりのような優しさを、シロアにも分けられたかな。
そうだったら、凄く嬉しい。
そんな事を考えていた時だった。
シロアの隣に座る戒刃がコップを机に置いてゆっくりと口を開く。
「……会話ぐらいは出来るようになった方が良くないか?」
「うぐっ……」
シロアに100のダメージ!!シロアが心臓付近を掴んで顔を机に落とし、「ドンッ!!」と鈍い音を鳴らす。
なんで今そんな事言うの!?
「ほらもー!そーゆー事言わない!いいの!シロアは!」
「うわ、シロアにだけ甘い。贔屓か?」
「戒刃はなんでも出来るから特段甘やかさなくてもいいだろ!」
「それ逆説的にシロアが何も出来ないって言ってない?」
「言ってねぇよ!」
「うぐぐっ……」
シロアに200のダメージ!机に突っ伏したまま、大きく肩を揺らして呻き声を漏らす。もー!
「お待たせしましたー!……なにこの状況」
声の方向へ顔を向けると、困惑を浮かべた槍華がラーメンを両手に持ってきていた。
事情も状況も知らない槍華から見たら、この光景はカオスそのものだ。
「あ、シロア起きろ!ラーメン来たぞ!」
「あっ、すみません……!」
シロアは跳ねるように起き上がる。机に突っ伏したせいか、前髪が若干乱れている。瞳がうるうるしているように見えるのは、多分戒刃のせいだ。あんにゃろ。
「はい!お待たせしましたー!博多ラーメンでーす!」
槍華は博多ラーメンをシロアと戒刃の前に置き、少し遅れてカウンターにあった3つ目のラーメンを俺の前に置く。
ラーメンからは出来立ての湯気、濃厚な豚骨の匂いが鼻腔を充満する。乳白色のスープに絡んだ細麺、薄切りのシャーシュー、健康的要素を一身に担っている刻みネギ。
確信する。これ美味いやつだ。
「ありがとう。いただきます」
俺は急ぎ足に手を合わせる。
「い、いただきます」
シロアは若干困惑した様子で、俺に倣って手を合わせる。
「……」
戒刃は何も言わないが、目を瞑って動かない。黙祷?
「さて……」
レンゲを持ち、まずはスープから吟味する。
「……おぉ」
感嘆が漏れる。美味い。豚骨のスープは非常に濃厚だが、くどくない。流れるように箸で麺を掴み、勢いよくすする。
「……うっま」
コシのある麺にスープが絡み合う。麺とスープが丁寧に調和された、至極の一品だ。
「どうだ!?美味いだろ!!」
配膳ついでにずっと隣にいた槍華は、満面の笑みで問いかける。
「美味い!!」
「だろ!!」
「マジで美味い!!最高!!」
「だろだろ!!金取れるレベルだろ!!」
「金取られる予定なんだよ」
なに?タダでラーメン食べさせてくれてるの?店側がそれ言うと、ボケが絶妙に分かりにくいんだよ。
そんな事を考えながら正面を見ると、そこには、必死にラーメンを啜るシロアがいた。
「……ん?」
その姿はあまりにも幸せそうで、少しだけ動揺してしまう。
「シ、シロア?美味しい?」
「ふぁい!!」
シロアは麺を咀嚼しながら、赫い眼を満天の星のように輝かせながら応える……なんか元気になった?しかも、シロアのこんな大きな声初めて聞いたんだけど。
「美味しいだろ!?ウチのラーメン!!」
「はいっ……!美味しいです!」
シロアは麺を飲み込んだ後、元気いっぱいに返事をする。さっきとは打って変わって、槍華ともちゃんとコミュニケーションを取れている。
なるほど。シロアはラーメン……というか、飯があれば、初対面の人ともコミュニケーションが取りやすいのかも?これは覚えておこう。
「じゃあ、俺は一旦厨房に戻るね〜」
槍華は満足気にそう言いながら、あっさりと厨房へと戻っていく。
再びシロアを見ると、満足気に麺を啜るシロアがいた。
「……なんでシロアって箸使えるの?」
そう。シロアは異世界の人間。少なくとも、日本人ではない。そんな人間が箸を使えるのは違和感でしかない。
そんな疑問を漏らすと、シロアではなく戒刃が、苦しみながら答える。
「暁理が……戦闘訓練と座学をし……てる間……俺とシロアは……この世界に違和感なく……馴染……む……為の訓練をしていた……箸の使い方から……スマホの機種変更までマスター、して、いる……」
「なるほど……」
サテライト、そんな訓練するんだな……大変だ。機種変更の訓練とか絶対意味ないけど。
「……ん?」
なんか今、変じゃなかった?
戒刃にしてはあまりにも辿々しい。
というか、苦しそうにしてた。
俺はゆっくりと戒刃へ顔を向けると、そこには意外な光景があった。
「うぐっ……ゔゔ……」
「戒刃!?」
戒刃の箸は、麺を持ったまま完全に止まっていた。顔は青ざめ、今にも麺を吐き出しそうになっていた。
「どうした!?」
戒刃は死にかけの落武者のような声で零す。
「……味が……濃い……」
「え?」
「味の濃いもの……苦手で……ラーメンがこんなに味が濃いとは……」
「あー……」
確かに、このラーメンは味が濃い。それは美点だ。
しかし、それが反転することもある。
戒刃は食べ物の好き嫌いとかではなく、味の濃いのが苦手なタイプなのか……知らなかった。
「残すのはダメだ……」
戒刃は苦痛に顔を歪めながら麺を啜る。
「真面目か」
「真面目とかじゃない。残すのは……よくない」
「それが真面目って言ってんだよ」
俺は自身の器を、戒刃のラーメンの前に置く。
「食べれない分はここに入れていいよ。俺が食べるから」
ここを選んだ俺にも責任がある。ならば、戒刃が残したくないと言うのであれば、俺も協力すべきだ。
しかし、俺のその行為に、戒刃は軽蔑の眼を向ける。
「……行儀悪いぞ」
うん分かる。俺も正直、良い行為だとは思わん。
「ラーメン残すのと、多少行儀悪くてもちゃんと食べ切るの、どっちが良い?」
「……こんな事で迷惑をかけるわけには……」
「俺はこの後、どうせ戒刃に迷惑かけるんだから、その恩の前借りだ。気にするな」
「私もッ……食べますから!安心してください!」
シロアも俺に倣って器を戒刃の前に出す。
「シロア……」
戒刃は少し感動したような声色を放つ。
しかし、俺はシロアの器を見て、ある疑念が生じる。
「……食いたいだけでは?」
シロアの器には、既に麺は無い。チャーシューや半熟卵も無い。こいつ完食してるよ。
「う……」
シロアは俺の言葉に呻き声をあげる。
食い意地が張ってるだけじゃねぇか。
「……まあいいか」
しかし、彼女がご飯をたくさん食べたいのには、実はちゃんとした理由がある。
「シロア、まだ食べれるなら注文していいよ」
俺はメニュー表を広げて、シロアの前に出す。
「え、でも……」
シロアは再び、困惑の表情を浮かべる。
「えっ俺は……?」
戒刃も同じく困惑の表情を浮かべる。テメェの分は俺が食うからその顔やめろ。
「ゲノムさんから聞いてる。シロアは沢山食べないと、再生能力が発揮されないって」
「うぐぐ……」
シロアは隠しごとがバレた子供のように呻き声をあげる。
そう、シロアの身体は瞬時に再生する特殊な身体だ。
しかし、身体の再生には莫大なエネルギーが必要である。つまり、莫大なカロリーや休息が必要
具体的には、一日最低10時間以上の睡眠。そして……
「シロアが万全に再生する為には1日で4,500キロカロリーは必要だって。だから、好きなだけラーメン食べていいよ。餃子とか炒飯でもいいよ」
「バッ、バレてる……」
シロアは顔を真っ赤にしながら動揺している。
なんならさっきより動揺している。
しかし、その眼は表情に背叛するように、確かに輝いていた。まだ食べれるなこいつ。
「おっ頼みます!?チャーハンとか餃子が美味いっすよ〜!」
「えっいつの間に……」
槍華は厨房から俺達が座るテーブルまで、一瞬で移動した。
なんて営業魂。怖い。
そんな恐怖を抱えていた時だった。
「そっちゃ〜ん!来たよ〜!」
引き戸が開く音と同時に、明るい女性の声が聞こえた。
俺達4人は反射的に引き戸に顔を向ける。
そこには、俺や槍華と同年代と思われる、3人の男女がいた。
「おっ!らっしゃ〜い!!」
溌剌に声を張り上げる彼は、満開の笑顔だった。
それは、決して俺達に向けられる事のない笑顔。
それだけで、槍華にとって彼らがどれだけ大切な存在か。
それを理解するのは、あまりにも容易だった
お読みいただきありがとうございます。




