2話 朝
「……ん」
カーテンの隙間から太陽の光が流れ込んでくる。
枕の横に置いてある充電器を差し込んだスマートフォンを起動すると、そこには『7月7日 6:51』と表示されていた。
「……ぅ」
最悪だ。
アラームが鳴る前に目覚めてしまった。
ふざけんなよ朝日。まだお前も寝てろよ。カーテンの隙間から意気揚々と現れるな殺すぞ。
二度寝をかまそうかと思ったが、アラームが鳴るのは7:00。最大限寝れたとしても残り9分。殆ど寝られない。つか、今6:52になったから残り8分だ死ねよ。
「……はぁ」
俺は重い身体をゆっくりと起こし、ベッドから降りる。
そのままいつものように制服に着替え、洗面所でスマホで漫画を読みながら歯を磨く。顔を洗い、ドライヤーでひどい寝癖をつけた短い黒髪を整える。
頭が重い。絶対昨日の電話のせいだ。流石に2時までは長すぎた。
朝の身支度を終えてリビングに入ると、そこにはソファに座りながらテレビを観て談笑している両親がいた。
「……おはよう」
返事はない。
彼等に俺の声が聞こえなかったからではない。
どうしようもない悪意からくるものだ。
でも、それがこの家の常識。だから悲しいとか寂しいとかはもう思わないし、思えない。
俺は食パンとバナナをささっと平らげ、カバンを持って逃げるように玄関の扉を開ける。すると、さっき怒りを抱いた太陽の光が全身に流れ込んでくる。
そして、扉を開ける音と同時に聴こえてきたのは、何年も聴いていた幼馴染の声だった。
「おはよー暁理」
玄関を開けた先にいたのは、白色のセーラー服に水色のリボン、紺色のスカートに茶色のローファーという弊校指定の制服を完璧に着こなし、ロングヘアの黒髪を携えた、一歳上の幼馴染『安藤 零奈』だった。
「おはよ、零奈」
俺は玄関の階段を降りながら、零奈に向けてふらふらと手を振る。
「……大丈夫? 寝不足?」
零奈は少し心配そうな顔でこちらを覗き込む。
まぁ寝不足な原因は分かりきってるんだけどな。
「いや……昨日2時まで電話してたじゃん」
「うん。あの後すぐ寝なかったの?」
「寝たよ。寝た上で眠いの」
「そっか。電話付き合わせてごめんね」
「謝らないで。大丈夫だから……でも、零奈は眠くないの?」
「ちょっと眠いけど……大丈夫」
零奈は左手を口の前に広げながら、小さくあくびをする。
夜に零奈と電話をする事はそこまで珍しい事ではない。テスト前とかには、互いに寝ないようずっと電話を繋いでいる事はある。ただ、特に何の用事もないのに2時まで電話をしているのは初めてだった。
「にしても、今日も暑いねー」
零奈はそう言いながら、手で日差しを遮りながら歩き始め、俺はその隣に並ぶ。
朝とは思えない程の突き刺さるような日差しと纏わりつくような湿気、そして常に薄い炎が世界に充満しているような暑さ。いつもの通学路が灼熱地獄と化している。
そんな地獄でも、隣を歩く零奈は一切汗をかいていない。むしろ爽やかな表情で夏の空を眺めている。
その暗闇さえも飲み込まれそうな程に深い黒髪は、太陽の光を吸収して熱が籠らないのだろうか。不思議だ。
「……そんな見られると照れるよ」
信号待ちで足を止めると、零奈は照れくさそうに俺のおでこを人差し指で押す。
「いや……零奈って暑くないの? その黒髪で」
俺はおでこを人差し指で押されながら疑問を零奈に投げかける。
「暑いよ? てか暁理も黒髪じゃん。多分、一緒の感覚だよ?」
確かに。俺の頭の上も結構な熱が籠ってる。
「でも、俺こんなに汗ダラダラなのに、零奈は全然汗かいてないじゃん……ずるい」
「ずるいと言われてもなぁ……多分、体質だよ」
彼女は細い眉を八の字にして、困ったように笑う。
ふと、信号が青になると周りの人達が歩き始める。俺たちもその流れに逆らう事なく歩き始める。
「じゃあさ、思い切って髪染めてみたら?」
零奈は横断歩道を渡りながら、名案を思いついたような顔で手をポンッと叩く。
「……今は染めないかな。大学入ったら染めるかもだけど」
「何色にするの?」
「うーん……まあ最初は暗い茶髪とか?」
「……赤とかどう?」
「絶対似合わない」
「そうかな? 意外と似合うかもよ?」
頬を赤らめながら、茶目っけたっぷりに笑う。
「絶対似合わない」
「似合うよ!」
「絶対! 似合わない!」
「似合うって〜!」
零奈は意地悪に笑いながら、トントンと弱い力で背中を叩く。その小さな衝撃を背中に感じながら、ふと憂鬱で億劫な思考が脳内をよぎる。
「というか……そもそもの話だけど、俺は果たして大学へ行けるのだろうか……」
俺は高校二年生。零奈は三年生。どうしても、受験というものに脳内を支配されるお年頃だ。
俺と零奈の志望校は同じ。しかし、その志望校は悪い意味で俺のレベルに合ってない。この前の模試はD判定だった。不相応で高望みなのは、誰よりも分かってる。
それでも、どうしてもその大学に行きたい理由があるのだ。
「大丈夫だよ」
ふと、隣を歩く零奈が、真剣な面持ちで断言する。
同時に自分の情けなさに申し訳なくなってしまう。
零奈がこんな顔をする時は、大体俺が不安そうにしてしまっている時だ。
「暁理なら大丈夫」
彼女は優しく、俺の不安を払拭するように力強く答える。
そうだ。零奈はいつも、俺が不安な時にこうやって励ましてくれる。昔からこうやって、無償の優しさを俺に与えてくれる。
でも……
「……零奈は志望校A判定じゃん」
つい、無意識に本音が零れてしまう。我ながら最悪である。
零奈は信じられないぐらい頭が良い。定期テストでは毎回一位を取るし、全国模試にも名を連ねている。
俺の志望校には高二の頃からA判定で、そこから成績を落とす様子は一切なく、むしろ更に良くなっているのだ。
「い、いやっ! そうだけど! 大丈夫! 暁理なら大丈夫!」
零奈がわかりやすく焦りながら、俺を励ましてくれる。しかし、A判定にそれを言われたら、もはやそれは煽りにしか聞こえない。
「大丈夫か? D判定が?」
「大丈夫大丈夫! 暁理は努力家じゃん! これからだよ!」
「確率で言えば?」
零奈は頭をひねりながら、恐る恐る口を開く。
「……85%ぐらいは」
「じゃあダメだ」
「えっなんで!?」
零奈の驚愕がそのまま声になって、朝の住宅街に響き渡る。
動揺を隠せていないぞ零奈。多分、俺を励ます為に高く見積もったんだろうな。でも85%は外れる。どれだけ俺がだいも◯じを外してきたと思ってるんだ。
「はぁ……」
無意識にため息を吐いてしまう。
嫌いだ。
自分の学力不足も、実力不足も。
そして、零奈の励ましや優しさを素直に受け取る事が出来ない、自分の捻くれ者な性質も。
全部、嫌いだ。
「……じゃあ、100%になったら大丈夫?」
唐突に、零奈はカバンから小さな紙袋を取り出す。
「はい、どうぞ。これ、残りの15%」
そして、零奈は俺の自己嫌悪を跳ね除けるかのように、その小さな紙袋を俺に差し出す。
「……え?」
「これ、プレゼント」
「プ、プレゼント?」
「そう。ほら、開けてみて」
「お、おう」
ほぼ押し付けで受け取った小さな紙袋を恐る恐る開けてみる。
すると、中に入っていたのは、『学業成就』と刻まれた赤いお守りだった。
「……お守り?」
「うん。暁理が志望校合格しますようにって」
お守りの向こうの零奈は屈託のない笑顔を見せる。
「あ、ありがとう、零奈」
プレゼントを貰ったなら、普通は歓喜や感謝が浮かぶだろう。
確かに、嬉しいは嬉しい。しかし、俺の脳内はそれよりもある感情が先行してしまった。
「……もしかして、あんまり嬉しくない?」
零奈はそう呟きながら、捨てられた子犬のようにシュンと落ち込んだ。俺はその誤解を解く為に両手を振りながら、必死に弁明する。
「いやいやいや!? 嬉しいよ!? 嬉しい! ありがとう! でも……」
「でも?」
零奈は首を傾げながら、少し不思議そうに言葉を漏らす。
俺はその言葉に答える為に、少し躊躇しながら疑問を吐き出す。
「その……なんで急にプレゼント?」
そう、先行した感情とは困惑だ。
こんな真夏になぜ? クリスマスでもあるまいし。いや、オーストラリアは夏に行われるらしいが、もしかしてそれか?
すると、零奈は少し気まずそうにしながらゆっくりと口を開く。
「暁理……今日、誕生日でしょ」
「……え?」
その言葉に、俺はさらに動揺してしまう。
そんな俺を見て、零奈は『やっぱり……』という顔をしながら言葉を続ける。
「忘れてたんだね……」
「え? あ、今日って七夕? 七夕か!?」
「うん。七夕」
零奈は若干呆れた様子で応える。
嘘だろ……自分の誕生日忘れてたのか俺? ア、アホすぎる……
というか、俺ら日が跨ぐまで電話してたじゃん。もしかして……
「昨日の電話って……」
恐る恐る疑問を投げかけると、零奈はぎこちなく答える。
「うん……昨日の通話中に『おめでとう』って言おうと思ったけど、0時になるタイミングで暁理が『漫画更新されたから読んでいい?』って言って……それで……言い出すタイミング逃して……」
「……」
言葉が出ない。その代わりに、反射的に両手で頭を抱えた。
言ったわ。心当たりがありすぎる。バカすぎる。
がっつり電話しながら漫画読んでたわ……
「……ごめん」
俺は何一つ言い訳を放つ事なく、零奈に向かって頭を下げる。だって100億%俺が悪い。
零奈は純粋に誕生日を祝おうとしてくれた。それなのに、その想いを俺は無意識に無下にしてしまった。世界で一番最低最悪だ。
「……ふふ」
俺が今年最大の自己嫌悪に陥っていると、ふと、零奈の笑い声が聞こえる。
「本当に誕生日忘れてるの、暁理っぽいね」
零奈は小さく笑いながら、まるで祈るように言葉を紡ぐ。
「暁理なら大丈夫。このお守りがあれば、絶対合格する。それで、私と一緒に大学行こう」
零奈は俺の両手を優しく握り、穏やかにその言葉を贈ってくれた。
「暁理、17歳の誕生日おめでとう」
零奈は太陽のような眩しさの笑顔で祝福する。
それを見てしまった俺は共鳴するように、つい無意識に笑みが零れてしまう。
「……ありがとう」
俺のその言葉に、零奈は今日一番の満面の笑みを見せてくれた。
誕生日を祝福してくれるのは、生まれてきた事を肯定してくれるのは、この世界で零奈だけ。
その事実と幸福が、俺の心臓を痛いほど締め付ける。
だからきっと、俺は死ぬまで願うんだ。
貴方と出会ったあの日から、俺がこの世に生まれ落ちたあの日からずっと願っている。
叶えられない。
叶えてはいけない願望を性懲りもなく宿している。
だから、俺達はあんな最悪な最後を迎えたんだろう。
お読みいただきありがとうございます。
割り込みで投稿されてますが、過去の1話があまりにも長すぎたので分けました。話の内容は変わってません。ご了承ください。




