第2章 官僚主義の迷宮
コルヴァス・クイルは、官僚主義の複雑さを象徴するファイリングキャビネットの前に立ち、深呼吸をした。古びた紙と忘れ去られた規則の匂いが鼻を突いた。それは不快な匂いでありながら、奇妙な安らぎも感じさせた。それはかつてのオフィス、書類を整理し、企業の煩雑な手続きをこなすのに費やした果てしない時間を思い出させた。
彼はもはやカンザス州にはいなかった。いや、コネチカット州にもいなかった。彼はアエセル、不可解な規則とビザンチン様式の手続きが支配する次元にいた。しかし、異世界のような環境にもかかわらず、彼は奇妙な親近感を覚えた。異次元事務局は、本質的には、ただのオフィスの一つに過ぎなかった。とりわけ奇妙で管理の行き届いていないオフィスかもしれないが、それでもオフィスであることに変わりはない。
彼は冷たく金属的なファイリングキャビネットの表面に手を滑らせ、指先の繊細な彫刻を感じた。彫刻には、官僚主義の混沌とした様が描かれていた。書類に印鑑を押す慌ただしい役人、支援を待つ嘆願者の果てしない列、そして今にも倒れそうで行く手を阻む書類の山。
陰惨な描写だったが、コルヴァスの心に響いた。彼は自身のオフィスでも、規模こそ少し小さいものの、似たような光景を目にしたことがある。企業の世界は、異次元世界とそれほど変わらないことに気づいた。どちらも、恣意的なルール、非論理的な手続き、そして権力者の気まぐれによって支配されている。
彼は期待に胸を躍らせながら、もう一つの引き出しを開けた。今回は手がかりではなく、道具を探していた。この官僚主義の迷宮を進むのに役立つ何か、何でもいいから、何かが必要だった。
引き出しは奇妙なものでいっぱいだった。ゴム印、インクパッド、ペーパークリップ、ホッチキス。しかし、これらは普通の事務用品ではなかった。奇妙で、この世のものとも思えないエネルギーに満ちていた。ゴム印はかすかに、幽玄な光を放っていた。インクパッドは虹色にきらめいていた。ペーパークリップはまるで生き物のように、うねり、ねじれているようだった。
コルヴァスはゴム印を手に取った。表面は冷たく、肌に触れて滑らかだった。印鑑には「承認」という一文字が刻まれていた。これで書類に押印したらどうなるだろうか。書類の真偽に関わらず、魔法のように承認を与えてくれるのだろうか?
彼はインクパッドを手に取った。表面は虹色に輝いていた。指をインクに浸し、紙に塗りつけた。インクは渦巻く色彩の渦へと変化した。それは、彼をエセルへと導いた異次元の異変のミニチュア版だった。
彼はペーパークリップを手に取った。金属の表面が手の中でねじれ、ねじれていた。彼はそれをまっすぐにしようとしたが、抵抗した。まるで意志を持っているかのようだった。
彼はホッチキスを手に取った。薄暗い光の中で、金属の爪が光っていた。書類の山にホッチキスを押し当て、ハンドルを握った。ホッチキスは大きな金属音を発し、書類はまるで溶接されたかのように、瞬時に綴じられた。
コルヴァスは事務用品を見つめ、思考を巡らせた。これらはただの物ではない。魔力、官僚的な手続きを操作する力が宿っていた。
彼はゆっくりと、自信に満ちた笑みを浮かべた。彼は事務員であり、ルーティンワークの達人であり、数え切れないほどの官僚的な戦いを経験したベテランだった。彼はこれらの道具の使い方を知っていた。システムを操作する方法を知っていた。
彼は脱出するつもりだった。
彼は引き出しを閉め、決意に満ちた目でファイルキャビネットの方を向いた。準備は万端だった。
彼はまずファイルキャビネットそのものを調べた。それは巨大な構造物で、周囲の光を吸収するような暗い金属質でできていた。それは精巧な彫刻で覆われ、官僚主義の混沌と次元間移動の情景が描かれていた。
彼は彫刻に手を滑らせ、指先の滑らかで磨かれた表面を感じた。彼はそこに描かれた情景を解読し、そこに語られる物語を理解しようとした。
彼は、書類に印鑑を押す慌ただしい役人たち、援助を待つ嘆願者たちの果てしない列、そして今にも倒れそうに積み重なる書類の山を目にした。
異次元の旅人たちがアエセルに到着し、当惑し混乱し、官僚機構の迷宮を進もうと奮闘する姿も目にした。
巨大な机の後ろに座り、冷酷なまでに効率的に権力を振るう権力者の姿も目にした。
反逆者や反体制派が体制転覆を企む、隠された通路、秘密のトンネル、忘れられた部屋も目にした。
混沌とした世界、崩壊寸前の次元、官僚機構の無能と政治腐敗の脅威にさらされる姿も目にした。
コルヴスは彫刻を見つめ、思考がめまぐるしく動いた。これは単なる書類棚ではない。アエセルの地図であり、官僚機構の迷宮への案内人だった。
彼は、脱出の鍵はシステムに抗うことではなく、システムを理解することだと悟った。ルール、手順、規制を学ぶ必要があった。官僚主義の迷宮をどう切り抜け、システムを自分の利益のためにどう操作するかを学ぶ必要があった。
彼は官僚になるつもりだった。
彼はその後数時間、書類棚を研究し、彫刻を吟味し、事務用品で実験した。ゴム印を使って即座に承認を与える方法、インクパッドを使って小型の異次元現象を作り出す方法、ホッチキスを使って魔法の力で書類を綴じる方法などを学んだ。
引き出しに書かれた記号を解読する方法、複雑なファイリングシステムを操作する方法、そして隠された部屋や秘密のトンネルにアクセスする方法も学んだ。
官僚主義の言語を話し、書類を正しく記入し、果てしない官僚主義をどう切り抜けるかを学んだ。
彼は官僚制度の達人となった。仕事をするうちに、彼は奇妙な力を感じ始めた。もはや、ただの平凡なサラリーマン、企業に紛れ込んだ無名の顔ではなくなった。官僚であり、システムを操り、魔力を操る者だった。
彼こそがコーヴァス・クイルであり、自らの運命を掌握しようとしていた。
翌朝、コーヴァス・クイルは隠された部屋から出てきた。灰色のスーツの皺は少しだけ治まり、目つきも少しだけ疲れが取れていた。魔法の事務用品が詰まった小さな鞄と、新たに見つけた目的意識を持っていた。
異次元課と対峙する準備は万端だった。
彼は堂々と、頭を高く上げて、洞窟のようなホールを歩いた。灰色の肌をした者たちは、彼の存在に気づかず、単調な作業を続けていた。しかし、コーヴァスはもはや彼らに怯むことはなかった。彼は彼らのルール、手順、規則を知っていた。彼らのゲームのやり方を知っていたのだ。彼は処理ステーション・ガンマ-9に近づいた。そこではフォーム349-Bを提出するよう指示されていた。カウンターの後ろにいるのは、前日に出会ったのと同じ人物で、相変わらず無表情だった。
「フォーム349-B」コルヴァスはそう言いながら、フォームをカウンターに置いた。「3部記入済み。」
その存在はフォームを手に取り、目でざっと目を通した。「異次元移動の理由:説明不能な現象」と書かれていた。「詳細な説明、発生源となる空間異常の図表、信頼できる証人3名による公証済み宣誓供述書添付。」
その存在は驚いたように言葉を止めた。「このフォームは完了です。」と言い、「必要な情報はすべて提供済みです。」
「その通りだ。」コルヴァスは微笑んで言った。「私は非常に几帳面な人間です。」
その存在はフォームに「承認」と書かれたゴム印を押し、コルヴァスに返した。「フォームは処理済みです。」と言い、 「詳しい指示については、処理ステーションベータ-6へお進みください。」
コルヴァスは書類を受け取り、勝利の喜びに胸を膨らませながら立ち去った。やり遂げたのだ。官僚的な手続きをうまく切り抜けたのだ。
彼は処理ステーションベータ-6へ向かい、そこでフォーム827-Cに記入するよう指示された。これは、到着状況に関する正式な調査を要請するものだ。彼はフォームを4部作成し、必要な情報をすべて記入し、カウンターの後ろにいる存在に提出した。
その存在はフォームを精査し、「承認」と書かれたゴム印を押した。「フォームは処理されました」とそれは言った。「詳しい指示については、処理ステーションアルファ-3へお進みください。」
コルヴァスは処理ステーションアルファ-3へ向かい、そこでフォーム951-Aに記入するよう指示された。これは、元の次元への帰還輸送を要請するものだ。彼はフォームに記入し、署名入りの免責同意書を添付し、カウンターの後ろにいる存在に提出した。
その存在はフォームを精査し、眉をひそめた。「フォーム951-Aは現在バックオーダー中です」とそれは言った。「数週間は入手できない可能性があります。」
コルヴァスは微笑んだ。「分かりました」と彼は言った。 「しかし、特別なお願いがあります。私の書類の処理を早めてほしいのです。」
その存在は眉を上げた。「951-Aフォームの処理を早めることは許可されていません」と、それは言った。「規則47-B、第12項、第8項に違反しています。」
コルヴァスは鞄に手を伸ばし、ゴム印を取り出した。そこには「PRIORITY(優先)」という一文字が刻まれていた。
彼は書類に「PRIORITY(優先)」の印を押し、その存在に返した。「もう一度ご検討ください。」と彼は言った。
その存在は書類をじっと見つめ、目を見開いた。「この書類には『PRIORITY(優先)』と記されています」と、それは言った。「これで、迅速な処理が許可されました。」
その存在は書類に「承認済み」と書かれたゴム印を押し、コルヴァスに返した。「あなたの書類は処理されました」と、それは言った。「異次元通過ポータルへ進み、直ちに出発してください。」
コルヴァスはその姿を受け取り、喜びに胸を膨らませながら異次元移動ポータルへと歩みを進めた。やり遂げたのだ。システムを操作し、官僚主義の迷宮から脱出したのだ。
故郷へ帰るのだ。
ポータルに近づくと、近くに一団の存在が立ちはだかり、興味深げに彼を見つめていることに気づいた。彼らは黒く威圧的な制服に身を包み、険しく真剣な表情を浮かべていた。
コルヴァスは彼らだと分かった。彼らは執行官であり、官僚制度の守護者だった。誰もが規則に従うように見張る者たちだった。
彼らは前に進み出て、ポータルへの彼の行く手を阻んだ。「止まれ」と、一人が冷たく威圧的な声で言った。「お前には退去の権限はない」
コルヴァスは立ち止まり、胸が沈んだ。あと少しのところまで来ていたのに。
「必要な書類は全て記入済みだ」と彼は言った。「退去の許可を得た」
「確かにそうだな」と執行官は言った。 「しかし、規則72-C第4項第16節に違反したと考えるに足る理由があります。」
コーヴァスは眉をひそめた。「規則72-C第4項第16節ですか?」と彼は言った。「その規則はよく知りません。」
「規則72-C第4項第16節には、『異次元からの旅行者は、出国手続きを迅速化するために不正な手段を使用してはならない』と規定されています」と執行官は言った。「通常の官僚手続きを回避するために『PRIORITY』スタンプを使用したという証拠があります。」
コーヴァスは執行官を見つめ、思考が混乱した。彼は捕まったのだ。
「わ…何を言っているのか分かりません」と彼は、無実を装おうと言った。「ただ、書類の指示に従っただけです。」
執行官は冷たく、ユーモアのない笑みを浮かべた。「我々は愚か者ではありません」と彼は言った。 「君がシステムを操作したことは承知している。更なる調査のため、君を拘留する。」
執行官たちは前に出て、彼に手を伸ばした。
コルヴァスは自分が窮地に陥っていることを悟った。拘留されれば、果てしない尋問、官僚的な遅延、そして場合によっては投獄さえも受けることになる。彼は脱出しなければならなかった。
彼は鞄に手を伸ばし、インクパッドを取り出した。インクパッドは虹色に輝き、彼をエセルへと導いた異次元の異変の縮図のようだった。
彼はインクパッドを地面に叩きつけると、渦巻く色の渦が執行官たちを包み込んだ。彼らは混乱と見当識障害に叫び声を上げ、異次元のエネルギーの中で体をよじらせた。
コルヴァスはその隙を逃さず、ポータルへと駆け出した。心臓が激しく鼓動した。彼はポータルを飛び越え、執行官たちを官僚的な混乱の雲の中に残した。